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2006年5月前半
5月になった。もう一年の3分の1が終わったんだね。速い。
昨日はまだやりたいことがあったけど、ちょっと眠かったので仮眠を取ろうと思って寝たらまたもや朝になっていた。もっとも2時くいなのに仮眠とかいうのが間違いなのだが。6時の目覚ましで起きるが完全に深い眠りに入っていて、這い出してくるのが一苦労。起きてから30分くらいボーっとしていた。目覚ましの時間ずらしておけばよかった。
朝風呂、朝食、朝ネット。そろそろ出かける時間だ。出かけたくないなぁ。
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ビールが旨そうな日和なのでとかいうよくわからない理由でお台場で飲む。もっとも理由なんて何でもいいんだが。
そんなわけで読書は進んでない。『鳴風荘事件 殺人方程式II』(綾辻行人 講談社文庫)は半分くらいまで。
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昨日の日記を間違えて、今日の日付にしていたので修正。朝なのに、飲んできましたっていう未来日記状態。
とはいえ、今日の日記も飲んできました、なのであまり変わらない。場所がお台場から新宿に変わったくらいか。焼酎をロックでいろいろ飲んで、最後には日本酒も。結構酔っ払った。
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今日から5連休。まだ連休の計画を立てていない。とりあえず、延ばし延ばしにしていた用事を一件片付ける。それからずっと読んでいた『鳴風荘事件 殺人方程式II』(綾辻行人 講談社文庫)読了。
予定候補がいくつかあるので、整理して、計画的に行こう。もう既に1日目は半分終わっているし。
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日付間違えて訂正したのに、今度は今日の日記を昨日の日付で書いている。とぼけた野郎だ。っていうか、もうボケ始めたのか。
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面白かったが、ちょっと期待していたのとは違った。タイトルに「殺人方程式II」と謳っているので、『殺人方程式〈切断された死体の問題〉』のようなトリックを想像していたのだ。『殺人方程式』のトリックについては「荒唐無稽」と書いたが、今回の謎はある程度現実的かもしれないけれど当たり前すぎて魅力が感じられない。というのも『殺人方程式』のような大掛かりなトリックを期待していたからかもしれないが。
『殺人方程式』でなければ、島田荘司の『占星術殺人事件』みたいなものをね。
しかし、それは単に「殺人方程式II」という副題だけではなくて、本文中にもあえてそういう期待をさせるような記述が随所に見られるような気がする。最初の事件で明日香井叶の住むマンションの屋上と事件の起こったマンションのバルコニーがほぼ同じ高さだとか、本題の事件の舞台となる鳴風荘の建物の構造とか。そういう読者の期待を裏切るというか、それらもまた読者を混乱させようという一種の目くらましだったのかもしれない。
そういう目くらましという効果を抜きにすると、今回も「殺人方程式」というに相応しい内容なのかというとそれもちょっと疑問である。前作の感想に「殺人方程式」というより「殺人物理学」という方がいいかもと書いたけれど、今作はそれなら「殺人算術」くらいになってしまっている。「殺人方程式」っていうにはちょっと物足りない。
結局、前作から想像する大掛かりなトリックもなければ、「殺人方程式II」というほどの数学的なネタもない。そうすると「殺人方程式」っていうのは、単に「明日香井兄弟シリーズ」ってことなのだろうか。それなら「殺人方程式II」なんていわずに、「明日香井兄弟シリーズ」にしておけばよかったのに。
明日香井兄弟の使い方もちょっと物足りない。折角双子なのに、結局探偵として活躍するのは響の方だけなのである。前作で、素人探偵に捜査の特権を与える設定として素晴らしいと思ったのだが、今回は単に叶の入れ替わりで響が活躍するだけだ。折角双子なんだから、双子だと知らない犯人を騙すとか何か一ひねり欲しかった。
というわけで期待しすぎてしまったのか、どうも最後に物足りなさを感じてしまう一作だった。
[ 『鳴風荘事件 殺人方程式II』 綾辻行人 講談社文庫 ]
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テレビドラマ「アンフェア」の原作である。そもそも「アンフェア」を観たきっかけは、脚本が佐藤嗣麻子だったからなのだが、期待していた以上に面白かったので原作が気になったのである。
ちょうどテレビでは、「アンフェアなのは、誰か」という栞が殺人現場に残され、殺人予告の「推理小説」を落札せよという犯人からの要求がある予告型殺人事件から始まるのだが、全部で11話のところ4話でこの事件は解決してしまう。ところが、新たに発生した誘拐事件でも、「アンフェアなのは、誰か」というキーワードが出てきて、果たして犯人は他にいるのか?いう驚きの展開を見せたところだった。
それで本屋で見かけたときに、パラパラと見るとなんとテレビでは終わってしまった予告型殺人事件だけでこの『推理小説』は終わっているではないか。新保博久の文庫版解説によれば、『推理小説』の続編が近刊だとある。てっきり、この続編を先取りして、テレビドラマ化されたんだろうと思ったのだが、その後秦建日子のブログを見たら「アンフェア」には自分は一切関わっていないという記述があって、今後の展開は秦自身も知らないという。
どうやら「アンフェア」の最初の4話だけが『推理小説』を元にしていて、あとは雪平という女刑事を主人公にしたテレビドラマオリジナルのストーリーらしいとわかった。となると、最初の事件とその後の誘拐事件が関連あるというのはテレビドラマのオリジナルのストーリーであって、『推理小説』では全く関係がない。ドラマはドラマで気になるが、原作ではあの4話はどう書かれていたのか、そして犯人も同じ人物なんだろうかなどなどといろいろ気になったのだった。
