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2006年7月後半
『ユダの福音書』がエジプトで発見されてから、紆余曲折を経て、復元され翻訳されるまでを追うドキュメンタリー。原題は「The Lost Gospel」となっているが、『ユダの福音書』はキリスト教正統派によって異端の烙印を押され、歴史から姿を消した「失われた福音書」とも呼ばれていたことによる。
『ユダの福音書』は、イエスを裏切ったとされるイスカリオテのユダの立場から書かれた福音書で、ユダは弟子たちの中でもっともイエスの信頼が厚く、またユダの行為は裏切りではなくイエスの指示に従ったとされる。ユダといえば裏切り者の代名詞にも使われるくらい有名なだけに、キリスト教にさほど詳しくなくとも、キリスト教にとって衝撃的な内容であるとは想像に難くない。
その福音書がエジプトで発見されるのは1970年代の後半に遡る。しかしその福音書が世に出るには、数奇な運命を辿り、20年以上の月日を要する。そしてそれはほとんど奇跡的な出来事だった。本書の半ばには、カラー口絵が数ページ挟まれているが、ここに写された福音書の写真はものすごい。パッと見たら、朽ちかけた木のようにしか見えないのだ。よくみると、長方形のそれの上には文字が書かれていて、本来数ページの本の形をしたものが、細かい断片に崩れてしまっているため、まるで朽ちかけた木のようにしか見えないことがわかる。この写真を見るだけで、このボロボロになった本を、いやボロボロどころではなく部分的には粉粉になった断片でしかないものをどうやって復元したのかというだけでも興味が沸いてくる。
福音書が発見されてから、世の中に再び姿を現すまでに、福音書は何度も古美術業者の間で売買され、ときには盗まれ、あるいは金庫に保管されたまま忘れ去られていく。その間に、写本は触れるだけで崩れてしまうまでに、だんだんと朽ちていく。この本のほとんどは、福音書のその流転する運命についての物語だ。その間に、ユダの福音書の持つ意味を説明するために、死海文書、ナグ・ハマディ文書などの近年発見された文書についてや、キリスト教のグノーシス主義に関する解説などが挿入され、キリスト教について深い知識がなくとも、単に古い文書が発見されたという以上の理解ができるようになっている。そのため、話が散漫な感もあるがそれは仕方ないことだろう。
文書が復元、翻訳される過程についてはあまり書かれていない。ただ5年もの月日を要したようだが、それは先に書いた写真を見れば頷ける話だ。復元の過程にも様々な苦労やスリリングな出来事もあっただろうが、ひたすら根気を必要とする作業の繰返しで、一般の人に理解できるようなエピソードは少なかったのかもしれない。それでも復元時のスリリングな出来事は数知れないほどあったはずで、できればそんなエピソードも読んでみたかった。
最後の1章は『ユダの福音書』というタイトルで、20数ページほど福音書の内容を紹介している。本書の目的は福音書の発見から公開までの出来事を紹介することなので、ここで紹介されているのはほんとうに概要でしかない。『ユダの福音書』についての詳しい内容を知りたい人は『原典 ユダの福音書』を読む必要があるようだ。
[ 『ユダの福音書を追え』 ハーバート・クロスニー 日経ナショナルジオグラフィック社 ]
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昨日までの暑さが嘘のような涼しい日だ。
朝から、昨日読み終えた『ユダの福音書を追え』(ハーバート・クロスニー 日経ナショナルジオグラフィック社)の感想を書いてアップ。
海の日で休みだが、テレビ番組は平日の番組編成なので、普段見ていない「笑っていいとも」などの番組を見る。最近観ている昼ドラをリアルタイムに見るが、タイトルは「美しき罠」ではなくて、「美しい罠」だった。ずっと間違えて覚えていた。
番組のサイトがないから珍しいと思っていたが、番組名を間違えていたから検索で引っかからなかっただけだった。
朝6時に起きたせいか、昼前と15時過ぎと二回も昼寝をしてしまう。
暇なので日記を書く。
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たった3連休でも、連休明けの朝は辛い。6時に起きても出かける気力が起こらず、3時間ダラダラしてようやく出かける。また日常的生活の繰返し。
