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2003年9月前半
2日ばかり日記をさぼった。というのも毎日夜更かし気味なので、土曜日に明日書けばいいかと思って先延ばししたのだが、日曜の昼間はなんとなく書く気にならないまま後回しにしていたら、夜になって具合が悪くなってしまったのだ。
それでも「妄想計画」だけは自動的に更新される。(そう、これは0時に更新します、といっていたけれど、自動更新なのである。)素晴らしい。便利だ(もちろん準備が大変なのだが、当日は楽)。とか思っていたが、下の日記の日付が先月のままで、さぼっているのがまるわかりという欠点があることに気づいた。こうなると、やっぱり日記なんてよくないんじゃないか、誰も僕の日常なんか興味ないんじゃないか、ましてや、隣の最近聴いている音楽とかいらないんじゃないか、とかすべてマイナス方向に思い始める。「来るべきうたかたの日々」なんかの「これから」の情報の方が過ぎ去った(ありふれた)日常よりずっと意味があるんじゃないか、などと思う。この辺前向き。
前から何度か書いているけれど、ニュースサイトを自分自身ではやる気はないのだが、それはたぶん、疲れるしどこかで飽きるだろうと思うからだ。それなのに、「妄想計画」や「来るべきうたかたの日々」みたいなものをもっと前面に出したニュースサイト的な方がいいのかなと思ったりしている。そんなわけで、ニュースっぽいことをしながらも自分で飽きずに面白くやれる方法はないのかとちょっと考え中。
とはいえ、日記をやめる気はない。日記は好きで書いているので、やめようがないというか。なんていうか、自分の日記を読むのが好きなんである。以上、たわごと。
今日はシャンテシネで『藍色夏恋』を観る。久々に単館系の映画を観た。最近、只映画ばかり観ているので自分の見たいものというより、割と話題作みたいなものばかり観ていてこういう映画はあんまり観ていなかった。やっぱりこういう映画を観に行かないとダメだなぁと思う。予告でマイケル・ウィンターボトムやアトム・エゴヤンの新作の予告を観て、うわー、すごく観たいと思う。アトム・エゴヤンの新作の話は聴いていたのだが、まだ日本では公開しないのかと思っていたが、自分が単館の映画館などに足を運んでいないから予告を観ていなかったのだった。反省。
先日、混んでいて入れなかった蕎麦屋に行って飲んで帰る。映画はよかったし、酒はうまいし、蕎麦もうまい。ささやかな幸福を感じつつ帰宅。
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たくさん働く。しかし昼飯を食べたあとは眠くて思考が四次元の世界へと飛んでいく。何度も席を立って飲み物を買ってたり、トイレに行ってみたりするけど眠いものは眠い。午前中と夕方はずっと打ち合わせで、そういうときには全然眠くならない。何かについて検討したり、議論したりしていると時間はあっという間に過ぎるし、議論や検討とかするのは楽しい。ただし、自分が話す機会がないままただ聴いているしかないとなると、2秒で眠る。躰って正直だ。つまらないことは3秒以上したくないというわけだ。
夕方から打ち合わせその他で楽しかったのはいいまだが、晩飯を取るタイミングを逸してしまい、飯を食って帰るか終電に乗るかの選択を迫られる。結局、なんだかんだいって早く家に着きたいとか思って、終電を選択。
12時半頃、近所のマルエツでパンと野菜ジュースを買って深夜1時に晩飯。なんとなく躰によくないよなぁとか思う。なんでこうなるのか。
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疲れが出たか、朝は起きられなくて9時半くらいにようやく起きる。朝食後再び眠り、 午後から外出。夜は久々に遅くまで仕事をして、久々にタクシーで帰る。
『五輪の薔薇 IV』(チャールズ・パリサー ハヤカワ文庫 NV bk1 / amazon)をそろそろ読み終えるところだったが、あと数ページを残して今日は読み終わらなかった。
一昨日の日記に書いたような今のサイトについての不満とどうしたらいいのかの解答になるようなサイトのイメージが突如としてわき出す。いや、一時の思いつきであんまり良くないかもしれないが、今のところ面白そうだと思っていてもう少しサイト改造について考えてみる。
タクシーで深夜に帰ってきたが、3日分の日記をまとめて書く。
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『五輪の薔薇 IV』(チャールズ・パリサー ハヤカワ文庫 NV bk1 / amazon)読了。続けてすぐに『五輪の薔薇 V』(チャールズ・パリサー ハヤカワ文庫 NV bk1 / amazon)を読み始める。もう無茶苦茶面白いのだが、最終巻ともなると何を書いてもネタ晴らしになってしまうので日記の中で書くのは無理だ。