ドラマ「アンフェア」と『推理小説』については、また別途書こうと思う。ここでは、ドラマとは関係なく、『推理小説』という一つの作品について書こうと思う。ただ、どうしても切り離せないのは、ドラマを観た後に『推理小説』を読んだために、主人公雪平夏見刑事がドラマの篠原涼子扮する雪平にしか見えなくなっていた。脚本家だけあって秦の台詞はうまくて、その台詞をほとんどそのままドラマでも使われるシーンがあり、その台詞の篠原涼子の口調がこれまた最高で、読みながら篠原の口調が頭の中を何度も流れていた。というわけで、純粋に『推理小説』について語りたいけれど、どうしても「アンフェア」を完全に切り離しては語れない状態になっていることを断っておこう。
さて、前置きが長くなってしまったが本論に入って、『推理小説』について書こう。でも本編についての話の方が短くなってしまうかもしれない。まず面白かった。本当に楽しんで読んだ。これは本当の話。
でもミステリとしては単純すぎるかもしれない。いかにも犯人らしい人が犯人であるというのが、ミステリとして読んだときの最大の欠点かもしれない。犯人の候補が何人かいるがどう考えても犯人は一人しかいないのである。それは論理的ではなくて、登場人物の重み的に一人しかありえない。フェアかアンフェアかという点でいえば、アンフェアと何かという問題提起を入れることによって、一般的にアンフェアな要素があるとしても、フェアなミステリになっている。逆にその少なすぎる犯人候補の中で、混乱させることには成功していると思う。それに、テレビドラマ「アンフェア」で納得できなかった点も、小説では整合性が取れている(という話は、『推理小説』ではなくて「アンフェア」の話になってしまうけど)。
ただ一つ言えるのは、これはミステリの体裁をとっているけれど、物語におけるアンフェアととかリアリティについてどう考えるかの主張になっている。これにはすごく共感できる。ミステリとして読んでも面白いと思うんだけど、惜しむべきはやっぱり「アンフェア」を観る前に読んでも同じくらい面白いと思ったかどうかが気になる。
[ 『推理小説』 秦建日子 河出文庫 ]
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『夢使い』第3話「ふくらむ恋心」。アニメ版は、テレビ版「デビルマン」のように、原作の長編ストーリーとは関係なく1話完結の物語になっていて全然違う話になっている。唯一感動できるのは、植芝理一の画が動いているということだけで、まあそこどまりかなと思っていた。
だがこの3話「ふくらむ恋心」にはやられた! もう観てて泣いたよ。
話は会社で事務をする女の子が好きな営業の男の人に想いを伝えられずに悶々としていて、夢が現実化するというもの。女の子が好きな男の人を見ていると、ダーティペアみたいな格好の女の人が突然降臨してきて幽霊だなんだと会社中が大騒ぎになる。この女の子を好きな別の社員が夢使いに事件解決を依頼するのだが。一度は解決したかのようにみえて、女の子の妄想はダーティペアからリオのカーニバル状態にパワーアップして再登場し、さらに夢使いとの対決の頃には巨大化してしまう。
これ、話は全然違うのだが、原作2巻の第9話「物質超切断!四次元鋏」、原作3巻第13話「水蛭子、影向」の終りから「第14話「封印解除!ドリーム・サイクロン」にかけての展開そのままになってる。しかも美砂子も転装してドリーム・サイクロン設定解除のV設定確認なんてのまでそのままだよ。ぐわー。もう3話は後半から泣き通し。
とか、バカか。読んでない人には何のことかわからないね。アニメ版「夢使い」見直したよ。まあ結局は、植芝理一の画が動いているということだけで感動しているということなんだろうけど、ここまでやってくれたら大満足だよ。アニメショーンの技術とか全然観る余裕なかった。見直したら、動きなどで不満が出そうな気もするが、また泣きそうな気もする。なんでこんなことで泣くのか自分でも意味がわからないが。
次回は土曜星の夢使い登場。たぶん新しいキャラクタが登場する回は、キャラ紹介が中心になってしまうと思うけど、登場シーンは原作そのままの展開を期待しよう。
[ 『夢使い』 第3話「ふくらむ恋心」 ]
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『夢使い』第4話「土曜星あらわる」。
土曜星の夢使い、茶川三時花は九州の夢使いというのは原作通り。富豪の家で執事に着替えを手伝わせるのもさらっと描いている。ただ舞台は福岡でなくて、長崎になってたみたいだ。しかも三時花が東京に来るのではなく、塔子と燐子が九州に向かう。
話は5巻、6巻のエピソードを元ネタにしている部分が多い。遊び奉るクライマックスは、前回同様合体技のドリーム・サイクロンで前話の使いまわしというのがちょっとがっかり。一応、前回と違う三人だし、三時花をドリーム・サイクロンの弾丸に据えたりと(この辺、原作が元ネタ)、変えてはいるんだけど、美砂子さんがドリーム・サイクロンの封印解除してから発射までほぼ同じになっている。ロボットものの合体シーンと同じで一連の見せ場ってことなのかもしれないが。
今後どうなるのかわからないけど、毎回クライマックスがドリーム・サイクロンだとドリーム・サイクロンのありがたみがないしね。
三時花の悲しい過去のエピソードは原作そのまま。その関連で、隠された塔子の過去がちらっと出てきて、今後の伏線らしきものが出てきたのがちょっとよかった。
[ 『夢使い』 第4話「土曜星あらわる」 ]
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今日というのはいつまでなのか。夜、寝るまでという考え方もあるし、夜中の0時までと考えることもできる。どちらかというと慣用的には前者で、0時を過ぎたって「今日」ということが多い。では夕方に起きて仕事に出かけ、朝帰ってきて寝るようなシフト勤務、夜間勤務の人はどうなんだろう。
昨日は夜10時くらいに眠くなって仮眠、夜中に起きて3時半頃再び寝た。今朝は6時半に目覚ましをかけていたのだが、結局寝なおして9時半まで寝る。6時間寝たし、自分でもこれが本当の(というのも変だが)睡眠だと思っていたので、寝るまでという概念では3時半までが昨日で、今日は9時半に起きたところからなんだろう。(ちなみに、睡眠を境に昨日と今日を決めるとすると、寝ている間は昨日なのか、今日なのか?)