読書は『時の“風”に吹かれて』(梶尾真治 光文社)を読み始める。あまり時間がなくて、表題作を含む二編ばかり。表題作はリリカルないい話。二編目は毒のある話。この作品ごとに内容的なギャップの大きいのは、SFマガジンで梶尾真治を知った頃に感じたカジシンの面白さなので、こういう収録をしている短編集は嬉しい。どうしても、同じ系統の話で集めがちだから。それはそれでいいのだけれど、カジシンの場合、読み始めてみないと何が出てくるかわからないというのも楽しみの一つだ。
夜、泡盛を飲む。ドラマは「美しい罠」と「結婚できない男」を消化。
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少し前に終わったプロジェクトの遅ればせながらの打ち上げ。結構飲んで、酔っ払って帰宅。友人が泊まっていく。
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久々に23時まで仕事。前途多難。プロジェクト自体は楽なはずなのに、とほほ。
「花嫁は厄年ッ!」を録画するHDレコーダーの空きが残ってなかったので、22時までに帰るはずだったのだが間に合わず、第3話を見逃す。今夜以降の数々の録画予約の空きを作るため、「美しい罠」を2話分鑑賞。あとは、番組前後のCMなどをカットして、空きを作る。
ほんとにドラマの録画に追われていてバカみたいだ。
読書は飲み会とドラマ鑑賞に追われて進まず。
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今日も仕事が21時くらいまで続いたので、そのあと息抜きに飲みにいく。今読んでいる『時の“風”に吹かれて』(梶尾真治 光文社)の話や、ドラマでは昼ドラの話とか、映画の話とかもろもろ話す。
ちなみに『時の“風”に吹かれて』は、2編目以降、ドタバタのハチャメチャのバカSFが続くが、中ほどに収録された「鉄腕アトム メルモ因子の巻」というのはまた毛色が違う。タイトル通り、文章で書かれた鉄腕アトムのパスティーシュになっている。原作の設定そのままに、アトムや御茶ノ水博士はもちろんのこと、アセチレン・ランプやヒョウタンツギまででてきて、手塚治虫世界を再現していて嬉しい。
終電ちょっと前で帰宅、ビールを飲んでちょっと調べものをする。が、眠くなってどうにもならないので、諦めて寝る。
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明日は土用の丑の日ということで、一日早くうなぎを食べに行く。
一週間前に始めてクーラーをつけたが、その直後から雨続きで過ごしやすい。元々夏には強くて今年も夏バテにはなっていないが、このまま快調でいけるといいな。
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昼ビールで気持ちよく昼寝。ドラマの録画は溜まりに溜まっているので、「美しい罠」、「タイヨウのうた」、「下北サンデーズ」を鑑賞、2時間半分のHDスペースを空ける。夜は、『Mi:III』を観てくる。
あと、DVD『夢使い I(初回限定版)』を買ってしまった。テレビ放送時には、2話の録画に失敗して最後の見せ場を観ていないので、どうなっているのかが楽しみ。
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『M:i:III』を観てきた。
説明するまでもない、『ミッション・インポッシブル』のシリーズ第三作である。いかにもハリウッドらしい大作アクションで飽きずに楽しんだ。いつも不可能なミッションに対して、余裕の涼しい顔で立ち向かう印象が強いイーサン・ハント(トム・クルーズ)に対し、今回は最初から最後まで必死の形相なのが印象的だった。特にオープニングがアレなので、緊迫感を盛り上げている。
文句なしに面白い、かというとちょっと違って、オープニングのシーンに繋がるのが意外にも物語の最後の方で、後半をすぎると犯人を聞かされたミステリを読むような物足りなさを感じてしまうのが欠点か。観た人にしかわからない書き方になるけれど、最初の仲間を救うミッションあたりをオープニングにしておいた方がよかったのではないかと、観終わってから思った。オープニングのエピソードを引っ張りすぎて、最後があっけなく終わってしまった感じがする。
とはいえ、効果的なプロローグであったとこも否めない。最初のシーンの緊迫感は全編ずっと引きずり続けるし、飛行機のエピソードなどは最初のシーンがなければイーサン・ハントは唯の狂人になってしまうところ、キレるのもわかるような気がしてしまうのも冒頭のシーンがあるからと言えるだろう。