最近まともな感想を書いていないので、何か書くと「面白い」しか書いてなくてバカみたい。もっと他に書くことがあるだろう。『五輪の薔薇』についていえば、波瀾万丈の冒険小説的な話として面白い。この小説をあらわす言葉に「迷宮」という言葉があるが、複雑に絡み合った過去の人間関係みたいな部分が迷宮的だが別に難しいわけではない。それと誰が味方で誰が敵なのかが判らない、次から次へと信じていた人の裏切りや謀略にはまったりというところも迷宮的といえるのかもしれない。
ついに残すところの5巻の半分まで読了。先は読みたし、残り少ないのは惜しい。ジレンマに引き裂かれながら明日読み終える予定である。
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昨日の日記は一日日付を間違えていた。なので今日が本当の9月5日。
昨日に引き続き、『五輪の薔薇 V』(チャールズ・パリサー ハヤカワ文庫 NV bk1 / amazon)を読む。第5巻は比較的薄くてそれを半分まで読んでいたので、余裕で読み終わる。しかも5巻まできて、ほとんどいろいろな謎が解けていたかのように思えていたのに、まだまだ不明な点がいろいろあってそれが次々と明らかになっていく。いよいよ大団円と思うところまで来て、逆転逆転の連続。息をつかせず読ませるという、まさにそんな感じだ。
昨日書いたように、人間関係は複雑だがそれほど「迷宮」的でもないんじゃないかと思っていたのだが、今日の展開でなんとなく「迷宮」的というのはうまい言い方だったのかもしれないと思った。迷宮というより、隠し部屋や機械仕掛けのある時計塔を舞台にした物語で、最後に謎が解けるとカリカリと歯車が回転して秘密の隠し部屋が開くような、それを建物ではなくて、複雑な人間関係の中に構築したような感じがしたのだ。1巻から5巻に共通して、登場人物表がついているのだがわざわざそんな表は見ないと思っていたのだが、5巻になってやたら参照するようになる。だけどむしろ、家系図のようなものが必要なのであって、しかしその家系図は物語では部分的に明らかになっていないので明らかにするわけにもいかないと思っていたら、物語の最後のページに家系図がついていた。しかし、これだけ見ても何だかわからないが。
ディケンズ的な物語世界ということで、解説などを読むとその類似性が指摘されているが、ディケンズは『クリスマスキャロル』くらいしか読んでいないのでその共通点はわからない。『荒涼館』は、ちくま文庫で長らく手に入らなくて読みたいと思っていたのだが、増刷されて手に入れたらそのまま本棚にしまわれている。『荒涼館』にでも手を出すか。
解説によれば、ディケンズの類似性について、類似しているからといって二番煎じなわけではなく、「小説による小説批評」のような二重性があるのだと書かれていた。ディケンズを読んでいれば、そういう意味でもっと楽しめるのかもしれない。しかし、今まで何度か書いたように波瀾万丈で複雑な謎また謎の迷宮のような小説なので、単純に読んでいて面白い。批評がどうとかいうとかえって小難しい感じがすると思うが、そんなことを無視しても面白いのである。
さて次は何を読もうか。
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読もうと思いながらずっと先延ばしにしていた『子どもの王様』(殊能将之 講談社 bk1 / amazon)をようやく読み始める。団地に住むいわゆる鍵っ子の少年が主人公だ。自分の小学生時代とは違うが、なんとなく判る部分があって懐かしく感じる。例えばテレビ番組に夢中になっているところなんかもその一つだが、ここで出てくるテレビ番組は芸人いじめ的なゲーム番組だったりしていかにも今風である。日記からよく判る殊能将之のテレビ好きが思い出されて可笑しい。面白く読んでいたのだが、気がつけばごく普通の小学生の日常だけで3分の1ほど占めている。と、そこでいよいよタイトルの「子どもの王様」の影が物語に差しかかる。いよいよというところだが、今日はここで止めて続きは明日の楽しみにする。
さて、友人に誘われて、これで二度目になる「MYSTERY NIGHT TOUR 2003 稲川淳二の怪談ナイト」(→稲川淳二のサイト)に行く。舞台は日本的な建物の中庭風になっている。おどろおどろしい音楽に会場がつつまれると、その建物を横切る白い影、会場がわっと湧いてその人影がそのまま建物から出てくるが白い浴衣を着た稲川淳二だったと判るとさらに拍手や「淳ちゃーん」等のかけ声。「毎回毎回ありがとうございます。これから怪談をやるっていうような雰囲気じゃないですが、嬉しいですね。」と稲川淳二。