でもこれがどちらも3時間くらいの睡眠だったら、どちらが今日と明日の境目になるんだろうかとろくでもないことを考えた。1日1時間半単位で3回とか4回寝たら、どこが一日の区切りになるのか。そんなのは、たぶん主観で決まるんだろうし、そんなややこしい寝方をしたら、午前0時を境に今日と明日を区別すればいいだけのことだけど。
それで自分的に昨日、『鳴風荘事件 殺人方程式II』(綾辻行人 講談社文庫)を読み終えて、この感想と既に読み終えて感想を書いてなかった『推理小説』の感想を書く。仮眠後、日付変わって『夢使い』第4話を見る。感想を書いてなかった3話の分と合わせて、感想を書く。
『悪童日記』(アゴタ・クリストフ 早川書房)を読み始める。これは、『文盲 アゴタ・クリストフ自伝』(アゴタ・クリストフ 白水社)に興味を持ったのだが、『文盲』を読むならその前にやっぱり『悪童日記』だろう、と思ってのこと。『悪童日記』はあまりに話題になっていたせいか、出たときにあまり読む気にならず、その後何度か機会があったのだけど買わずにきていた。
『文盲 アゴタ・クリストフ自伝』に興味をもったのは、実はNHK-BS2の「週刊ブックレビュー」を偶然見た時に紹介されていたからだ。このときに紹介された他の本もちょっと気になっていて、『目眩まし ゼーバルト・コレクション』(W・G・ゼーバルト 白水社)、『本に恋して』(松田哲夫、イラスト:内澤 旬子 新潮社)も読みたい本リストにリストアップ中。
ところで、この「週刊ブックレビュー」の司会は週代わりで変わるようなのだが、この回は児玉清と中江有里だった。中江有里といえば、たぶんアイドル出身でアイドル系の女優あたりに位置していたと思うのだが、そういえば最近見かけなかったので意外な感じがした。
しかも、アシスタントという飾りで出されているのかと思ったら、レビューもしていてちょっと感心した。それでプロフィールを見てみたら脚本で賞をとって、今や脚本家で女優だというのだ。しかも読書好きらしい。なんか好感度アップで、にわかファンになってしまった。
と思ったら、翌週の「週刊ブックレビュー」を見たちゃめさんが似たようなことを書いていた。
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午後、「富豪刑事デラックス」第2話を観る。それから外出。本屋を三軒ほど巡回。
『悪童日記』(アゴタ・クリストフ 早川書房)を読了。
続けて、続編の『ふたりの証拠』(アゴタ・クリストフ 早川書房)を読もうか、『目眩まし ゼーバルト・コレクション』(W・G・ゼーバルト 白水社)を読もうか、はたまた少し前に本屋で見かけて気になっていた『コーデックス』(レヴ・グロスマン ソニー・マガジンズ)を読もうか迷い中。すべて手元に積んである。
amazonを検索していたら、「スペシャル・フィーチャー」とかいうので、いわゆるお薦め本として、『大江戸歌舞伎はこんなもの』(橋本治 筑摩書房)が表示された。
この本は、『文盲 アゴタ・クリストフ自伝』(アゴタ・クリストフ 白水社)が紹介された回の「週刊ブックレビュー」で紹介された本の一冊だ。もしかしてと思って、『大江戸歌舞伎はこんなもの』の「この商品に興味がある人は、こんな商品にも興味を持っています」というところを見てみたら、『「本」に恋して』、『目眩まし』、『文盲』と同じ回に紹介された本が勢ぞろい。「週刊ブックレビュー」の力ってすごいな。
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「富豪刑事デラックス」第2回を録画で一週遅れで見る。
前回すべてネタが割れたような展開で、最後「どうやってダイヤを持ち出したかわかりました」と宣言してつづくとなるが、それが意外性のあるものなのか気になっていた。第2回を見てみたが謎解きはそのまんまで意外性なし。さらに、京都では二回目の殺人事件が起こり、一回目の事件は豪華客船にいたときに起こったし、二回目では警察が見張りをつけていて、警察自身がアリバイを証明する結果になるが、この結果も意外性なし。
サイトには「本格ミステリー富豪刑事デラックス」とあるけど、ミステリとしては甘甘。トリックがどうとかいうより、演出的な問題が大きい。トリックの意図がわかるようなポイントを台詞で強調したり、これでもかというくらい画面にアップしたりするのだ。
最後の犯人を罠にはめるのにも、馬鹿馬鹿しいほど贅沢に金を使うわけだが、これもネタが割れてるのであんまり可笑しくない。深田恭子のかまととぶったお嬢様キャラがはまっているのがせめてもの救い。
次回は別エピソードなのでもう一回観てみようかな。
[ 「富豪刑事デラックス」 第2回 ]
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昨日の「富豪刑事デラックス」の感想を簡単に書いてアップ。「夢使い」第4話も、原作との関係をちょっと追記して書き換える。 そのあとはというと、昼間はなぜか睡魔が襲ってきて、間欠的に寝てばかり。その合間に読書。
読書は迷ったけれど、やはり『ふたりの証拠』(アゴタ・クリストフ 早川書房)を読む。
これにはやられた!という感じ。前作の前提を引っくり返されるとは思わなかった。前作が「ぼくら」の書いたノートであるとしたら、当然ありうることなんだけれど、それが二作目で指摘されるとは。いやいや、こういうの自分も書きたいとか思う。
一気に最後まで読み終える。
夜は新宿に出かけ、久しぶりに会う友人と飲み。本の話とそれに付随して映画やドラマの話もするが、ひたすら延々とミステリとかSFとか漫画とかについて3時間くらい話す。楽しかった。
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『悪童日記』の原題は、訳者のあとがきによれば「大きな(大判の)帳面」といった意味だそうである。それを『悪童日記』としたのは、「作品の内容をより具体的に−−そしてやや反語的に−−イメージさせることを狙った訳題」だったという。