本編と別に、今回のCMがうまかったことに感動! CMで使われていたシーンが、実は本編ではいろいろなシーンに分かれていて、あれはここだったのかと驚いたりしながら観ていた。CMの爆破シーンのシーケンスだけに限ったら、CMの方が面白かったくらいだ。あのCMはうますぎる。
[ 『M:i:III』 MOVIXさいたま ]
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朝から研修で、眠い。まだ一日目。あと、二日続く。研修のあとは21時半まで仕事。
読書は電車の中で、『時の“風”に吹かれて』(梶尾真治 光文社)をようやっと読了。
家に帰ってきてから、チュウハイ2缶、泡盛のシークァーサー割を飲みながら、録画した「美しい罠」を鑑賞する。「アキハバラ@DEEP」は感想を書いてからと思っているうちにどんどん溜まっている。今夜も放送がある。感想は無視して、観るか。
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梶尾真治の短編集である。表題作はリリカルなタイムトラベルもので、ちょっといい話。しかし、二編目以降にうってかわってドタバタだったり、残酷だったりするスラップスティックなSFが続く。そして怖い話や、再び叙情的な作品も顔を見せるというバラエティさ満載の作品集である。『黄泉がえり』で有名になってから、どちらかというとリリカルでセンチメンタルな作風の作品が推されたり、短編集でも同じタイプの作品が集められることが多かった気がするけど、このチグハグなくらいバラエティにとんだ作品集の構成は、昔からのカジシンファンとしては嬉しい。
もちろん、統一性がある方がきっといいとは思うのだが、カジシンの場合、そういうわけ方でどこかの枠に収めたくないのである。統一性はリリカルなものでもドタバタでもなくて、SFらしいセンス・オブ・ワンダーなのだ。その一点で統一していれば、むしろバラバラでチグハグと思えるくらいいろんな驚きを味わえることの方が重要なのだ。
以下、収録作品ごとに簡単に思ったことなどを書く。未読の方はスキップしていただいた方がいいかも。
「時の風≠ノ吹かれて」
カジシンお得意の、タイムトラベルものでいい話系なのだが、個人的にはもっと複雑なパラドックスが続くかなと思いながら読んでいたので、ちょっとあっさりしているという気がした。
カジシンと直接関係ない話だが、ここに出てくる「時の風=vって、ブラッドベリ原作のSF映画『サウンド・オブ・サンダー』に出てきた現象と似ている。映画の中ではなんと表現していたか忘れてしまったけど。ブラッドベリの原作「雷の音」は名作らしいのだが読んでいなくて、映画を見た時にこの映画のどこがブラッドベリなんだろうと想像がつかなかったのだが、「時の風=v的な部分がオリジナルだったのかもしれないと思ったのだった。忘れていたけど、ブラッドベリの原作を読みたくなった。
「時縛の人」
これもタイムとラベルものだが、残酷風味のスラップスティックというのか。
「柴山博士臨界超過!」
ハチャメチャなハードSFというと矛盾しているが、そんな感じ。最初に事件があって、だんだんと真相がわかっていくというミステリっぽい展開である。
「月下の決闘」
文句なしのバカSF。闇バレエのファンになってしまった。
「弁天銀座の惨劇」
これもハチャメチャなハードSF。というか、もしも××だったら、というドリフのコントみたいな話と言った方がいいだろうか。その「××だったら」の部分が、普通そんなマニアックなもしもにするか、というところ一点のみでハードといっただけで、それ以外すべて単なるバカ話。
「鉄腕アトム メルモ因子の巻」
これは文章で書かれた鉄腕アトムのパスティーシュ。アトムや御茶ノ水博士はもちろんのこと、アセチレン・ランプやヒョウタンツギまででてきて、手塚治虫世界を再現しているので、手塚治虫ファン必読。
「その路地へ曲がって」
叙情的な裏に何ともいえない怖さがある。
「ミカ」
エロティックで怖くて、オチもある。このあと主人公はどうやって暮らすんだろうかとしばらく考えた。
「わが愛しの口裂け女」
真面目なんだかふざけてるんだかよくわからないけど、と思ったらやっぱり最後メチャクチャな展開になってでも愛。っていうのは、まさにタイトル通り。
「再会」
ノスタルジックなSF。たくさんバカ話を読んだ後に続いて読むと、うっかりほろりとしてしまう。
「声に出して読みたい事件」
ネタのみの掌編。
[ 『時の“風”に吹かれて』 梶尾真治 光文社 ]
