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2005年4月後半
一仕事終わったせいか、いつもと同じ土曜日なのに何から始めたらいいのかわからなくなる。実際、仕事が終わるのを見込んで、予定を入れたのもある。予定を入れたものの、大雑把にしか把握していなくて、ダブルブッキングしていないか不安になった予定が一件、実際にダブルブッキングしてしまい日にちを変えてもらわなければならないもの一件。
そんなわけで今日はそれらを整理して、予定を立てることから始める。
6時半起床。まずは、昨日届いていた不在配達通知の再配達依頼の電話から。24時間コールで、7時までに電話登録すれば午前中に配達してくれるらしい。もちろん音声自動応答。登録をして、ふと考えるが配達もとはカード会社。配達してくるものが思い当たらない。特に買い物はしていないし、ポイント交換の商品もしばらく前に受け取っている。なんだろうと思っていたが、届いた結果を先に書いてしまうとカードそのものだった。カードの有効期限が来て、交換になったのだ。
それはさておき、電話のあとコーヒーを沸かして予定を考える。考える前に、まず決まっている予定をクリエに入力する。最近、予定の立たないことばかりなので、こういう予定入力もしていなかった。入れてみるととりあえずダブルブッキングは一件のみで一安心。これは月曜日にでも早速連絡を入れればすむ。
考えながら朝食。コーヒーが沸いたところで牛乳を沸かして、今日もカフェオレにする。パン2枚とサラダ、焼肉。腹が満ちたところで、コーヒーを飲みながら予定をつめていく。
Webで天気の確認。今日は午後は雨らしい。今日は『バンジージャンプする』と『カナリア』を観に行くことにする。
昼前、先に書いたカードが到着。昼飯を食べて出かける。『バンジージャンプする』はミニシアターではあるが、二館での上映。女性客で一杯。前の方に空席は若干あり、満席ではなかった。イ・ビョンホン主演の恋愛映画だが、かなり変則的な恋愛映画で面白かった。シチュエーションが異常なので、おかしくて笑いそうなシーンとかあるのだが、観客は誰も笑わなかった。笑ったら、館内8割を占める女性客に殺されちゃったかもしれない。
続けて、『カナリア』を観る。塩田明彦監督の新作。これはかなりよい。『害虫』も好きだが、『害虫』よりいいかもしれない。『月光の囁き』の尖りと、『害虫』のアート性と、『黄泉がえり』のエンターテイメントが、全てこなれて一作になったような素晴らしい作品。
劇中、「銀色の道」が流れるが、この歌がまたいい。
映画のあと、行きつけのショットバーに行き、終電近くまで飲む。帰宅してからまた泡盛を飲む。
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中華街にバイキングを食べに行くオフがあり、石川町まで出かける。大宮から石川町というと結構距離があるのだが、最近は湘南新宿ラインができたお陰でかなり楽に行けそうだと思っていた。Webで検索すると、横浜まで湘南新宿ラインで1時間足らずで行くことができる。石川町へは乗り換えて7分。1時45分集合のところ、12時半の湘南新宿ラインに乗ればよいことがわかる。
今朝はなぜか朝起きてから左の肩がひどい肩凝りになっていて、右のほうを向こうとしてもうまく向くことができない。財布を見ると5000円しかないので、途中お金を降ろしていく。でも首は廻らない。あまりに肩凝りが酷いので、湘南新宿ラインではグリーン車に乗ってみようかと思い始める。750円くらいと聞いているが、距離によって値段が変わるのでいくらなのだろうとちょっと気になりながら。
普通車両で座れたら、わざわざお金を出して座っていくのも馬鹿馬鹿しいとは思ったが、ゆっくり眠って行けたら肩凝りが少しはよくなるんじゃないか。それになかなか乗る機会もなさそうだ。新宿あたりに行くのにグリーン車もないだろう。そして、駅について一本前の電車が混んでいるのを見て、グリーン車の利用を決心する。
グリーン車のチケットの自動販売機が階段下にあることは知っていた。そこに行ってみると、スイカ専用の販売機と書いてある。支払いもスイカでできるという。スイカは持っているので、カードをいれてみると、行き先ボタンが表示されて、行き先を選ぶとスイカが返ってくる。以上。
発券データはスイカに書き込まれるので、紙のチケットなど何もない。ものすごくシンプル。このスイカを車内の検札時に読み取るのかなぁなどと思いながら、やってきた湘南新宿ラインに乗る。
グリーン車に乗り、席に着く。スイカでグリーン券を買った人は、座席上部にあてるようにという説明が、目の前に貼られている。座席上部ってあちこち見回すが見当たらない。肘掛とか椅子の背もたれとか見ていたのだ。ふと上を見たら、天井にスイカマークの貼られた読取装置が埋め込まれている。ちょうど、バスなどの冷房噴出し口みたいなところにある。
