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2006年11月前半

2006/11/07

なかなか復活できない。

 いよいよ復活、と宣言したまま停滞が続く。なんとなくまとまったものを書く気力が出ない。メモだけにしておけば書けるのだろうが、書きたいことが頭の中で膨らんでいくと、すぐに書くことができずにあとで時間のあるときに書こうと思ってしまう。

 とりあえず、半月間の映画と読書など。他で書いたメモの転記はあえてせずにリストアップのみにしておく。

 映画は『Sad Movie』(試写会で)、『夜のピクニック』、『虹の女神 Rainbow Song』を観た。『虹の女神 Rainbow Song』が良かった。

 読書は、『下北サンデーズ』(石田衣良 幻冬舎)、『孤宿の人』(宮部みゆき 新人物往来社)。『孤宿の人』はなかなか面白かった。
 今日から『少し変わった子あります』(森博嗣 文藝春秋)を読み始める。半分くらいまで。

 あとはテレビドラマ多数。ドラマは選んで見るはずだったが、それでも週に10本くらい見ているのでドラマ鑑賞に追われる日々。

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2006/11/08

飲み会

 仕事の打上げで飲みに行く。久々に激しく飲んで、家に帰ってそのまま寝る。おかげで読書も進まず。最近の日課になっている録画したテレビドラマの消化もなし。

 などという、くだらない日常もメモに残すことで復活を図る。(といいつつ、後日書いているのだけど)

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2006/11/09

『ゲド戦記』

 今週で終わりということで、慌てて『ゲド戦記』を観に行く。こんなに観に行くのが遅くなってしまったのは、いろいろと観る前に気になることがあったからだろう。

 まず監督が宮崎駿の息子の宮崎吾郎だというのがちょっと引っかかっていた。もちろん親子二代の役者もいれば、映画監督や音楽家にも親と同じ職業の人はたくさんいる。しかし、それまで何の作品も発表していなくていきなりジブリの新作長編の監督に抜擢されて、監督と聞いても果たしてほんとうに優れた作品を創れるのかと疑問に思ってしまう。まあ、それは先入観というやつで、そんなことは作品を観て判断すればいいことなのかもしれない。
 そんなとき、『ゲド戦記』の絵コンテ集を見かけ、パラパラと見て好感を持てた。絵コンテは共同執筆となっていたので、どこまでが宮崎吾郎のものなのかわからないが、イメージボードもあったりして、父親譲りの絵の才能はありそうに思えた。この絵コンテ集を見てから、なんとなく『ゲド戦記』を観に行きたいという気になったような気がする。それまでは、心のどこかであまり観たくない気がしていたのかもしれない。

 原作は二十年前くらいから読みたいと思いつつ読んでいない。映画を観る前に読みたいと思っていたので、これも『ゲド戦記』を観に行くのが遅くなった理由の一つになる。結局、読む時間はなくて、原作を知らずに観る。映画化された時点で、別作品だと思うので、別に構わないのだが、絶対素晴らしいと信じている原作を先に知っておきたいというだけなのだが。そんなに素晴らしいと信じているのなら、さっさと読めばいいのだが評価が定まって安心できるものはなんとなく慌てなくていいような気がしてしまうのだろうか。あるいは構えすぎてしまうのか。何故か後回しになってしまう。

 そんないろいろな思いがあって、でもそれも忘れて映画に向かう。しかし始まってすぐにやっぱり宮崎駿作品の画だなぁという気がしてしまう。悪人キャラも、ルプカ、ムスカなどに続く系譜を引いている。ポスターなどで、そういう絵柄だと知っているのに、やっぱり同じだとしっくりこない。宮崎駿作品なら、いつものパターンだと思ってもそれは安心感のように感じる気がする。
 ディズニーアニメのように、もはや宮崎駿の絵柄はジブリアニメの絵柄になっていて、宮崎駿のオリジナリティではなくて、そういう商品のようなものだと思うべきなのかもしれない。
 そんな中で、面白いなぁと思ったのは、主人公の表情が別人みたいにころころと変わるところだ。人格が変わるような場面があるが、その場面を覗いても怯えたときなど、よく変わる。

 展開は意外と地味で、それでも飽きさせない。そしてテルーの歌うシーンなど、ただ歌を歌うだけのシーンだが泣かせるものがある。悪くないと思うのだが、それでもなぜか最後盛り上がりに欠ける。
 宮崎アニメ同様にクライマックスに連れて高い場所に舞台が移り、最後には崩壊するという常套手段できているが、なんとなくスリリングな感じがしない。それだったら、これまでの静かな場面の方が、むしろ印象に残るシーンが多い。

 なんで最後盛り上がらないんだろう。そしてどうしてこんなにしっくりこないんだろうかと考えながら帰る。思ったのは、最後の最後が、まるで密室に抜け道があったというようなアンフェアなミステリみたいな気がしたのだと思った。
 抜けない剣が鞘から抜けるときもそうだけれど、こういうのは何が起こるか見せるのは一回勝負ではある。これはこれでいい。しかし最後のドラゴンはそういう納得がしにくかった。唐突であって、十分な説明もされていない。