怪談風の短い話をいくつかして、どれもいないはずのところに人がいたとかいうところで話を止めて、最後は「こんな妙な話があったんですよ」「不思議なこともあるもんですね。」という感じにまとめる。そんな話をいくつかするうちについに「見た」話になったりするわけだが、途中一つ盛り上げるだけ盛り上げておいてオチがくるお笑いネタが入る。これが怪談の間にはいるからまた大受けする。そして最後のトリは、オチの最後にバーンという大きな音と照明効果で驚かせる。だいたい、このパターンは前回と同じ。話のあとには、心霊写真をスライドで見せるのだが、前回見た写真もあるのだが、その写真が前回よりよりリアルに見えている気がするのだが、これはどういうことなんだろう。稲川淳二が言うには心霊写真は「変わる」のだそうだ。何年も経つうちに横を向いていた顔がだんだん正面を向いてくるとか、髪の毛が長くなっているとか。前回もそれは言っていて話半分に聞いていたが、今日前に見た写真を見せられて、こんなにはっきりと映っていたかなぁと思った。おいおい、本当なのかよ、それ。
夜、友人と食事がてら少し飲んで帰る。
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昨日まで暑いと思っていたら今日は妙に涼しかった。外では鈴虫だか何虫だか知らないがうるさいくらいの虫の声が聞こえる。もう秋なのかもしれない。そして、そんな涼しさのせいか風邪を引いたみたいだ。とほほ。
ちょっと寝坊して遅い朝食のあと出かけようと思ってもなんとなくかったるくて出かける気にならない。なんとか気持ちを切り替えて出かけたのは13時過ぎ。出かける気にならないのも仕方ない話で、休日の仕事などやる気が出ない。夜は『座頭市』あたりを観たいと思っていたが観に行けなかった。タワーレコードは23時までやっているのでCDを買おうと思っていたが、それも間に合わず。
今日したことといえば、昨日から読みかけの『子どもの王様』(殊能将之 講談社 bk1 / amazon)を読み終えたことくらい。面白かったが、結末にちょっと疑問。ずっと感想の類をまともに書いていなかったが、日記別に書くつもり。
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「かつて子どもだったあなたと少年少女のための」と枕詞のついた「ミステリーランド」という企画ものの一冊である。漢字にはルビをつけて、内容も小学生の男の子が主人公という、少年少女向けでありながら大人にも楽しめるように書かれた一冊である。少年少女向けとはいうものの、さすが殊能将之で一捻りある作品で十分楽しんで読んだのだけれど、絶賛ではない。少年少女ものにこういう結末があっていいのだろうかという疑問があって、いわば自分の中で賛否両論戦っている。いや、面白いんだけどね。反対意見については内容に関わるので後半に書くことにして、賛成部分の方を先に書く。
とにかく面白い。なにがって、たぶん「かつて子どもだった」自分のいろんな思い出を引っ張り出されて、主人公の少年達とは全く同じではないのだが、似たような経験を思い出して懐かしいのである。主人公は母子家庭の鍵っ子だし、テレビは俗悪だけれど今らしいタレントいじめの番組だったり、ヒーローものは昔も今も変わらないかもしれないが、ヒーローが裏切ったりという今風の展開をしているし、(これは殊能将之もあとがきで書いていたけど)自転車ではなくてマウンテンバイクを乗っている等々、僕の子ども時代とはやっぱり違う。でもその裏にある子どもの気持ちなどはやっぱり変わらなくて懐かしい。もちろん、子どもそのものの気持ちというよりは大人の思い出している子どもだったときの気持ちなのかもしれないが。
それと同時に、テレビの話題などには殊能将之らしいテレビ好きを本領発揮する引用というか皮肉というかそういうものも感じられて楽しくなる。
そして、そこに起きる事件は現実的で現代ではありふれた事件である。しかしそれが子どもの目を通すことによって、特別な恐ろしいものに変わっているのもいい。恐ろしい「子どもの王様」が現れるというのがそれだが、「子どもの王様」とは何なのかは読んでみての楽しみにしておこう。三分の一くらいまで懐かしい少年時代を思い出される話から一転して「子どもの王様」が登場すると、大人の目から見ると何が起こっているか想像がついてしまうのだが、少年にとっては不可解な世界に突然変わりスリリングに一気に読ませる。「子どもの王様」から友だちを守るための少年のアイディアについては種をあかされてからなるほどと思ったりして、大きな謎があるわけではないのだが楽しませる。
そういう意味では良くできていて面白い小説だ。
しかし結末については最初に書いたようにどうも賛成しがたい。(以下、結末に触れるので未読の方は読み飛ばしください。)これが「少年少女のための」物語でなければありだと思う。しかし「少年少女のための」物語でこれはありなんだろうか。ヒーローものになぞらえて、主人公が戦うのはいいのだが、テレビヒーローに許されても主人公の少年にはこんな「勝ち方」はさせたくない。少年が夢中になっているヒーロー「パルジファル」は最終回間際で敵に負けてしまう。一度負けてもそれで終わりではないし、勝ったようにみえて負けていることもあると少年は思うわけだが、それであれば少年にこの結末では負けさせても良かったんじゃないか。
少年は「子どもの王様」には勝ったけれど、友だちを失ったことで負けたということなのかもしれない。少年にとって、友だちを失うことは大きな痛手だと思うし、友だちを失うというエピソード自体は好きなのだが、それでこの少年の罪と罰はすべてなんだろうか。