今まで『悪童日記』を読んだことがなかった理由は、いくつかあるのだろうが、このタイトルのイメージから想像するものが違ったものだったからだという気がする。最初に避けていた理由は、ものすごく話題になったりしたのもあると思う。しかし、その後も何度も買う機会があって、手にとってレジに行きかけたこともあるのになぜか今まで買わなかったのは、タイトルのイメージなんじゃないかという気がする。
読み終えた後に知ったこの「大きな(大判の)帳面」という、「悪童」でもなければ「日記」でもない、この原題はとてもすんなり受け入れられる。では『悪童日記』ではなく、この原題に近いタイトルって何がいいのかというとなかなか思いつかない。『悪童日記』というのは、たしかにうまいタイトルかもしれない。
読み始めてまず思ったのは、主人公「ぼくら」はちっとも「悪童」ではないではないか、ということである。彼らの置かれた状況から、だんだんに残酷になっていく。でも残酷になっても、狡賢くもあくどくもない。むしろ、その裏には純粋さがある。物語の構造が見えてきた頃、こんな「アンファン・テリブル」な物語なんて滅多に巡りあえないのに、なんで今まで読まなかったんだろうと後悔した。そのときに、この『悪童日記』の「悪童」という言葉は違うように思った。
小さな断片的なエピソードの積み重ねで書かれる物語の書き方はちょっと変わっている。エピソードとエピソードの間の出来事は想像で補うしかなく、物語世界を広げている。中盤、ぼくらの「作文」のルールが書かれ、これは書簡小説や日記小説と同様に、「ぼくら」の書いたものの集積という形になっていることがわかる。そこで書かれている、あくまで主観を廃し客観的な描写に終始するというルールにすっかり騙された。いや、騙されたと思うのは、続編の『ふたりの証拠』(アゴタ・クリストフ 早川書房)を読んでからなので、これはまた別の話だ。
始めのうち、戦争の中で理不尽な扱いを受け、それを切り抜けるためとはいえ、純粋な子供たちが時には残酷なことを時には悪いことを平気でするようになっていくことに、恐ろしいと感じていた。しかし彼らの行動がエスカレートしても常に純粋さには変わりがなく、行動に一貫性がある。特に後半に集中する兎っ子の母親の死、女中の怪我、おばあちゃんの死、父親の国境越えといった、死に関係するエピソードでのかれらの行動は一貫している。
この後半を読む頃には彼らに共感してしまい、かれらの残酷で非情なまでの純粋さを、是か非かと問われると答えることが難しくなってしまう。ただ、戦争によって引き起こされる様々な理不尽な出来事やそれに対する大人たちの行動より、よほど一貫していて共感しやすい。
かれらはそれぞれ、これからもこの状況を非情な純粋さで切り抜けていくのだろう。いや、切り抜けていってほしい、と思った。
[ 『悪童日記』 アゴタ・クリストフ 早川書房 ]
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『ふたりの証拠』を読んだ人は、一様に前作『悪童日記』(アゴタ・クリストフ 早川書房)に「騙されていた」ことに衝撃を受けたことに違いない。前作が「ぼくら」の作文で構成されている以上、それは「ぼくら」の主観でしかない。わかっているのに、そのまま額面どおりに受け取ってしまったのは、中盤に出てきた主観を廃し事実のみで記述するというルール、そしてそのルールを忠実に守るかのような文章のためだ。注意深い読者は、少なくとも事実以外が語られているかもしれないことには気づいただろうし、深読みし、繰り返し読み、別の物語を読み取っていたかもしれない。しかし逆に疑わなかった読者にこそ、『ふたりの証拠』の衝撃は強く、騙された人ほど幸せだったかもしれない。
騙されたと書くと人聞きが悪い。アゴタ・クリストフは、『悪童日記』を書いたときには続編を書く予定はなかったという。正確に引用しよう。『第三の嘘』(アゴタ・クリストフ 早川書房)の解説にあるアゴタ・クリストフの言葉はこうだ。
《『悪童日記』を書いたときは必ずしも続篇は予定していませんでした。ただ、もし続きを書きたくなったら書けるように、その余地は残しておいたのです。》(『第三の嘘』早川epi文庫 解説(訳者あとがき) 堀茂樹)
『ふたりの証拠』を読んで、前作ですっかり騙されたと感じてから読むとこの文章もなかなか奥が深い。「必ずしも」とか「余地を残しておいた」とか、別に嘘ではないのかもしれないが、予定していなかったわけではないような気がするのは考えすぎだろうか。三部作までの構想はなかったのかもしれない。これが処女作でもあり、次の作品を書くかどうかわからなかったのも事実かもしれない。でも『ふたりの証拠』で明らかになる「ぼくら」の事実は、前作を書いている時点で構想にはあったのではないだろうか。それを前作の巻末で明らかにする代わりに、二人がそれぞれの場所で生きていくという話で終えることで、わかる人にだけわかるようにしたのではないか。(そう思って読み直してみたが、『ふたりの証拠』なしにはわからなかった。)
そして、次作を書くことがあるとしたら、そこで「ぼくら」のことを明らかにしようと考えていたのではないか。
アゴタ・クリストフがどう考えていたのかは抜きにしても、『二人の証拠』を読んでしばらくすると、前作の内容がすべてひっくり返るような衝撃を受ける。冒頭しばらく読むうちは、「ぼくら」は決して離れられないということだったが、まさにその別離によって壊れてしまったのだと思いながら読む。「ぼくら」が一人だと気づいた時点で、それでは残された一人であるリュカはどうして別離もないのに生きる屍のようになってしまうのか考える。
前作で非情で残酷だった「ぼくら」は、しかし純粋で一貫していた。人の死に追いやるとしても、その理由は「ぼくら」のためではなくその死にゆく人たちのためだった。考えてみれば、最後の父を死に追いやった理由が復讐だとすれば、「ぼくら」の唯一の自分たちのための行動だったことになる。