そこにスイカをかざすと、赤いランプが緑に変わる。説明によれば、これで車内検札も省略とある。なんとも便利だ。
あとはグリーン車の窓から外を眺めてちょっとした旅行気分になりながら、少し眠ってみる。首はよくならなかったが、気分はとてもよかった。一般車両は日曜日のせいか結構混雑していたので、最悪横浜まで1時間弱立っていなくてはならなかったことを思うと、正解だった。
石川町で待ち合わせ。メンバーは6人と意外と少ない。もともと倍以上の人数に声をかけているのだが、人数が多くなるとなかなか調整もとりにくく、結局これくらいの人数に落ち着くようだ。中華料理の食べ放題のバイキングの店に行く。メニューの品物を番号で書いて紙を渡す。料理を食べ終わると次の料理を注文していい。最初に前菜、いくつかの料理を頼んで待つ。人数分の料理が出るとはいっていたが、なかなかボリュームがある。飲み物はビールと最後にはチューハイに変えて結構食べて3200円。ものすごくお得だった。
二次会に移動途中、壁に招き猫が飛び出したビルを発見する。思わず写真を撮ったのが今日の日記の写真。京ポンで写真を撮ったのだが、写真を撮ってボタン一つでそのまま自分のPC用メールアドレスに転送完了。この点はすごく便利だが、カメラはやはりダメ。やはり手軽に持ち歩けるデジカメを買おうかなぁ。
二次会で馬車道というカラオケ屋さんへ。高田渡の訃報を聞いたので追悼に何かないかと見たが歌えそうなのはなかった。Quinka, with a Yawnがカバーしている「コーヒーブルース」があればよかったのだが。坂本九の「涙くんさよなら」もなかった。これもQuinkaのカバー曲。変わりに川越美和と誰だったかアイドルグループの名前の「涙くんさよなら」があったので、川越美和版を選んでみたらなんだかテンポが速くて、切なさが感じられなかった。これもQuinkaのカバー曲だ。あと、フォーククルセーダーズの「悲しくてやりきれない」もライヴでしかやっていないがQuinkaのカバー曲。というわけで、実は一人Quinkaカラオケをやっていたのだが、誰も気づかなかっただろう。
ほかに裏テーマがあったのは、昨日観た『カナリア』で印象的だった「銀色の道」。それ以外はほぼいつも通り。
さらにカフェ・ヴェローチェでお茶を飲んで帰る。帰りも横浜で新宿湘南ラインに乗り換えて帰る。日曜日の遅い時間なので、帰りはグリーン車でなくとも座れた。
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とりあえず、先週一区切りついて今は狭間。忙しいような忙しくないような中途半端な状態。ただ、夜は早く帰れるようだ。というか、帰る。
夜、余裕ができるとやはり映画を観にいこうかとも思うわけだが、なんとなくかったるい。たまには早く帰宅してまったりと過ごしたいとか思ってしまう。そんなわけで今日はマッタリデー。
まずは、モルツを飲みながら、冷奴でスタート。ビールは最近あまり飲んでいなかったが、暑くなってきたせいか、ビールがまたまたうまくなってきた。しばらく前までは、暑かろうが寒かろうがとにかくビールだったのだが、今年の冬に泡盛のお湯割りにはまって以来、ビールの比率は激減していた。
そんなわけで、今日もモルツは1缶のみ。モルツから泡盛久米仙に変えて、つまみも刺身盛合せにバトンタッチ。刺身など食べていると、日本酒も飲みたくなったりして。刺身を食べているうちに、白ご飯がものすごく食べたくなって、ご飯も食べる。刺身のあと、焼肉でさらに一膳。ご飯を食べて満足したら、また飲み始める。つまみが欲しいのでサラダなど食べる。
そんな感じで、マッタリとした夜を過ごす。
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今日もモルツでスタート。あては定番冷奴。冷奴でモルツ350一缶飲んでしまって、さて次はどうしようかと迷ったが、先日買った御酒(うさき)をあける。
御酒(うさき)はこの間書いたけれど、戦争で消えたはずの幻の酒ってやつである。味をはっきり味わいたいのでまずはストレートで飲んでみる。香りも強く、味が濃いというかコクがあるというか、すごくお酒って感じがする。サラダをあてにロックで飲む。
昨日に引き続き、白ごはんの魅力に勝てず、飲酒もほどほどにご飯突入。なぜか、最近カレーを食べていないということを思い出したら、カレーが無性に食べたくなり、気がついたらレトルトのパク森チキンカレーを温めていた。パク森チキンカレー、結構いけると思う。
