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5月後半

『コンスタンティン』
『コンスタンティン 特別版』  『コンスタンティン』を観てきた。なかなか面白かった。これは、ホラーでもSFでもなく、「闘病アクション」と名づけようと思う。まるで、死に至る難病と向き合った闘病ものを、いっそ悪魔との闘いで表現してみてはどうだろうと考えたんじゃないかという気がしてくる。

プロデューサー「今度の映画は闘病ものだ」
脚本家「アクション映画じゃなかったんですか?」
プ「アクションものだが、死を宣告された主人公が病気と文字通り死闘をするのだ」
脚「な、なるほど…。つまり、……病気のハンデを持ちながら、戦うのですね。陰のある主人公ですね」
プ「違う違う、病気と闘うアクションなんだ。闘病ものは病院のベッドでただ苦しんでいるだけになりがちで辛気臭くてかなわん」
脚「はあ」
プ「しかし、病気で苦しんでいるとき、血液の中のなんとかいういいヤツが……、ホレなんっていった。ばい菌をやっつける…」
脚「白血球ですか」
プ「そうだ。その白血球がばい菌をやっつけているわけだろう。その闘いをアクションで見せるんだ」
脚「白血球がばい菌と戦うんですか?」
プ「ばかもん。そんな科学ドキュメタンリーみたいなもん、誰が見る。アクションものにするんだ」
脚「血液の中にミクロ化して入り込むとか?」
プ「それじゃ、『ミクロの決死圏』と同じだろう。もっと違うものを考えろ」
脚「例えば?」
プ「ばかもん。それを考えるのが君の仕事だろう。そうだ。キアヌ・リーブスを使おう。『マトリックス』なみにバンバン銃を撃つのだ」
脚「銃ですか」
プ「そうだ。キャリー=アン・モスも病気にしよう。キアヌと並んでバンバン銃を撃つ。どうだ、ストーリーはできそうか」*1
脚「ええと、病気を擬人化してみてはどうでしょうか。例えば病魔を悪魔に擬人化するわけですね」
プ「なるほど。悪魔か。よし、キアヌ・リーブスはエクソシストにしよう」
脚「悪魔祓いですか?」
プ「あの『エクソシスト』も悪魔なんかいないという解釈ができるだろう。ホラーでありながら、立派な人間ドラマになっているではないか」
脚「なるほど、悪魔などいなくて病気なのですね」
プ「そうだ。だから病気との闘いは、擬人化された悪魔たちとの激しい戦いとなる。銃をがんがん撃ちまくり、なぎ払うのだ」
脚「しかし、悪魔を倒すのは聖書や聖水や十字架で、銃は使いませんよ」
プ「病魔を悪魔に擬人化するのは君の案だ。銃で倒す方法を考えるんだ」
脚「しかし、悪魔に銃っていうのは…」
プ「銃をバンバン撃つのだ。なぜ銃で悪魔が死ぬのかは君が考えることだ。わしの考えることではない。とにかくバンバン撃てばいいんだ」
脚「十字架を鋳なおして弾丸にするとか?」
プ「そうだ。ちゃんとアイディアがあるじゃないか。そして悪魔との戦いに打ち勝てば、病気も治るのだ!」
脚「病気の話に戻るのですか?」
プ「そうだ。闘病ものだぞ。病気が治らなくてどうする。死を宣告された主人公の病気が治る。それで決まりだ」

 たぶん、こんな風にして映画はできたんじゃないか。

 冒頭、地中から発掘された何物を持って異常な行動をとり始める男。そして場面は変わって、天井に張りついた奇怪な少女を発見する母親。そして、現れるキアヌ・リーブス扮するコンスタンティン。彼は火のついた煙草をテーブルの端に乗せると、悪魔祓いを始める。この辺、『エクソシスト』のオマージュという感じだ。

 それでもって、敏腕プロデューサーのいうようにマニア受けするホラーではなく、銃をバンバン撃つアクションものになっている。脚本家はとにかく僕の想像するプロデューサーの要望に応えて、最後には笑えるくらいお望みの結末を用意している。

 ただただアクション連続のハリウッド超大作風のつくりではなくて、むしろ古臭いタイプの香りがするところが面白いと思う。コンスタンティンは、『マトリックス』のネオのようにスーパーヒーローではない。ネオもマトリックスの世界に入る前はただのコンピュータオタクのハッカーだが、誰もそんなことは覚えていない。現実の世界に目覚めた後のネオは”救世主”として目覚める前からスーパーヒーローになっている。その点、コンスタンティンはエクソシストではあるけれど、ただの人間でしかない。あるシーンで、コンスタンティンが苦しめられても「このシャツは高かったのに」と嘯くが、スーパーヒーローよりもジャン・ポール・ベルモンドなどのキャラクターを思い出す。

 悪魔というかサタン登場のシーンなんかはユーモラスだし、サタンそのものがそれまでの悪魔の手下どもと較べて人間的すぎるのも矛盾しているのにこれがまたいい。コンスタンティンとサタンとの会話とか、サタンを呼び出した意図とか、もうほとんど漫画なみというかギャグというか。拍子抜けするくらい馬鹿馬鹿しい策略が、サタンの人間臭さとあいまって、いいのだなぁ。この辺、ハリウッド映画的にはサタンとの壮絶な戦いのクライマックスのはずだと思うんだが。しかし、一般受けはしないだろうな。

 そのあとも、コンスタンティンに対する天使ガブリエルの挑発なんかも人間的でおかしい。ちなみに、この天使ガブリエル役のティルダ・スウィントンが天使にすごく似合っていて、かっこよかった。

 後もうひとつ好きなシーンは、コンスタンティンの仲間の少年がどうしても入れてもらえなかった天使と悪魔の利用する会員制クラブで、戦いに行く前に「戻ってきたら入れてやるよ」といわれるところがいい。ラストクレジットが流れ終わって見られる1シーンで、この台詞が深い意味を持つ。

*1 キャリー=アン・モス(『マトリックス』のトリニティ役)は出てこない。しかもケイト・モスと誤記してたので訂正。ちなみに『コンスタンティン』のヒロインは、レイチェル・ワイズ。

[ 『コンスタンティン』 監督フランシス・ローレンス ]

Quinka, with a Yawn@440
 下北沢440のQuinka, with a Yawnのライヴを聴きに行く。440(four forty) 3rd Anniversary「Ann&440(four forty)presents〜ナナイロ夜 vol.2」という企画。

 夕方突然降り出した雨の中、30分ほど遅れていくと、Quinka, with a Yawnの出番は最初で、もう最初のMCになっていた。最近、Quinkaの出番は最後が多かったので、油断していた。

 公式サイトの日記によれば、最初の2曲「コーヒーブルース」「サチ子」を聴き逃したようだ。MCでは、名古屋で食べたひつまむしの話などを話していた。

 続いての演奏は、「つぶ」。それから久しぶりに聴く「真夏の蜃気楼」。いつも夏に演奏しているのに珍しいなと思ったら、昨日だか一昨日だか夏みたいに暑かったからちょっと早めだけど演奏したとのこと。そして、「ミルクスープ」「ナポリ」。
 基本形のような、スタンダードという感じのするQuinkaライヴだった。

 続けて、ガガーリン、企画のAnnの2バンドも聴いて帰る。


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