前作で、「ぼくら」の真実がわかる人にはわかるのではないかと思ったのだが、リュカの生きる屍のような日々なくしてはやっぱりわからないように思う。
『ふたりの証拠』でのリュカは、『悪童日記』の「ぼくら」と違って、ひたすら自分のために生きていく。「ぼくら」の名前も固有名詞で出てくる『ふたりの証拠』は普通の小説の書き方に変わったと思えるが、最後の部分で結局これもリュカの書いたものに一章だけクラウスが付け加えたものとして書かれる。すなわち、この小説もまた「必ずしも」事実ではないという「余地を残してある」のだ。
「ぼくら」でなくなったのは大人になったからということかもしれない。大人になったリュカは一人では生きていけない。誰かを求め、そのために誰かを傷つけ、誰かを犠牲にしていく。『悪童日記』で批判された大人の理不尽は、ここでは人の生きるために必要なこととして描かれる。その理不尽は、息子マティアスに指摘され、批判される。こうなるともはや何が正しいのかわからなくなってしまう。
いろいろと考えるのだが、よくないことに、次作がありしかも翻訳もすでにあることを知っている。思考停止して『第三の嘘』のページを捲り始めた。よくないことだ。本当はもっと考えるべきなのだ。
[ 『ふたりの証拠』 アゴタ・クリストフ 早川書房 ]
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「富豪刑事デラックス」第3回を録画で見る。
「富豪刑事デラックス」がミステリとして弱すぎると書いたが、3回目(といっても2エピソード目)にしてようやく納得いった。別に今回すごいトリックが出てくるわけでもないし、真犯人が意外なわけでもなかった。でも、とりあえず最後に推理を披露するところなどで納得。そして、今回もまた馬鹿馬鹿しい富豪ぶりが健在。
前シリーズの「富豪刑事」を見ていないので、お約束などがわからないかと最初気にしていたのだが、そうでもなかった。しかし友人と話していて、前作の「富豪刑事」も見ているうちにだんだん面白くなってくる、しかも見所はやっぱり深田恭子のお嬢様ぶりだと聞く。
それはなんとなく想像ついたのだが、結局は見所を間違えたということか。3回目の水準で毎回やってくれるのなら、馬鹿ミスとして楽しめるのかなといったところ。
ということで、引き続き視聴決定。
[ 「富豪刑事デラックス」 第3回 ]
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宝石詐欺の話で、今回の話にはかなり満足。前2話で感じた詐欺師がなんでそんなことに騙されるのかとか、騙したら不要な行動とか正体をばらすような行動について、ドラマの嘘としてもだめでしょう、というのがなく、話の中で整合性が取れていた。
特に面白かったのは二点。最初の騙しにかかるために本物の結婚式場の担当者の名刺を入手したり、シロサギ側も相手が本物の結婚式場に勤める人物か確認しようとするところ。この駆け引きがよくできていた。そして、最後のオチがまたよくて、発端の被害者が受けた騙しのテクニックを応用したかのような仕掛けを使う。そこにも最初の結婚式場の担当者を利用していて、無駄のない騙しだ。
とか書いていると、騙し方をほめているみたいだが。
「クロサギ」は、原作の方が気になり始めた。この3話は、クロサギを取り巻く氷柱(堀北真希)らとの絡みが少なかった。きっと原作の詐欺話については、比較的そのままなんじゃないだろうか。1話、2話はドラマ用に氷柱との絡みをいれて、作り直したところが詐欺の手口などに穴のあるストーリーになってしまったんじゃないか、などと思ってしまう。原作を読んでいないので、想像でしかないが。
[ クロサギ 第3話 ]
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株ネタ。クロサギの今回の仕事は、ちょっと違う。裏のビジネスとして金を貰い、相手を嵌めて損をさせるというだけで、騙し取るのとは違う。最後に桂木(山崎努)のいう「黒崎は自分を喰らおうとするシロサギしか喰えない」とかなんとかいうのだが、まさにそういうことだ。自分に対して詐欺を仕掛けてこない以上、騙し返せない。そうなると、クロサギの嵌め方は、アンフェアなやり口という気がする。
もう一点、罠に嵌めるところでは、ギリギリに株価を下落させるのが不自然。もちろん緊張感をあおるわけだが、あれじゃ遅すぎるよという感じ。金を手に入れたらすぐ下げればいいわけで、あんなに上昇させたら白石の仕組んだ詐欺がなくてもそんなに損をしないだろうという風に思う。
とはいえ、クロサギより白石(加藤浩次)の方が、一歩上手をいっていた詐欺の手口が明らかになるところは面白かった。しかもこっちはちゃんと詐欺になっているんだよね。そうなると、損はしていないが、詐欺師勝負としては完全にクロサギの負けということだ。
残念なのは、白石の手口があんまり詳しく描かれていないこと。白石はあの会社にどうやってはいっているのか、今回の詐欺で責任を取らないですむようにどう手を打っているのか、その辺が全然わからない。あるいは、クロサギから聞き出した社名を知ることの意味とか。ドラマの内容だけだと、クロサギに対するメッセージ以外に意味がないように思う。
やっぱり原作が気になる。と、こればっかだが、こういう詐欺の部分が原作ではちゃんと描かれているのか、それとも原作でもこの程度なのか。嘘でもいいからもっとリアリティが欲しい。テレビ的に難しいのか? でもそれならドラマ化しなければいわけだし。と、厳しくなってしまうが、やっぱり詐欺がちゃんと描かれていなければ、この物語成立しないだろう。
[ クロサギ 第4話 ]
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昨日、明け方まで起きていて今朝は12時過ぎ起床。6時頃、7時半頃と目を覚ますが、寝足りない気がしたので、もう少しと思ったら今度は寝すぎた。なんか訳判らない夢を見た。いや、夢って訳判らなくて普通かもしれないが。