推理小説は殺人事件から物語が始まるわけで、この結末は一つの物語の始まりにだってなる。例えば貴志祐介の『青の炎』だったら事件の始まりでしかない。『青の炎』では動機がいかに主人公に味方していても犯罪は許されないものとして非情にも主人公の罪が暴かれていく。
少年は戦って勝ちを収めるのだが、不可抗力で負けずに済むくらいで終わって欲しかった。
[ 『子どもの王様』(殊能将之 講談社 bk1 / amazon)2003/09/07 ]
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『黄泉びと知らず』(梶尾真治 新潮文庫 bk1 / amazon)を読む。
この短編集は、『黄泉がえり』のアナザストーリー集なのかと思っていたが、それに該当するのは表題作の一編だけで、残りは別の独立した話だった。しかも、「黄泉びと知らず」がセンチメンタルな「いい話」なのに残りの作品がハチャメチャギャグ系という、短編集の組み方としてはどうなんだという代物だった。カジシンの作品はハチャメチャ系も含めて好きなので自分としてはいいのだが、『黄泉がえり』でカジシンに入った人は、「黄泉びと知らず」のあとの作品を読んで幻滅するんじゃないだろうか。別の面白さを知って貰えれば成功なのだけど、そううまくいくかどうか。しかもトーンが極端に違いすぎると思うんだが。
ただ自分としては楽しく読んで、薄い文庫本だったので出先で読了。本屋に飛び込み何かないかぶらぶら見て歩き、結局『四季 春』(森博嗣 bk1 / amazon)を買う。森博嗣も、もうそろそろ飽きたとかいいつつまた買ってしまった。
これがVシリーズの新作だったら買ってなかったかもしれないが、この作品は『すべてがFになる』の真賀田四季が出てくる四部作というので、つい買ったのだが、既にこの時点で森博嗣の術中にはまったといえるのかもしれない。
とりあえず、3分の1ほど読む。5歳の四季も「僕」も全然子どもらしくない。四季はともかく、「僕」はどうなんだろう。
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今日は猫も杓子も「月と火星が最接近」と話すくらい、テレビやなにやらかにやらで騒いでいたのだろう。深夜タクシーで運転手さんが言い、掲示板でやまねさんが教えてくれ、巡回しているサイトの日記に繰り返し見つける。
テレビのニュースなどで繰り返し放送していたのだろうか。こちとら最近テレビなんて見る暇なくて、「テレビ? 何それ食えるの?」ってくらいだ。
おもむろに庭に出て月を見ると今夜は恐ろしくぼんやりと膨張したおぼろ月夜だと思ったが、目が悪いとそう見えるようで眼鏡を持ち上げて見ると最初見たよりずっとくっきりとしていた。火星は思ったよりずっと下の方に光っていた。しかし、いつも南の空に見ていたのに、ずっと西の空に移動していてなんだろうと思った。
暇がないのでamazonで買った『ノマド・ソウル』(元ちとせ 初回限定盤 amazon)が今日届いた。BGMにかけていたのだが、月を見て部屋に戻るとなんとなくハッと感じるイントロ。思わず曲の頭に戻して聴くと思った通り「百合コレクション」。これはよい! 鳥肌が立ちそうによい。
深夜、タクシーで帰ってきたので、昨日から読みかけの『四季 春』(森博嗣 bk1 / amazon)は1ページも読まず終い。
さてそろそろ寝なくちゃ。時計の針は午前3時半を指している。
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『四季 春』(森博嗣 bk1 / amazon)読了。
「僕」の語り口調に違和感を覚えながら、そのうちに時制が混乱。と思ったらやっぱり仕掛けがあった。そして真賀田四季の少女時代の物語であると同時に、S&MシリーズとVシリーズを繋ぐミッシングリンクになってるのだった。コレは、やりすぎの感がなきにしもあらずだが、あの人とかこの人とかが登場するとそんなところで繋がるの、と考えたりして興味を膨らませる。
それと、ミステリとしては十分ミステリなのだが、殺人事件が起こって最後に名探偵が謎を解き明かすという形には拘らず、かといって倒叙ものとも違う構成をとりながら、でも本当の謎は殺人事件じゃなくて真賀田四季や「僕」の関係だったりするというミステリにしているのが素敵。森博嗣の本領発揮だと思うが、こういう構造でミステリを書きたいと思ってもなかなか実現するのは難しい気がするが、それをやってしまうという点でやっぱり森博嗣は優れた書き手なのだと思う。
四部作残り三作も読むこと決定。
土曜日のQuinka, with a Yawnのライヴを観に行くつもりなので、ベースメントバーに予約。
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寝不足人生。