しかしカレーを食べてしまうと、バカになった舌では高い泡盛はもったいない。ビールもいいけど度数が低いので、こんなときこそ甘めの缶チューハイとかピッタリのような気がするが、在庫切れ。缶チューハイを買いに行くのも面倒なので、泡盛新酒のシークワーサー割を飲む。
山原くいなが一本あったので、それをシークワーサーで割る。近場の沖縄ショップでシークワーサーを買っておいてよかった。
しかし、泡盛のシークワーサー割は濃い。シークワーサー自体が、5〜10倍に薄めて飲めというし、山原くいなは30度ある。泡盛とシークワーサーを半々くらいで割って、氷を入れる。泡盛もシークワーサーもかなり濃い。もちろん水をいれればいいのだが、なんとなく嫌で、氷の溶けるに任せる。
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『アビエイター』でも観ようかと思って映画館に行くが、ちょっと開映に間に合わなかった。時間の都合の合う映画ということで、『英語完全征服』という韓国映画を観る。
この映画については何も知らなくて、ポスターで韓国映画と知ったくらい。タイトルの『英語完全征服』からどんな映画なのか全く想像がつかない。そのまま映画館に入る。
映画は、最初アニメーションで始まる。眼鏡のレンズがぐるぐる渦巻きになっている女の子が、私ってもてちゃって困るのよねぇという独白をしているが、アニメーションの現象はちょっと違う。もてない女の子の強がりというところ。
そして実写に変わる。主人公の女の子は眼鏡をかけてるさえない女の子。彼女は公務員で役所の窓口を勤めている。そこにある日外国人がやってくる。英語で話し出す外国人に、周りの同僚たちは知らん振り、もちろん彼女も英語はちんぷんかんぷん。笑顔でごまかす。
それが切っ掛けで、この役所では誰かが代表して英会話を勉強することになる。そして、その代表が彼女に決まるのだ。
韓国の英会話学校に行く主人公は、そこに来ていた同じ英会話クラスの青年に恋をする。彼は英会話教師に一目惚れしていて、主人公になんか目もくれないのだが、やがて惹かれていくというラヴ・コメディ。
相手役の青年を演じているのは、『僕の彼女を紹介します』のチャン・ヒョクで、帰りにポスターを見たらチャン・ヒョクの最新作というふれこみが書かれていた。 主人公の眼鏡の女の子を演じているのは、イ・ナヨンという女優でこの人は全然知らない。あとで検索してみたら、眼鏡をかけていないと結構美人。
この映画ではイ・ナヨンは眼鏡を最後までかけていて、しかも髪の毛はおかっぱのおさげ髪のようにしていて、ほんとうにさえない。やることなすことドジばかりだし。それなのに、最後の方には可愛く感じられる。
眼鏡をはずしたらすごい美人だったというのがありがちなパターンだが、美人女優を使っているのにそれをしないところがいい。
レイチェル・リー・クック主演の『シーズ・オール・ザット』なんかその典型。というより、『シーズ・オール・ザット』の場合、眼鏡かけてる時点ですでにかわいいのだが、設定上さえない女の子になっているという。まあ、ハリウッドらしいというべきか。そういえば、『少林サッカー』も相手役が美女なのに映画中ではまともな格好で出てこなかったっけ。
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今日明日は夜打合せがあるため、午前中を休みにして午後から出かける。
昨日雨だったことを忘れるような好い天気で、出かけずに日向ぼっこでもしたいなぁという気分になる。ところが、電車を降りると雨になっていた。雨が降るとは思いもしないくらいものすごく好い天気だったので、傘なんて持っていない。ちょうど昨日、傘がなくてコンビニで買ったばかりなので、10分弱の時間だからと小雨に濡れながら歩く。夕方出かける際には止んでいたので買わなくて正解だった。
夜の打合せは19時には終わる。テアトル池袋で1週間だけレイトショウ公開の『富江 REVENGE』を観に行く。先週は『富江 BEGINNING』の上映だったが、結局行けなかったので、今週はなんとしても観ようと待ち時間は長いが行くことにしたのだった。時間に余裕があるので池袋で食事をとる。久々に天丼を食べる。日本酒を飲みたかったが、映画を観ようと思っているのでビールで我慢しておく。食事くらいじゃまだまだ時間が余っているので、ジュンク堂をぶらぶらする。
でかい本屋はいい。ただぶらぶら本を見て歩いているだけでも楽しくなる。ただ、ありとあらゆる本が欲しくなるのが難点ではあるが。『金持ち父さん貧乏父さん』(ロバート キヨサキ 筑摩書房 amazon)を見かけて、なんとなく立ち読みした。面白くて30分くらいで全体をざっと読む。