『第三の嘘』(アゴタ・クリストフ 早川書房)を読み終える。感想は後で。
続けて、『コーデックス』(レヴ・グロスマン ソニー・マガジンズ)を読み始める。
連休中の予定は、今ひとつこなせていない。『悪童日記』三部作を読み終えたのはいいが、もう一冊くらい読んでおきたかった。
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すっかり仕事のことを忘れることができていた。今日は何かあるはずなのだが、いくら考えてもわからない。何だったっけなぁと思っていたが、朝一に電話を受けて思い出す。はぁ。そして単調な日々が始まる。
連休明けから残業。21時半くらいに帰る。家に帰り着くと23時過ぎ。
読書は『コーデックス』(レヴ・グロスマン ソニー・マガジンズ)。面白い。これからどうなるのか全然見えないのだが、冒頭から面白い。
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週明け早々体調不良。朝は熱っぽい感じ、最近なかった肩凝りが酷い。さっさと帰宅、泡盛を飲んで寝る。
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昨日早く寝たので5時半くらいに目を覚まして、そのまま起きる。とかいうと、なんか健全な感じがするが、昨日は具合が悪くて早寝したのではなくて、調子悪いと思いつつ泡盛を飲んで寝転がって本を読んでいたらいつのまにか眠っていて、気がついたら午前3時だったのだ。それで、そのままベッドに直行して寝た。
で、早起きして朝風呂に入って、Webとか見て、いつもならギリギリまで仕事に行きたくないなぁとダラダラと過ごすのだが、めずらしくちょっと早めに出かける。そして、単調な一日が始まり、単調に残業して、22時半に帰る。家に着くと、0時5分前。
0時過ぎたら酒は控えるというローカルルールを決めているのだけれど、時計の針はわずかに0時5分前を指している。というわけで、急いで冷蔵庫から缶チューハイ取り出して飲む。でも一缶じゃ足りなくてもう一缶開けて、もうこうなるとローカルルールもなにもない。今は午前1時、でも泡盛のお湯割を飲んでいる。
休日中、結構いいペースで日記を更新していたのに、ゴールデンウィーク開けるなりダメダメで、なんでこうなんだろうなぁと思ったりする。休日に書き溜めたものを徐々に公開すればいいとは思うのだけど、そうならない。書いたらアップしたいし、その勢いとかが好きなのだ。
読書はあいかわらず『コーデックス』(レヴ・グロスマン ソニー・マガジンズ)。これ面白いよ。今日一気に読み終えちゃいそうな気もしたのだが、結局まだ4分の1残っている。一気に読み終えてしまうのはもったいない気もするが、読み終わらない理由はそれよりは物理的な時間の問題なんだけど。
とか書いているうちにまた眠ってしまった。
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『コーデックス』(レヴ・グロスマン ソニー・マガジンズ)読了。帯に「イギリスで話題沸騰のベストセラー」とあるけど、終わり方も普通ここで終わるかっていう、なんていうかストイックなところがイギリスで受けるんだろうなぁとか。でも作者はアメリカ人。
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録画しておいた「夢使い」5話を観る。ちょっと嫌な予感していたのだけど、今回もやっぱり最後はドリーム・サイクロン。今回は弾丸を燐子がやるという違いはあるけど、水戸黄門の印籠のように毎回ドリーム・サイクロンはやってほしくなかったなぁ。
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昨日、0時くらいに寝て、今朝は5時に起きる。もっと早く目が覚めたが、いくらなんでも早いと思って寝なおして、それでも耐えられなくなって5時起床。
今日は朝から用務先に直行の予定で8時半に出かければ間に合う。いつもよりずっと余裕があるので、朝風呂、朝食、Webのアクセスなどのんびり楽しむ。そのあと、早くも7時くらいには眠くなってきて昼寝まで。
外出には、『目眩まし ゼーバルト・コレクション』(W・G・ゼーバルト 白水社)を持って出かける。
最初の収録作品「ベール あるいは愛の面妖なことども」を読んで、これは一体なんなんだろうと思った。名前を聞いたこともない人物についての散文で、彼の戦争での体験やその後の恋愛について、あるいは記憶の曖昧さについて書かれている。この人物のことを一つのきっかけに書かれた作者の考えもちらほら見え隠れするが、やはり最後にはベールの死で終わる。不思議な話だと思ったがあとで、重大な事実を知ってくらくらっときた。まさに目眩し。
深夜まで仕事、0時過ぎに帰宅。缶チューハイ一缶と、泡盛お湯割りを少し飲んで寝る。
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『第三の嘘』は、前作『ふたりの証拠』(アゴタ・クリストフ 早川書房)の結末部分を、クラウス・Tの立場で描いているような始まり方をする。ところがここで語られる物語は、またもや読者の記憶と違う物語だ。いくつかの出来事は『悪童日記』(アゴタ・クリストフ 早川書房)と『ふたりの証拠』のエピソードや登場人物たちと符合するが、かなりの部分で違いが出てくる。でもこれが真実で、それを美化したり改変した物語が『悪童日記』であり『ふたりの証拠』だったのかと思わせる。それは『悪童日記』の主人公が現実の子供よりずっとストイックでクールだったり、『ふたりの証拠』でも愛の理想を追い求めたり、意志の強さに物語的な部分を感じたのだが、『第三の嘘』はそれに較べて惨めで悲惨な出来事が多く、それが隠されていた真実だったのではないかと思ってしまう。