最近の局所的流行は「謝り人生」である。毎日話しているのは、「ああ、どうしよう」「こんなことでいいんでしょうか」「やっばいですよ」「とりあえず、飯でも食いますか」「飯ばっかり食ってますね」とかそんな感じで、そのあとに続くのは「しょうがない謝りますか。謝り人生ですよ」と、こうくる。謝ってばっかり。メールの枕詞は「申し訳ありません」。電話をすれば、「申し訳ありませんが」で始める。
それに倣えば最近の僕は寝不足人生。電車に乗って50分も熟睡する。こういうときに遠くへ行くローカル線はよい。目的地についてまず本屋に向かう。
未読本が積んであるはずなのだが家を出ようと思ったら手ごろな本が亡くて本を持たずに出たのだ。結局『少年計数機 池袋ウェストゲートパークII』(石田衣良 文春文庫 bk1 / amazon)を買う。
とりあえず1話だけ読む。
夜、今日もまた蒸し暑い。
家に帰る途中、駅のホームでこちらに向かってくる女の子が小腰をかがめた。何か足下のものを確認して再びこちらに向かってくる。彼女の足下には何か小さなものがある。何だろうと思って目を凝らすと、目の前を歩く女の子がそれを踏んでクシャッという音を立てて通り過ぎた。
ヒールの下から現れたそれに目を凝らすと、蝉だった。それを踏んだ女の子の後ろ姿を目で追うと、携帯の画面を見るのに夢中で何か踏んだことにも気づかないようだった。
無惨やなヒールの下のアブラゼミ。キが違ったが仕方ない。いまはもう秋。
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たまに暑い日があってももう秋、だと思っていたのだが、今日はまた暑い。この訳の分からない天気はいつまで続くのだろうか。
異常気象といえば、最近地震の前兆の話があるが、U5さんの編集後記にそのリンクがあった。そのリンクから元を辿って行くに、EPIO応援班がその大元。U5さんのところからのリンクはこのサイトの最新報告の予測の部分だけを切り出してアップしているサイトのもので、そこからEPIO応援班に辿り着いたのだが、EPIO応援班としては公開内容が変更される可能性があるので抜粋の内容のアップを遠慮してほしいと書いている。
現物を読むと、専門的なデータとグラフの集まりなので、だから、いつ、どこで、どの規模なのか、と思い結論だけを切り貼りアップしたくなる気持ちは分かるのだが、この地震予知の解説なしに最後の結果だけ公開されてしまってもEPIO応援班としても困るだろうし、どこまで信じていいのかについて判断できない一種のデマ化してしまうのでこういう”勝手に引用”はまずいだろう。しかも随時この予想については更新されてというのだ。
そんなわけで、この予知についてどうこういうのはEPIO応援班を読んでからにした方がいいと思う。自分の意見も控えるが、これだけは書いておくと、EPIO応援班ではこの地震予知については8年前から公開実験開始をしていて、8年間で初めて一般に公表したということ。そして8年間の予測データは不十分だが、可能性が微少でも被害が発生するならば公開すべきではないかという決心の元に公開されているということだ。
”勝手に引用サイト”では、地震は「むしろ起こらない確率の方が高いと思われます」などと勝手なことを書いている。EPIO応援班自体では、発生確率についてはいくつかの仮説(3通り書かれている)があるものの、予測領域(地震の発生場所)については85%の確率で南関東といっている。8年間のデータで予測が確実かわからないが、万一のためにデータを含めて予測を公開するといっているのに対して、「起こらない確率の方が高い」などと書くというのはどういうことだろう。予知が外れるに越したことはないが、腹立たしく思った。
※追記:上の文では、EPIO応援班が地震の予測をしているように読めてしまうが、正確には八ヶ岳南麓天文台地震前兆観測センターの串田嘉男氏が予測しそれを公開している。ただしこのサイト自体はEPIO応援班が運営しているようである。
出かける際に、昨日買った『少年計数機 池袋ウェストゲートパークII』(石田衣良 文春文庫 bk1 / amazon)を持っていくのを忘れる。仕方ないので、本屋に寄って『脳男』(首藤瓜於 講談社文庫 bk1 / amazon)を買う。実は昨日『少年計数機』を買ってから、『脳男』が文庫化されているのを知ってこっちを買えば良かったと思っていたのだった。
『少年計数機』自体がどうこうではなくて、『脳男』は江戸川乱歩賞を受賞して単行本が出たときからずっと読みたいと思っていたのだ。単行本で買うつもりがそのままになっていて、単行本の発売から気がつけば既に3年経っていることになる。そんな前のことかと思って恐ろしくなる。最近なんでこんなに時の経つのが早いのだろうか。
まだほんの5分の1程度しか読んでいない。面白そうだが、文体のせいか自分自身の集中力のせいかわからないが、読み始めはかなり読みにくい。というか頭に入ってこない。だんだん面白くなってきたところだが、とりあえず今日はここまで。