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やはり眠い一日。
『Web2.0ブック』(小川浩、後藤康成 インプレス)を読んでいる。Web 2.0って、今ひとつよくわからなかったのだが、この本の最初の「Web2.0とは何か」を読んだら判ったような気になった。
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北村薫のミステリ短編集。基本的にはすべて独立した短編だが、同じ登場人物から登場するシリーズもの的なものが2編ずつ。日常のさりげない謎をテーマにしたものは北村薫らしい気がするが、それとはちょっと違った毛色のものもあって、なかなか面白かった。各作品別に一言ずつ、書いておく。
「溶けていく」
サイコホラー的な作品で、今まで持っていた北村薫のイメージと違ったので、面白く読む。
「紙魚家崩壊」
表題作だが、「両手が恋をしている女と探偵との第三十七番目の事件」と銘打たれている。「両手が恋をしている女と探偵」の物語はこの短編集にもう一つ収められているので、シリーズものといっていいだろう。実はこの一編の中には、すべてを語るわけには行かない三十六番目の事件も収められていて、一作で二つの事件を楽しめる。
それ以前の三十五件の事件は書かれているのだろうか。読んでみたい。
で、この作品はミステリというよりはアンチミステリというかパロディのような作品である。ミステリであれば守られるべき規則(ルール)が課せられることによって謎が解かれるというのだから。とてもいい。
「死と密室」
「両手が恋をしている女と探偵との第三十八番目の事件」。このシリーズはつまりミステリのルールが課せられた世界でのみ謎が解かれるというアンチミステリともパロディともいえる作品だ。今回は、さらにミステリのルールに従うが故に謎が解かれないというのがミソ。このシリーズばかり、10篇くらい収めた短編集を一気に読んでみたい。
「白い朝」
日常ミステリの秀作。何も犯罪らしいものは起こらないが、日常のちょっとした謎が解かれる。
「サイコロ、コロコロ」
この短編集に含まれるシリーズもの的なもう一つの作品。「千春さん」シリーズというのか、千春さんが登場する作品。日常のちょっとした謎の解かれる話。
「おにぎり、ぎりぎり」
これも「千春さん」シリーズだが、なかなかウィットにとんだお話。
エド・マクベインが書いたシャーロック・ホームズのパロディを思い出した。マクベインの書いたシャーロック・ホームズのパロディがなんだか判らないと何の説明にもならないな。これは、87分署の刑事たちがホームズを取り調べるのだが、ホームズは取調べをしているスティーヴ・キャレラに対して「君の奥さんはそうとうのばか者だな」などと得意げに推理を披露するというもの(正確な内容は忘れたけど)。これの何が可笑しいかって、それはキャレラの奥さんのことを知らないと面白くないのだけど、この千春さんシリーズは、ミステリマニアにしかわからないネタではなくて、この小説の中で完結している迷探偵ものといえばいいだろうか。
「蝶」
妙な偶然が生んだちょっとした出来事で、不思議な話のようでもあるが特に不思議な出来事があるわけでもない。なのになんとなく不思議な感じがする。
「俺の席」
どちらかというとショートショートといった感じの毒のある話。
「新釈おとぎばなし」
おとぎの国の殺人事件として「かちかち山殺人事件」の本格ミステリ的解釈。「保険金詐欺ものにおける、公式のひとつ」であるとする。エッセイ風に書かれているけど、ちゃんとしたミステリとして完結する。
[ 『紙魚家崩壊 九つの謎』 北村薫 講談社 ]
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仕事の後、久々に蕎麦屋で飲む。やっぱり蕎麦屋いいなぁ。最近足を運んでいないが、また行きたくなってしまった。
帰宅後、最近恒例の録画ビデオの消化。「美しい罠」、「下北サンデーズ」、「花嫁は厄年ッ!」。「花嫁は厄年ッ!」は録画空き容量不足で最後ぶち切れ。
酔っ払って気がついたら寝てた。
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昼ドラ「美しい罠」の原作である『わらの女』(カトリーヌ・アルレー 東京創元文庫)を読み始める。
読んだことがあるような気もしただが、読んでみても思い出さない。どうやら有名なので読んだ気がしていただけみたいだ。