それから前売券を買いにパルコのチケット売り場へ行く。元々池袋についてすぐに、西武線近くの旅行ガイドにチケットぴあがあったので寄ってみたのだが、しばらく来ないうちになくなったみたいで別のところを探そうと思っていたのだ。先に食事などを済ませて本屋に寄ってしまったので忘れていた。
パルコのチケット売り場で訊いてみると、『富江 REVENGE』の前売は普通の紙のものがなくて、チケット発券になるそうだった。しかしチケット発券は20時までで取り扱いが終了していた。仕方がないので、他にチケットショップがないか少し外を歩く。
ビックカメラの前を通ったとき、店頭の大型ディスプレイに流れている映像に惹かれて立ち止まる。『2046』のDVD発売の広告で、欲しくなる。後日、「欲望の曖昧な対象」に紹介を書く。
21時少し前、テアトル池袋の劇場に上がる。エレベータを降りると意外に人がたくさん待っていて驚く。『富江』はなかなか人気がある。映画を観て帰宅。
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『富江 REVENGE』の上映までの待ち時間で、ジュンク堂を覗いたとき、なんとなく『金持ち父さん貧乏父さん』を立ち読みした。
だいたいベストセラーの類はダメでつまらないという偏見をもっているので、ベストセラーになっている時点で興味がなかった本である。(ちなみに、読まずに判断するのはやっぱり偏見でしかないので、読まない代わりに批判もしないことにしている。ベストセラーは嫌いだけど、ベストセラーってだけで読まずに批判している人はもっと嫌い。ベストセラーになっても当然面白い本、いい本はあるものね。)
なんとなく心に残っていたのは、ちょうど流行っていた頃に身近に絶賛している人がいたからだろうか。何がいいか聞かされたわけでも、薦められたわけでもない。むしろ彼が一人で盛り上がっていた。その盛り上がり方がよかったのかもしれない。いろいろ聞かされたり、薦められたりしたら、印象に残っていなかったかもしれない。
そんなわけで、見かけたときに「そういえば」という感じで手にとってみた。開くと思ったより字が詰まっていることに驚いた。もっとすかすかの本だと思っていたのだ。やっぱりこの辺偏見があったかもしれない。
ざっと読んでみたのだが、これがなかなか面白かった。金儲けとか財テクの本だと思っていたが、−−実際、そういう位置づけにもある本でもあるのだけれど−−、むしろ人生観を語っているような部分が面白かった。
この本はシリーズになっていて、より具体的、実践的な投資の話に続くらしい。そこが「金持ち父さん」というタイトルにも現れているが、僕が気に入った部分からすると「金持ち父さん」は金持ちかもしれないけど、むしろ「自由な父さん」といったほうが近いかもしれない。この本は金持ちになる方法ではなくて(だいたいこの本を読むだけで、そして金持ち父さんの生き方を選択したからといって、それだけじゃ金持ちになれるわけではない)、お金に束縛されずに自由に生きることの薦めだと思うのだけど、それには非常に勇気づけられる。日本では安全、確実な生き方(つまり貧乏父さんの生き方)が正しいとされて、それ以外の選択は肩身の狭いから。
貧乏父さんの生き方は、自分の時間を切り売りする生き方で、多くの人−−特に日本人は余計そうだろう−−の生き方である。そして最近自分が疑問視している生き方でもある。それに対して、金持ち父さんの生き方は解答を示している。経済的なことだけを言ってしまえば、貧乏父さんの生き方は搾取される労働者で、金持ち父さんの生き方は搾取する側の経営者ということに尽きるかもしれない。でも、その選択の前にあるのは生き方の問題だと思う。
全然違うのだが、最近読んだ『失踪日記』(吾妻ひでお イーストプレス amazon)を思い出した。吾妻ひでおは漫画家として好きなことを仕事にして成功している人物のように思っていたが、仕事のプレッシャー等に悩み、失踪する。浮浪者生活は、お金はないのに逆に自由な生活をしているように見える。もちろん、漫画にかけない苦労話や、笑い話にできない現実があるはずだが、でも失踪中の生活の方が生き生きとしているように見える。
苦労話や裏事情はむしろ漫画家のときに問題があるのであって、失踪後ではないように思える。
金持ちか貧乏かというと逆転してしまうのだが、漫画家の吾妻ひでおは貧乏父さんに見え、逆に失踪中の吾妻ひでおは金持ち父さんに見える。『ま・く・ら』(柳家小三治 講談社文庫 amazon)に収められた「駐車場物語」に出てくる、駐車場に住み着いてしまう浮浪者の長谷川さんも金持ち父さんのようだ。
金持ち父さんの生き方を選んでも、金持ちになれるとは限らないと思う。もちろん金持ち父さんの生き方を選んで、さらに成功をするための方法を語っている本だとは思う。しかし金持ち父さんの生き方に賛同しても、成功までたどり着ける人の方がすくないんじゃないだろうか。ただ、サクセスストーリーとその薦めの本なのだから、失敗例については触れられることはないだろう。触れられるとしても、教訓レベルで終わるはずだ。