これは、惨めで悲惨なことの方が、リアルに感じるというのは、無意識のうちに現実とは惨めで悲惨なものだと感じているということなのだろうか。
しかし読者はすでに『二人の証拠』で、語られていることがすべて真実であるとは限らないということをしっかり記憶に刻み付けている。ましてや、『第三の嘘』というタイトル(このタイトルは原題の直訳だそうだ)であればなおさらである。物語は語り手はクラウスから、クラウスを名乗るリュカであることが明かされる。リュカの国外での生活は語られないが、前作でクラウス=リュカが一人であったかのようにみえたのに、再びクラウスとリュカは別の人物であるかのように見えてくる。しかも『悪童日記』での区別がつかない双子ではなく、幼い頃から別の道を歩むことになった兄弟として。
こうしてまたリュカとクラウスの別の物語にのめりこんで行く。
しかしよく考えてみると、『第三の嘘』でのリュカの記憶は『悪童日記』の物語と繋がる。それに対してクラウス(KLAUS)の記憶は、『悪童日記』のエピソードより前にリュカと分離している。リュカとクラウスの物語という印象が強いので、第一部の語り手リュカと、第二部の語り手クラウスを『悪童日記』と『二人の証拠』のリュカとクラウスと思い込んでしまうが、『第三の嘘』のクラウスは作中で書かれるとおりに別人なのではないか。
翻訳では、クラウスの表記は「クラウス」となっていて、第一部と第二部両方の最後に「KLAUS」とスペルの違いが示されているが、言語では第二部のクラウスはずっと「KLAUS」と表記されているのだろうか。気になるところ。
これをそのまま素直に捉えると、やはり『悪童日記』はクラウスとともにあるかのように思い込んでいたリュカの物語となり、『二人の証拠』も最後にクラウスと名乗って戻ってくるリュカの物語となる。そして『第三の嘘』の第一部でリュカは真実を語り、第二部で登場するクラウス(KLAUS)は『悪童日記』と『二人の証拠』のクラウス(CLAUS)とはやはり別人と考えると整合性がある。
クラウス(KLAUS)は最後に三つの嘘をつく。クラウス(CLAUS、リュカ)とは兄弟ではないこと、血縁関係がないこと、「私の家族で死亡しているのは、父だけです」と。「第三の嘘」とは、物語全体ではなく大使館の男に答えるクラウスの言葉なのかもしれない。
それを確かめるために読み直すのもありだが、明確な真実を求めるよりも、むしろ真実がわからないまま混乱した頭で、再び『悪童日記』から読み直すほうが、本当の真実を得られるような気がする。
[ 『第三の嘘』 アゴタ・クリストフ 早川書房 ]
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帯には「イギリスで話題沸騰のベストセラー!」、さらに大きなフォントで「幻の奇書を追え!」。ベストセラーという言葉に眉を顰める必要なはない。なんたってイギリスでだしね。むしろ、「幻の奇書を追え!」に注目すべきである。昔からある、本を巡るミステリー、本好きにはたまらないテーマの小説なのだ。そう聞くだけで興味が沸いてくるが、期待に違わず面白かった。あとは何も知らずに読み始めるが吉。
それだけじゃ読み始められない人にもう少し情報提供。タイトルの「コーデックス」とはなんなのか。同じく、本の帯には「古写本」にルビが振られて「コーデックス」とある。物語では、「コーデックス」とはどういう意味かと訊ねられた書物に詳しい登場人物の一人がこう言う。
「コーデックスは−−コーデックスよ。巻物(スクロール)や蝋版や石版ではなく。紙を折って束ねて背をつけて、二枚のカバーの間にはさんだもの。あななたちが"本"と呼んでいるものよ」
以上。あとはネタバレありで感想を書く。ていうか、コーデックスが本ってことだって、僕にしてみればネタバレだけどさ。
『コーデックス』では、投資銀行のアナリストを勤めるバリバリのビジネスマンである主人公エドワードが、ロンドンでの新しい仕事−−つまりは栄転して新しい職場へと異動する狭間の二週間ほどの休暇に巻き込まれる小さな事件から物語は始まる。彼はこの休暇中に、莫大な財産を持つクライアントの夫妻に頼まれて仕事を引き受けるのだが、いざ訪ねてみると彼を待っていたのは古書整理という彼の専門外の仕事。何かの間違いだと思って、断るつもりでいるのだがいろいろな偶然から彼はこの仕事を続けることになり、そして興味を持ち始める。
存在するはずのない古書を探す、しかもその古書には暗号によって隠された秘密があるという「古書を巡る冒険」ともうひとつ、ゲームマニアの友人に貰ったロールプレイングゲームの世界を彷徨うというもうひとつの軸となる話がある。このゲームは全く古書探求とは関連がないはずなのに、ゲームの中で古書を巡る話と交錯するような妙な符合が現れる。
殺人事件もなければ、これといった事件があるわけではない。なのに、この古書を巡る話とコンピュータゲームの話が交互に続く物語には惹き込まれる。そして、幻の古書の在りか、そこに隠された暗号まで畳み掛けるように明らかになっていく後半は一気に読むのがもったいないくらいだ。真相はあっけないくらい立て続けに明らかにされていく。
本は残りページ数がわかるので、あと結末までどれくらいかわかってしまうという欠点を持っているとよくいうが、最後の方はその残りのページ数でこれらの謎がすべて明らかになるのか心配しながら読んでいた。しかし、驚くべきことにすべて答えが出る。このスピード感は素晴らしい。もったいぶって引っ張り続けるよりずっといいのだが、結末もここで終わるのかと思うくらいストイックだ。これが優れている点だとは思いながらも、やっぱり惜しむらくは短いと感じてしまうところか。単行本450ページというボリュームは物足りない。この世界でこの密度で、倍以上のボリュームがあったらもう最高だったんだが。