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『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』(監督スティーブン・スピルバーグ amazon)をDVDで観る。劇場で観ていないので、初めての鑑賞。なかなか面白かった。映画そのもの以前に、こういう人物が実在したということが大きいと思う。主人公の自伝があるらしいのだが、それを読んでみたいと思ったくらいだ。
夕方から出かける。下北沢ベースメントバーにQuinka, with a Yawnのライヴを観に行く。出演は他にReverb10とmotocompo。DJもいたけど名前が判らない。Reverb10は女の子3人バンドで、元気はいいけどピンとこない。というか、ジャンル的に好みと違うので何とも言えないが。続いて、Quink, with a Yawnの出番だが、今日はQunikaさんとサチさんの2人だけだった。その分ボーカルとコーラスが前面に出ていて、最初はすごく聴いていて緊張するくらいだった。Quinkaさんは風邪を引いたようなことを掲示板で書いていたので心配したが、途中で咳をしていたけど声は素晴らしかった。最後はmotocompoで、U5さんが編集後記で「モトコンポも出る!」と書いていた理由がわからないものの、もしかしてすごくU5さんとか僕とかの好みに合う音楽なのだろうかと期待していたのであるが、ライブで聴いた感じではちょっとジャンル違いという感じ。ヴォーカルの女の子も観客も激しく踊るのね。Reverb10とmotocompoは同じ傾向なんだけど、Quinka, with a Yawnだけ違ったような。
ライヴのあと、ライヴ会場でしか売っていないというエレキベースとのスプリットCDを買いたかったけど、物販コーナーにQuinkaさんは不在。諦めてライヴハウスが閉店するので帰ろうとしたら戻ってきたので、訊いてみる。残念ながらもう売り切れてしまって、もしかしたらエレキベースの方ならまだあるかもという。それと次回ライヴについて訊くと、日にちは21日で詳しくはホームページを見てくださいという。でもホームページのライヴ情報は今回のが最後だったのでそれをいうと、「暮らしのキンカ」というメールマガジンを出しているのでそれを見てほしいとのこと。ということで、「暮らしのキンカ」が届くのを楽しみに帰るが、よく考えてみたら次回の場所くらい訊いておけば良かったと思う。
下北沢に戻る途中、古本屋の前を通ったのでちょっと覗いて帰る。気になった本が二冊ほどあったが、ちょっと迷って買わずに帰る。
新宿に着いたら23時よりちょっと前だったので、タワーレコードに寄る。例のスプリットCDは店頭にはなさそうだが、念のためと思ってエレキベースのコーナーを探してみた。やはりない。ついでにエスレフノックのコーナーを見て、『yes』(amazon)と『日本のお仕事』(MAXI amazon)があったので、どちらも持っていないので買うことにする。
夜、巡回していてサイトのはてなアンテナの動作がおかしいことに気づく。たぶんロードバランシングしている片方のサーバだけデータ更新されていないんだろう。アクセスするたびに古い更新情報と最新の情報が交互に出てくる。はてなアンテナはかなり便利になって、あると便利からないと不便になってきた。なかなか良くできているシステムである証拠だろうか。こういう不具合が起こると本当に困るもんなぁ。
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下北沢BASEMENT BARでのQuinka, with a Yawnのライヴ。タイトルは「NEO NEO BELIEVER'S BACK!?」で、他の出演はREBERB10とmotocompo。最初にREBERB10、Quinka, with a Yawnは2番目で約30分くらいの演奏、トリがmotocompoだった。
今日の構成はQuinkaさんとサチさんの二人構成。サチさんの方の楽器は、プラスチックの木魚みたいなのと、チューブラーベルのミニミニ版みたいなのだけ。演奏はキーボードの弾き語りに歌声とコーラスで勝負という感じのライヴだった。バンド編成よりも聴きはじめは聴いている方も緊張してくるような感じがした。
最初は「コーヒーブルース」で、『Discover URC』(amazon)に収録されていて最近毎日聴いているお馴染みの曲。続いて、タイトルを知らないのだが「サチコ」という友だちに呼びかける歌詞の曲。ライヴでは久し振りにやるという「ナポリ」は、最初はCDよりちょっとテンポが早いかなと思ったら、サビの辺りでとてもテンポを落として歌うのが面白かった。その次の「唇とマーマレード」(前回最初にやった結構好きな曲だった)でも、最初の方で歌詞を朗読というか台詞のように語ったりしてそれもよかった。それから「真夏の蜃気楼」、「優しい二人」を演奏。
どの曲もよかった。「風邪は大分良くなりました」と掲示板に書いていたので声は大丈夫なのか心配していたが、咳を何度かしていたくらいで普通に歌っていたので良かった。