だけど、そういう財テクの本ではなくて、人生観の提示をしている本として読んでみたい。その読み方が正しいのかは読む人の判断に任せよう。『失踪日記』にも『ま・く・ら』にも、そういうテーマを見出してしまうというのは読み方に偏りがあるのかもしれない。けれど、『金持ち父さん貧乏父さん』の中で、目から鱗が落ちるような考えを指摘されるのも事実だ。それが何かはここには書かないでおく。書いてしまったら、読む意味がなくなってしまうと思うから。
感想は書いたけれど、実際には30分くらいでざっと読んだだけので、もう一度真面目に読んでみたいものだ。
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『富江 BEGINNING』『富江 REVENGE』共に、菅野美穂が主演した『富江』第一作と同じ及川中監督による映画化だ。ちらしの説明や写真を見る限り、『富江 BEGINNING』は一作目の前に当たる話で、原作の最初の「富江」をベースにしているようだ。
『富江 REVENGE』は、タイトルどおり「富江・復讐(リベンジ)」をベースにしている。あの冬山のエピソードとだいぶ違う話に膨らんでいるが。
『富江 REVENGE』の富江役は伴杏里が演じている。イメージ的には今ひとつ。狂気的な笑いをするところはいいのだけれど、それくらいだろうか。美波が記憶を失った少女役で出てきて、重要な役目を果たすのだが、その点では成功なのかもしれない。
ストーリー的には、つじつまが合わないような、意味不明のまま終わってしまう部分がいろいろあって不満が残る。何でもかんでも明快にわかるよりも、多少謎が残ったりつじつまが合わないような部分があるのは、こういう映画の場合かえっていい部分もあると思う。ラストシーンの一連の流れは、現実なのか夢なのかわからないまま進んで、やっぱり現実なのかと思うとつじつまが合わないと思ったりするのだが、これは悪くない。いや、むしろ面白いとは思う。
しかし、それ以前の大きなストーリー、嶋田久作演じる病院の院長と富江の関係、美波の演じる記憶を失った少女と富江の関係、その辺くらいはもう少し説明が必要じゃないだろうか。
それと、富江が語る「男が戦争を起こす。男なんかみんな死んでしまえばいい」という一種の演説は、9.11を意識した台詞のように思うが、演説口調で言われてしまうとしらけてしまう。
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なぜかすっかり頭から抜け落ちていたが、ここ数日『ホテル・アイリス』(小川洋子 幻冬舎文庫 amazon)を読んでいた。小川洋子の旧作で、たぶん絶版になって手に入らなかったのが、再販になったので買ったのだが、それはもうずいぶん前のことで、それをようやく読んだのだった。
角田光代の小説を読んだあとに、何を読もうかと本棚の未読本コーナーを見渡して手に取った。個人的小川洋子フェアとかいって持っていなかった作品で手に入るものは全て購入したのに、そのまままだ読んでいないものがまだたくさんあった。
とてもエロティックな作品だった。ちょっとSMチックでもある。マゾヒスティックな純愛というのか、奇妙な恋愛関係を描いているけど、恋愛なんてこんなもんでもしかしたら奇妙じゃないのかもしれないけど。
角田光代の『菊葉荘の幽霊たち』(ハルキ文庫 amazon)は行き帰りの電車で1日で読んでしまったので、同じような厚さの『ホテル・アイリス』もそんな感じで読みおわってしまうかと思ったのだが、あにはからんや一週間くらいかかってしまった。
つまらなかったのではないし、もったいなくてゆっくり読んでいたのでもない。でも一度にたくさんのページは読めない感じで、少し読むと特に疲れたり眠くなったりしたわけでもないのに本を閉じることが多かった。そのときにそれまでの内容を反芻してみたりということも特になかった。
ただ、もしかしたら、小説を読んで思いついたいろんなことに思いを馳せていたのかもしれない。
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休日。朝まで飲んでいたので、昼頃に起きる。朝からくしゃみ、鼻水が止まらない。不摂生のせいだろうか。夕方近くに出かける。
このところ『ま・く・ら』(柳家小三治 講談社文庫 amazon)を読んでいる。今日も続きを読むつもりで、出かける際に手に持っていたのだが、電車に乗ってから気がついたら持っていない。
出かけると直前まで持っていたのに。あれ?