テレビドラマでは、ヒルデガルデの役名が飛田類子になっている。アナグラム的にヒルダという名前をメールで使っているのが原作の役名に繋がっているのだが、他の登場人物たちもそういうことをしているのかと思ったら、そうではなかった。
終電近くまで残業したら、金曜日のせいかものすごい混雑の電車に乗る羽目になる。1時半くらいにようやく家に着き、泡盛を飲んでたら突然酔いが廻って、今日もいつの間にか寝ていた。今週全然暇がなくて、やっぱり飲まずにいられない。
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朝は一度目を覚ましたのだが、眠くて二度寝したら昼まで目が覚めなかった。昨日飲みすぎたようだ。
『わらの女』(カトリーヌ・アルレー 東京創元文庫)を引き続き読む。
朝寝坊したせいか、夜眠れない。眠れないので、ケータイでmixiにアクセスしていて、友人の死を知る。あまりに突然のことで信じられない。そして何も言葉にできない。
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いまさらながら『ダ・ヴィンチ・コード』の映画を観てきた。近くの映画館では今週で終わりみたいなのだ。
いろいろ悪評を聞いているし、その反面ロン・ハワードだからそれなりのエンターティメントになってるんじゃないかという気もするし、小説は物足りないがその分2時間の映画なら密度も良さそうな気もするし、実際のところどうなんだろうといろいろ妄想を膨らませながら観に行った。
総評。いいじゃん。結構、それなりに面白かったよ。
悪評の一つに、原作を読んでいないと難しくてわからないというのがあった。想像していたのは、言葉の謎が多いので、英語ネイティヴじゃないと、謎解きの意味がわからないのではないかと思ったのだが、その辺は意外とうまく処理されていた。
とはいえ、冒頭のアナグラムから次々と絵画を追っていくところとかはアナグラムでその画にたどり着いたというのはわかるにしても、何故その画なのかよくわからないかもしれない。その点、説明不足は否めない。
あと原作を読んでいないとわかりにくいだろうなぁというのは、館長を殺した犯人とか司教とかの関係。ただ、ここは映画的にはなんか悪いやつがいる、と判ればいいんじゃないかという気がするので、可。
ソフィーと祖父との決別の理由なんかも判りにくかったが、これも仲たがいしていたということさえ伝われば、問題はないのでよしとする。
逆に映画のよかった点。
まず冒頭にルーブル美術館のピラミッドが見られること。これは映画という映像表現ならではのポイントだと思う。
次に、薔薇の下に隠された謎の文字の解明の部分。原作だと、ダ・ヴィンチの逸話を知っている人なら、迷うことなく気がつくだろうことなのに、専門家のはずの主人公たちが悩んでいるのに呆れたが、映画ではそんなばかげた手間はなかった。これくらいのスピード感の方がスカッとする。
同じく墓に隠された球を捜すシーン。これもバカみたいなことに悩んでいるので、原作を読んでいるとイライラするのだが、映画ではさらっと描いていて、やっぱりこれくらいがちょうどいい。
圧巻は、ラストシーンで、薔薇の下に眠る聖杯を描くシーン。ルーブル美術館の完全なロケなのだろうか。ローズラインがほんとうにあの通りなのだったら、いまいちと思っていた原作にちょっと敬意を表する。
それにしても思っていた以上に原作に忠実で、原作を西村京太郎の旅情ミステリに例えて、原作の分量を2時間に圧縮するのはちょうどいいくらいのボリュームかなとは思っていたが、見事凝縮されていたなぁという気がする。
ところで、原作では、この物語に出てくるキリスト教に関する記述や、団体等はすべて実在し、事実に即している、とかいうような注記があるんだよね。
それなのに映画の最後には、この物語はフィクションであり、登場する人物・団体等はすべて架空のものです、とかいうようなテロップが出る。なんだかね。
[ 『ダ・ヴィンチ・コード』 監督ロン・ハワード MOVIXさいたま ]
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月末で忙しく、遅くまで仕事をする。家に帰って、『ザレゴトディクショナル 戯言シリーズ用語辞典』(西尾維新 講談社ノベルス)を読む。
友人の死について書くが、どうしてもまとまらないので、そのまままどこにもアップせずに保存する。明日は通夜。
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