それにしても、QuinkaさんのMCの下手さ具合は例をみない。あがた森魚も原マスミも変だが、それがまた妙な味でみんな面白がって笑っている。語りが変で笑われるというのも考えようによっては全然誉められることではないが、そこに味を感じていて、その語りが好きなのだ。QuinkaさんのMCにはまだ妙な味はでてこなくて、「Quinka, with a Yawnといいます」と繰り返してみたり、何を話すか何も考えてなくて頭の中が真っ白になってしまいましたみたいな喋りをポツポツというのである。音楽は天才的(だと思う!)のだがなんで喋るとこうなんだろう。
現在レコーティング中ということだったが、CDは遅くても年内には発売されるという話が出た。これはすごく楽しみである。
[ Quinka, with a Yawn (「NEO NEO BELIEVER'S BACK!?」w/ motocompo REBERB10) 下北沢BASEMENT BAR 2003/9/13 ]
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一日だらだら過ごして、夕方から『閉ざされた森』を観に出かける。妄想計画には15日に表示予定のところ、一足先に行ったので時間があれば感想を付け加えることもできたのだがそこまでの余裕はなかった。
「妄想計画」だが、意外なことにまだネタ切れせずに続いている。タイトルは自分で考えたもののいまいちしっくりきていなくて、「妄想計画」いうほど大袈裟なものじゃないのだが、ネタにしたものの計画倒れというか、そもそも一日一ネタはネタ探しにも忙しいくらいなので、元のタイトル通りあらかじめ挫折が約束されている感じ。
表示は毎日切り替えて、ログは残さないまま続けていたが、最近は映画の公開日や本の発売日などだけでなくて、なんでそれが気になるかなどを少し書くようにしてみたので、一日で消えていくのではなくてログを残してもいいかなと思い始める。
いよいよ日にちが迫っているので、八ヶ岳南麓天文台地震前兆観測センターの公開情報に変更がないかEPIO応援班のサイトを見に行く。9/14付けで更新されていて、その後の検証解析状況等について情報が追加されていたが、全体的な予測内容については変更がないとのこと。
何事もなければいいが、地震が避けられないものであるなら、地震予知ができるに越したことはない。そんな意味では予測が当たって欲しい気がする。
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嵐のジャングルの中、軍隊のレンジャー部隊が訓練に行く。しかしそれから17時間後、生きて帰ってきたのは2人だけだった。救援のヘリコプターが見つけたのは、負傷者を抱えて逃げる男とそれを追う男、二人は味方同士のはずが撃ち合っていた。そして追っ手が目の前で殺された。
森の中で一体何が起こったのか。生き残った男に尋問するオズボーン大尉に対し、男は「別の基地のレンジャー部隊にしか話さない」という。そして、元レンジャー部隊にして麻薬取引を疑われて待機処分中の麻薬取締局捜査官ハーディ(トラボルタ)が非公式に呼ばれることになる。
森の中に訓練に行ったのは6人のレンジャー部隊とそれを率いる鬼教官のウエスト軍曹。ウエスト軍曹は殺され、残された男たちは仲間割れをしたらしいが、尋問中の男と重傷を負って病院に入院している男との話が食い違い、彼らが話をするたびに新たな真相が明らかになってくる。いわば、軍隊版「藪の中」というか、密林の中である。
なるほど二転、三転するのは面白く、「デストラップ 死の罠」を思い出す逆転の連続である。何点か驚くべき逆転があって最後も面白かったと思うのだが、冷静に考えると最後の逆転には無理があるように思うのだった。この無理はせっかくの逆転劇に水を差すものがある。貫井徳郎の「ミステリファンなら必見」という言葉につられて観たのだが、ミステリファンならこの無理は納得できないんじゃないかという気がする。
どう無理なのかはネタバレになるので書けないのだが、藪の中と違って最後に真相が明確になるのだが、その真相ならばどんでん返しの連続になったような展開にならないんじゃないかというのが一つ。もうひとつは最後の真相のときの森の中の出来事が描かれずに終わるのだが、この真相だと三人が発見されたときの状況とも生還者の自白とも合わないんじゃないかということ。後者については、その辻褄合わせの森の中の出来事を描いて欲しかったという不満とも言える。
[ 『閉ざされた森』 監督ジョン・マクティアナン 2003/9/14 ]
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はてなアンテナの片肺運転はいまだ解消せず。直るのは連休明けなんだろうか。
先日amazonに注文していた映画のサントラ盤の『オー・ド・ヴィ』(サントラ amazon)が届く。篠原哲雄監督であがた森魚も出演していて、観たいと思っていた映画なのだが、完成後公開まで間があって、その後自分が忙しかったせいか気が付いたら公開済みのようだ。いつ公開したのか判らない。サントラが出てたのも気づかなかったくらいだが、今更買ったのは一曲、Quinka, with a YawnのQuinkaさんこと川上美智子さんがヴォーカルを担当している曲があるからだ。「かぼちゃはpotiron」というのがその曲である。