家に帰ると、玄関においてあった。靴紐を結ぶために棚において、靴紐を結んだあとそのまま出てきてしまったのだった。とほほ。
このことをmixiの日記に書いたら、同じように靴紐を結んでいるうちにやるはずのことを忘れてしまった書き込みを貰ったのだが、その結びが、「靴紐を結ぶ行為は、人の意識をあっちにやってしまう」のではないか書かれていて、これはすごいと思った。
と言われた。これから使おう。
出かけたのはアテネフランセ文化センター。久々にアテネに行ったのは、篠崎誠監督の「一人刑事(でか)まつり」を観るため。いわずとしれた「刑事まつり」シリーズのうち篠崎監督作品ばかり2本を上映、トークショウというもの。上映作品は、『忘れられぬ刑事たち』『霊感のない刑事』の再編集ロングバージョンである。
朝からくしゃみが断続的に出てかなり不調だったので、もたもたしていたら出かけるのが少しばかり遅れてしまう。
近頃、新宿あたりなら30分圏内という意識もあって、出かける時間の見積を誤ったというのもある。アテネは水道橋なので、もうちょっと時間を見る必要があった。
結局、17時上映開始のところ、10分遅れくらいで着いたのだが、フィルムが届かないというトラブルで上映会前にトークショウをしていたおかげで、映画については最初から見ることができた。
映画のあとに篠崎監督と少し話をする。今日飲みに行くという案もあったがもう一人の友人は都合がつかなかった。打ち上げがあるらしく、知ってる人が監督しかいないが一緒に行くか誘われたが、体調も不調なので辞退して帰る。
帰宅後晩酌。結局飲んでいる。最近の定番で、モルツと冷奴からスタートする。あじとイカの刺身で、泡盛。昼間は暑いくらいなのに、夜はちょっと寒いので泡盛はお湯割で。刺身のあとは、長芋、続いてトマトサラダと大根サラダとサラダづくし、気分が良くなってきたのでご飯でしめる。つうか、食べすぎじゃないか。
時間が経ったらだんだん覚めてきて、今度はロックで御酒(うさき)を飲んだり。ソファで転がったら眠ってしまう。
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「刑事まつり」シリーズのうち篠崎監督作品ばかり2本を上映、トークショウというもの。上映作品は、『忘れられぬ刑事たち』『霊感のない刑事』の再編集ロングバージョンである。
17時上映をめがけて行ったが、10分くらい遅れてしまい冒頭見逃してしまうと諦め半分でいたが、入り口で当日券を買うときに、フィルムの到着待ちで先にトークショウをしていると聞く。
遅れて入ったので正確な状況はわからないが、今日の朝まで編集をしていてフィルムの上りが遅れてしまったということだったようである(推測)。
中に入ると、トークショウの最中かと思ったら、舞台の上で篠崎監督が携帯電話で話していて、「今、できたそうです。バイク便の人も待っているので、まもなく出発できるようです」などと状況説明をしていた。
フィルムが届くまでの間、飛び入りゲストで、保坂大輔さんを会場から呼び出し、浦井崇さんを呼び出し、万田邦敏さんと高橋洋さんを呼び出し、さらにポスタープレゼントのジャンケン大会をして、時間をつないだ。
映画のあとに予定があった人は困ったかもしれないが、そうでなければ豪華ゲストあり、裏話炸裂の貴重なトークショウを満喫できる一時間だった。
いよいよフィルムが到着。映画の上映が始まる。
『忘れられぬ刑事たち』は「刑事まつり」の最初の企画で作られた作品で、当初のコンセプト通りギャグ満載で爆笑の連続。タイトルからわかるように、『忘れられぬ人々』のパロディにもなっているが、それはごく一部。むしろいろいろな刑事が出てくる小ネタの集まりという感じ。会場では間歇的に爆笑が聞こえる。
『霊感のない刑事』は、『ボディ・スナッチゃーズ』のパロディにもなっているのだが、他にも『呪怨』っぽかったり、箱男みたいなのやいろいろ盛りだくさん。その上、せつなく悲しい話も織り交ざっている。こちらは笑いが少ない。笑う部分より、切ない部分、監督の言葉によればダークな部分が多い。
その二つの要素があること自体はいいのだが、二つの別の要素があるように思えた。これは二本の映画にしたほうがよかったのではないかと個人的には思う。
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昨夜は飲んでいるうちにまたソファーで寝てしまう。ソファーに横になったら、そのあと必ず眠ってしまうのがわかっていて、ソファーに転がる。でもこれが気持ちいい。「スーダラ節」で、よせばいいのにはしご酒、気がつきゃホームのベンチでごろ寝、ってあるけれど、これは気持ちいいんだよね。これじゃ躰にいいわけない、ってのはその通り。
そんなわけでいつの間にか眠っていて、気がつくと4時頃だった。風呂に入って、Webとか見て、着替えて、さあ寝ようかと思うと外を見ると、もう空が白みかかっている。なんなく寝る気がしない。それで、このまま一日のスタートにする。
さっきまで、「飲んでいるうちにソファーで寝ちゃって明け方寝る」、と書くはずだったのに、「飲んでいるうちにソファーで寝る。4時起床、朝風呂、Webの巡回など」に変わる。
同じようなのだけど、微妙に違う。
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木曜日、映画を観るまでの時間が余った際に池袋をぶらぶらしていて、ビックカメラの店頭テレビで流れるビデオに惹きつけられて立ち止まった。女性のアンドロイドの姿が映っていた。これは何の映画だろうと見ていたら、フェイ・ウォンやチャン・ツーイーの名前がテロップで表示される。近未来的な映像のイメージもなんだかいい。最後にタイトルが出た。『2046』。そして監督がウォン・カーウァイで、DVD発売とでた。新作映画の予告かと思っていたら、DVD発売だというので驚いた。