[ 『コーデックス』 レヴ・グロスマン ソニー・マガジンズ ]
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『夢使い』第5話「家族模様」。
話は今回も完全オリジナル。死んだ人が夢を見るはずがないから云々というのは、原作のどこかにあったような気もするがちょっと思い出せない。
そして、最後はドリーム・サイクロン。今回は弾丸を燐子がやるという違いはあるし、ドリームサイクロン封印解除から発射まで短縮していたので前回のようにまるまる使いまわし感はないけど、やっぱり水戸黄門の印籠のように毎回ドリーム・サイクロンはやってほしくなかったなぁ。
[ 『夢使い』 第5話「家族模様」 ]
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「富豪刑事デラックス」第4回を録画で見る。
焼畑署に奇妙な依頼がやってきた。大手スーパー社長が、焼畑市に新店舗をオープンするにあたり、その準備に専務を滞在させるが身辺を警護して欲しいというのだ。理由は、社長の信じる占い師タロット重田により、専務は焼畑市に行くと命を落とすと予言されたというのだ。
神山署長からの命令でしぶしぶ警護に当たる鎌倉警部以下焼畑署の面々だが、専務は予言通り死んでしまう。死亡理由は、風で落ちてきた看板が頭にぶつかったためで、どう考えても事故としか思えない。しかしその裏に何かがあると思った美和子(深田恭子)は独自に捜査をするのだった。
という感じで、この風で落ちた看板で死ぬのが事故でなくて殺人だったらたいしたものだと思ったが、その結果は…。しかし、占い師タロット重田の裏工作を証明する方法はなく、それを証明する方法としてタロット重田よりすごい占い師を仕立て上げる方法を考える。当然神戸美和子が占い師となり、金を使ってこそ実現可能な占いの的中を作り上げる。
こういう馬鹿ミス的な話になると俄然面白くなる。本格ミステリじゃなくて、馬鹿ミスだよ。だけど、これは面白い。
[ 「富豪刑事デラックス」 第4回 ]
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今度の標的は、氷柱(堀北真希)の父親。インターネットで偽ブランド商品を売るシロサギの元で、実際にネットショップを開く。父親自身は、詐欺だとははっきりと自覚していないようだ。
一方事業を始めるにあたり金の足りなかった氷柱の父親は、氷柱に会い、10万円を貸して欲しいと言う。氷柱は一度は断りながらも金を渡してしまう。
黒崎(山下智久)は「お前の父親は詐欺師だ。俺が喰ってやる」というが…。
詐欺の手口よりも、今回は黒崎と氷柱の物語という感じで、詐欺師対決のような話がない分、いつも感じる穴はあまりない。その代わり金額も小額(300万円)で情報量にも満たない上に、最終的には詐欺師を警察に通報するが騙し取らずに終わる。
他に桂木の秘書(奥貫薫)の過去の一端を見せたりとか、今後の伏線みたいな部分がチラホラあったりして、人間ドラマ的な話に。詐欺師の手口、詐欺師同士の騙しあいなどのスリリングさはないが、このドラマ詐欺師の手口の描写が少ない方が穴がなくて安心して見られる。
[ クロサギ 第5話 ]
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drinkin' chaというブログもやっている友人納富の誘いで、東麻布の海風號という中国茶の店に行く。そこでフリマ茶会をやってるというのだ。
お茶を飲みながら、店の中の茶器とか見る。茶器はあんまりわからないが、店の雰囲気とかちょっとした置物が面白い。そしてお茶が美味しい。折角のフリマなので、酒猪口にも使えそうな茶杯を二つ買って帰る。とてもいい感じの店だったので、またお茶を飲みに行ってみたいと思った。
ブログを元に『drinkin' cha』(納富廉邦 ロコモーションパブリッシング)という本も最近出た。パラパラと読んだところでは、気軽に楽しめるお茶の楽しみ方という本になっているみたいだ。ところが読み始めると、なかなか面白くて止まらなくなってくる。日記を書いてさっさと寝ようとしていたのに、予想外に遅くなる。
お茶自体は好きだが、中国茶ってほとんど飲んだことがない。嫌いじゃなくて、その前に面倒くさそうな気がしていたが、今日の茶会で飲んだり納富の話を聞いていたりすると、そんなことないんだなと思った。お茶なんだから、当たり前だよな。
外出には、『Op.ローズダスト』(福井晴敏 文藝春秋)を持って出かける。『目眩まし ゼーバルト・コレクション』(W・G・ゼーバルト 白水社)も読みかけだが、格調高い散文で時間がかかりそうなので、少しずつ読むことにした。
福井晴敏はいつもの軍事アクションで、勢いよく読めるかと思ったが、物語に入るのにちょっと時間がかかる。50ページを超えたあたりでようやく面白くなってくる。しかし、開いたページがほとんど文字で埋まっているギッシリ感があって単行本550ページの上下二巻。かなり読み出がありそうだ。
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昨夜というか今朝4時頃寝たので、朝は眠い。仕事場に向かう途中、携帯電話で呼び出しがかかる。まるで悪魔くんのメフィストフェレスみたいだよな、携帯を持つってことは。行き先を変更して、朝からお客さん対応。
午後も遅くようやく仕事場に戻るが、暑くてだるくなった。このまま梅雨に入るのかと思うくらい雨降りの毎日だったのに、今度は急に晴れるし。
夜は今日も22時半くらいまで仕事して帰宅。家に着くと0時少し前。
読書は『Op.ローズダスト』(福井晴敏 文藝春秋)、進んでいない。朝は読む気力なかったし、帰りの電車で読める量は高がしれている。
というわけで、ネタがないのだが、形式的更新だけしておく。
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