 全体的にいろんな部分で説明がされないままの部分が多いのもしっくりこない理由の一つかもしれない。世界の均衡が崩れていることの説明、アレンの父親殺しの動機、ゲドとクモの過去の確執、テナーがゲドと出会ったらしい墓所、アレンの剣の秘密、テルーの過去とドラゴンのこと、それらが何も説明されていない。説明されないいろいろなことを想像し推測するのも面白さの一つだと思うのだが、あまりに基本的な部分で説明のないままのものが多すぎるのだ。
 説明のない部分が多い理由として、全体に長い物語の一部を切り取ったときに、そこからはみ出てしまう部分を、映画の範囲にばっさりと切り落としたくなかったのかなという気もする。これは原作を知っていると作品世界が広がるし、何もかも一本の映画の枠に収めてしまうのは良くないと思うが、それにしても説明が省かれすぎているように思う。

 そんなわけでどうも消化不良を感じる映画だった。

[ 『ゲド戦記』 監督宮崎吾郎 MOVIXさいたま ]

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2006/11/10

『少し変わった子あります』 森博嗣

『少し変わった子あります』 森博嗣 文藝春秋  森博嗣の『少し変わった子あります』を読む。

 しばらく前に森博嗣はもう読まなくてもいいと思ったのだが、相変わらずコンスタントに新刊が出ていると気にる。今回は、『少し変わった子あります』が、シリーズではなかったのと、ちょっと変わったタイトルになんとなく読んでみたくなった。

 短編集である。それも、主人公がある料理屋に食事に行き、そこでの出来事、感じたことが綴られるというパターンの話の集めた連作短編となっている。料理屋に行って起こる出来事はそんなに大きく変わらない。そこで何が事件が起きるというわけではないのだ。むしろ些細な出来事と、それに対する森博嗣らしい思索というか哲学というか、そんなものが繰り広げられる。当たり前で普段考えなくなってしまったことを、ふと指摘されて「ああなるほど」とか「そうかもしれない」などと思うことがあり、それが面白い。

 短編のタイトルは、表題作のほかは「もう少し変わった子あります」、「ほんの少し変わった子あります」、「また少し変わった子あります」、「さらに少し変わった子あります」、「ただ少し変わった子あります」、「あと少し変わった子あります」、「少し変わった子終わりました」と続く。最後のタイトルが暗示するように、この一冊で一つの物語になっている。

 あとはネタバレ的なことを少し書いておく。

 最初に書いたある料理屋というのが変わっている。店は特定の場所で営業しているのではなく、予約を入れるとその都度場所を指定され、行ってみるとそこは普通の料理屋ではない。ときには住宅街の一室、ときにはビルの一室。
 客はいつも主人公だけである。その店には、一人で行かなくてはならない。二人以上で行くことはないし、主人公も行った先で他の客に遭うこともない。
 そして店では毎回違う女の子が一緒に食事をしてくれる。それが「少し変わった子」になる。共通しているのは個人的なことは話さず、ただ静かに黙々と食事をして、少しだけ会話する。
 主人公は、この静かな時間に、勝手に考え、何かを思い出し、ふとしたことを思いつく。
 それだけの話なのだが、意外と面白い。

[ 『少し変わった子あります』 森博嗣 文藝春秋 ]

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2006/11/11

『NANA』

『NANA』  映画館での上映時、観たいと思っていたのだが見逃していた『NANA』をDVDで観る。

 なんだかテレビドラマみたいで、映画を観ている気がしなかった。独白がたくさんはいるせいかもしれない。原作を読んでいないので、どれだけ原作に忠実なのか判らないが、なるべく原作に忠実にしようとしているのではないかという気がする。そういう映画はやっぱり原作の枠にとらわれてしまって、なかなか単独で面白いと思える映画にならないと思うのだが、『NANA』もそんな感じであんまり面白いとは思わなかった。

 ただ、何箇所か良かったシーンはある。一つは、ナナが携帯電話をマイク代わりにテーブルの上で歌いだすシーン。もう一つは、最後にナナからハチへの意外なプレゼントのシーン。他にもあるかもしれないが、すぐに思い出すのはこの二つのシーンだ。前者は元々中島美嘉を好きなので、音楽の効果も大きいが、なかなか良くできたシーンじゃないかと思う。
 映画を褒めることににはなっていないが、他にもライヴのシーンはいい。中島美嘉も好きだけど、ライヴァルバンドのヴォーカル役の伊藤由奈も好きだというのもある。ただ、映画の中では歌を全部聴けるわけではないので、今度はそこに欲求不満を感じる。

 この映画で一番良かったのは、宮崎あおいの普段の役柄と全然違う役柄を見られたことかもしれない。いつものキャラとは正反対のようなキャラなのに、とてもらしく見えて可愛かった。そう、宮崎あおいのハチって役はどうしようもない女の子なのに可愛く見えたのだ。やっぱり宮崎あおいはすごい。

[ 『NANA』 監督大谷健太郎 ]

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