こんな映画知らなかったと思ったが、去年の秋頃公開されたらしい。その頃といえば、映画などを観に行けなかったころだ。映画情報はWebでチェックしていたけれど、それも完全ではない。見逃していたみたい。
あとで調べてみたら、他の出演はトニー・レオンと木村拓哉とか。女優たちは、コン・リー、フェイ・ウォン、チャン・ツィイー、カリーナ・ラウ、チャン・チェン、マギー・チャン(特別出演)という豪華さ。
レビューを見ると、ストーリーよりも映像美の映画という感じがする。とても観てみたい。
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福知線の脱線事故でどこもかしこももちきり。
この事故のことはmixiの日記で知った。複数の人が事故の酷さとか巻き込まれた知人がいないかの心配、自分にとっても巻き込まれる可能性のあるリアルな出来事として感じたことなど書いていた。
その後、昼間は仕事に追われてそれきり忘れていた。夕方、Webで事故を知った人が「なんかすごいことになってますよ」とニュースのページを示す。帰り道、キヨスクや車内で読んでいる人の新聞に事故の見出しが見える。
家に帰って、珍しくニュースをつける。最近はテレビはケーブルで音楽番組とか映画などしか見ていなくて、地上波はほとんど見ない。ニュースすら見ることがほとんどない。それを事故のことを知るためにテレビをつけた。そうやって、事故のことを知りたいと思うのが、なんとなく不謹慎なような気がする。知らないのもまた別の意味で不謹慎な気がする。
なぜだろうと思ったが、事故をmixiで先に知ったからじゃないかと思った。
ここ十年くらい、そういう情報はネットから知るほうが早い。しばらく前まではniftyで、最近だとmixiで、どちらにしても、ニュースなどではなくて口コミで知るのだ。
普通の人は昼間は事件について知らず、帰宅してテレビをつけて知ることが多いだろう。帰りに他人の読む新聞や帰宅したときに家人に知らされるかもしれないが、それまでは情報がないままニュースに触れることになる。そして、その事件に対して、感想を漏らす。あるいは知人の安否を心配し、あるいは批評家ぶってみる。
それが順序が逆になり、口コミで事件の概要を聞き、感想・批評などまで聞いてしまうと、事件についての一通りのことはわかってしまう。そのあとでニュースなどで知ろうとすることがなんとなく健全な感じがしないのだ。もはやわざわざ知ろうとする必要はないはずで、それを知りたいのは単なる興味本位なんじゃないかという気がしてしまう。
今回の事故でも、映像を見たいと思うことが不謹慎なような気持ちを起こさせた理由ではないかと思った。
しかし百聞は一見に如かずで、映像を見ることで口コミで聞いた情報を整理することができた気がする。口コミで聞いた内容はどうしても主観が混じった情報になる。強調された情報に想像は膨らみがちである。テレビや新聞のニュースが必ずしも正確で正しいものではないかもしれないが、やはり必要だ。
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土日にいろいろやることができたとおもっていたが、平日になったとたんにまた日常的なあれやこれやに追われて何もできない。
昼間も一日ものごとが進まずに、ずっと忙しいのに朝と何も変わっていない気がした。23時帰宅。
すごくつまらない。日記に書くこともなくなる。日常的なことにも日々発見はあるだろうし、何も書けないということありえない。でも書けない。これは文章として書けないのではなくて、ネットに書けないということ。まだ見世物のサルになりきれないということだろう。
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激しく飲む。年に一度のある行事で飲みに行く。
最初は缶ビールやちょっとしたつまみを買ってきての一次会。訳あって遅れて参加したので、ビールはあったがつまみは柿ピー程度のささやかというより、貧弱な宴会。缶ビールも発泡酒だ。その貧弱な宴会にみんなフラストレーションがたまっているので、店を予約した二次会ではみんな注文し放題。
飲み物は、ビールから途中で日本酒に変えて、0時を廻るまで飲み続けてた。ちょうど終電の時間だったので、ギリギリ電車に飛び乗って帰る。
家に帰ると何もせずとにかく服だけ着替えてベッドに倒れこむ。そのまま眠りに落ちた。
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6時の目覚ましで起きると風呂を沸かす。そして風呂の沸くまでまたうつらうつらと眠る。昨夜何時に眠ったのかまだ眠い。日本酒をだいぶ飲んだ気がする。
今日は朝から勉強会がある。いくら眠ってもまだ頭はぼんやりしているのに、スライドを映すため部屋の明かりを消す。絶対に眠くなるだろうから、なんとしても寝ないようにしなくてはと思ったが、意外なことに眠くならなかった。ちょっと面白かったからだ。面白かったのは説明そのものではなくて、説明された対象のもの。
なんだろう。たぶんうまい食材でまずい料理が出てきたと例えてみようか。その食材でもっとおいしいものが作れるんじゃないか、とそんな興味。なんか失礼な例えだが、でもそんな感じだ。
午後ルーチンワークの繰返し。夜21時半くらいまで仕事をして、飲んで帰る。電車が遅れていて、めちゃくちゃ混んでいた。30分遅く家に着く。
惰性でこんなことを書いてもやっぱりつまらない。連休中に面白いことがあることを期待。
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10時過ぎに起きる。とりあえず、溜まっていた日記を書く。あまりたいしたことは書いていない。単なる日付分の穴埋めみたいなもの。なので、いつも通り最新1日分しかトップページには残していない。もうちょっとまともなことを書いていたら、トップページを最新数日分残しても良かったのだけど。(気になる人は過去ログに移動して読んでください。)
ゴールデンウィークはカレンダー通りのお休み。特に遠出の予定はなく、ささやかな予定としては飲み会が2件。ずっとやりたかったサイトのリニューアルを始めるかもしれないけど、始めないかもしれない。
昼間ずっと、ポルノグラフィティの『ネオメロドラマティック』のPVを見て/聴いていた。ポルノグラフィティって、『アポロ』でデビューして大ヒットしてた頃とか全然興味がなかったのだが、最近この『ネオメロドラマティック』で好きになった。『ネオメロドラマティック』の印象は『アポロ』に似ていると思うのだが、『アポロ』のときには何も思わなかった。これは自分が変わったのだろうか。今更ながら、『アポロ』を聴いてみたい気がする。
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14年飼っていた実家の猫ミーが死んだ。昨夜、既に身動きもしない状態で、ぐったりとしていた。今朝起きると息を引き取っていた。
耳が皮膚がんになって切ってしまって耳のない猫だった。そのときにも死にそうになったし、そのあとにも何度も死にそうなことがあったのに、そのたび生き延びてきた。
14年も生きたのだから、十分生きたと思う。どれだけ生きたって十分じゃないというかもしれないけど、寿命っていうものはあるだろう。
写真は5年前の元気な頃のもの。でも耳はない。
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『ま・く・ら』(柳家小三治 講談社文庫 amazon)を読む。これには続編の『もひとつま・く・ら』(柳家小三治 講談社文庫 amazon)というのがあるのだが、何を間違ったか続編の方から読んでしまった。いや、続編といったって、続きものの物語などではないので、順番は関係ない。しかし、これは『ま・く・ら』から読んだ方が断然読みやすかったとあとからわかった。
『もひとつま・く・ら』を読んだとき、ものすごく面白いと聞いていたのに、最初のうちは笑いどころがつかみづらくてどこで笑ったらいいのかわからないようなところがあってなかなか入り込めなかった。落語のまくらを集めたものだから、その笑いの感覚は語り口の妙を掴んだり、場合によったら会場の雰囲気まで想像しないと笑いどころがわからないのである。そのうちにだんだん面白くなってくるだろうと思いながら読んだのだが、予想通り雰囲気がつかめるようになるとなかなか面白くなってきた。
今回、『ま・く・ら』の方を読んでみたら、こちらはすらすらと読めて、なおかつ面白い。気がついたら3分の1くらいを一気に読んでいた。この違いは、すでに『もひとつま・く・ら』を読んで、語り口に慣れていたからかというと、そうではない気がした。
『ま・く・ら』の方は、まくらといいつつも、最初に収められている数編、特に「ニューヨークひとりある記」「めりけん留学奮戦記」「駐車場物語」などは、まくらというより既に創作新作落語といってもいいできあがりになっている。これらは各編の終わりに書かれている日付と演じた場所のところにも、何々の落語のまくらとは書かれていないので、たぶん単独で話したものなのだと思われる。それはそうだ、これだけで結構なボリュームがあって、落語の前に話すような量じゃない。
『もひとつま・く・ら』のあとがきに、言い間違いやつっかえたりしたのも極力そのままにしてあり、わからなかったらその部分をゆっくりニ、三度読んでください、というようなことが書かれていたのを思い出す。これが『もひとつま・く・ら』の入りにくかった理由で、やはりその語り口の妙を味わうことができないと面白さがわからないのだ。噛み締めると味がじわじわ出てくるスルメみたいな本なのである。
そこへ行くと、『ま・く・ら』の方は、最初の数編が噺としてまとまっていることからか、素直にそのまま面白く読める。これが『ま・く・ら』が読みやすい理由だと思う。
それじゃ、『ま・く・ら』は面白いけど、『もひとつま・く・ら』はつまらないのかというと、そうではなくて、先に書いたようにスルメのようにじわじわと、噛み締めればかみ締めるほど味が出てくる面白い本なのである。小三治のまくらの妙は、面白くて読みやすいまとまった噺よりも、それ以外の方が味がある。『ま・く・ら』も最初の数編は、噺らしいのだが、後半に収録されている作品の方がとりとめもなく、話が脱線したり長くなったりするまくらがだんだん出てきて、そこからがやはり小三治の本領発揮という感じなのである。
この面白さの理由はなんなのだろうか。馬鹿馬鹿しい話から、真面目な話まで、とりとめがないようでいて、一本筋が通っているところにその理由があるように思う。
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