早速、聴いてみると、音楽はイントロからあがた森魚、歌も完全にあがた森魚の世界。声は確かにQuinkaさんなのだけれど、「コーヒーブルース」をQuinka, with a Yawnの曲にしているように、Quinka, with a Yawnに近づけているのではなく、あくまであがた森魚の雰囲気を維持している。それで参加ミュージシャン名も「川上美智子(Quinka, with a Yawn)」としているのだろうかと思った。
それにしても最近、Quinka, with a Yawnについてばかり書いていて、ほとんどバカみたいなんだけど、久々に本当にしっくりくる音楽を聴いてしまったのだ。とりあえず手に入るCDは限られているので、過去に遡ってesrevnocも聴いてみようかと、一昨日買った『yes』(amazon)と『日本のお仕事』(MAXI amazon)を聴いてみたが、僕の求めているQuinka, with a Yawnとはやっぱり違った。とかいいつつ、『最小公倍数(L.C.M.)』(MAXI amazon)と『美人/heart fry 99℃』(MAXI amazon)がamazonにあったのでこれも注文してしまったんだけどね。バカ……。
そういえば、「暮らしのキンカ」というメールマガジンは届き、次回ライヴは渋谷宇田川ラヴァーズロックと判る。ついでに、エレキベースとのスプリットCDは、エレキベースの方に残っていたのでライヴ会場でまた販売するという返事もいただく。このCDも早く聴いてみたい。
今日はあと『脳男』(首藤瓜於 講談社文庫 bk1 / amazon)を読み終えた。
小説そのものとは関係ないのだが、この作者の首藤瓜於とは何者なのだろうと思った。何者なのだ、というのは略歴に「会社勤務等を経て、2000年、本作で第46回江戸川乱歩賞を受賞。現在、CASA(カーサ)(現代美術
振興協会)を主宰。「上野・谷中アートリンク」等のイベントを通じ、モダンアートをプロデュースしている。」とある。現代美術で食えるのか?……いやそうじゃなくて、会社勤務と小説書きと現代美術プロデュースというのが繋がらない。
妄想計画にも書いたシベリア少女鉄道公演『二十四の瞳』は結局行かなかった。今週中にやらなくちゃならないあることが全然終わりそうにないので、やっぱり遊びに行っている場合じゃないと思って自宅にこもっていたのだが、結果的には何も進んでいない。あー、まずいなぁ。どうしよう。
地震の件はやはり気になる。夕方のニュース(テレビ朝日)で12日に開かれたFM電波観測で捉えた地震関連異常に関する検討会の様子を交えて、串田氏の公開した情報等について報道していた。串田氏のテレビで見る印象はなかなか意志のはっきりした真面目な方のような印象を受けた。何か状況は変わっていないか、EPIO応援班のサイトを見に行ってみると、今日のテレビ朝日のニュースを含めて間違った報道に迷惑している等々のコメントがあった。データを解析した結果についての更新はなかった。
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連続爆弾事件の容疑者を逮捕する現場に一人の男がいた。
事件を追っていた刑事の茶屋が現場に踏み込んだ瞬間、その男が容疑者と争っていたのだ。容疑者が爆弾を茶屋に投げつけると、男は体当たりで茶屋を倒し爆発から彼を助けた。そして容疑者は逃げ、その謎の男だけが捕まるが、彼は犯人の仕掛けたもうひとつの爆弾の場所を茶屋に話した。爆弾の在処を知っていたこともあり、現場にいた男鈴木一郎は爆弾魔の仲間として裁判にかけられる。しかし、鈴木一郎は、裁判で精神鑑定を受けることに決まる。精神鑑定を担当することになったのは、アメリカから帰国したばかりの女医鷲谷真梨子だった。真梨子は鈴木一郎との面接で彼のあまりに異常な反応に戸惑う。単なる精神鑑定の報告書を書くだけでは納得できなくなった真梨子は、鈴木一郎の過去を探そうとするのだった。
最初の数ページは全然頭に入ってこない、ものすごく読みにくい小説という印象を受けた。しかし一度物語が動き出すと面白く読み進むことができた。読者には鈴木一郎はたぶん連続爆弾魔を独自に捕まえて制裁を加える、制裁というよりは殺してしまおうとしていたと推測できる。だが物語の主要人物の一人茶屋はそう単純には考えていない。真梨子は鈴木一郎の全く感情の存在しないことに驚きつつ、そのルーツを探っていく。物語はその鈴木一郎の生い立ちを巡って、その謎を追っていく物語として進む。その一方で、爆弾魔との戦いがクライマックスに用意されている。
タイトルの「脳男」という言葉は作中には出てこないが、もちろんこの謎の力を秘めた男鈴木一郎のことに他ならない。このキャラクター造形が変わっているが、普通ならこの脳男をヒーローとする物語とするのだろうが、それを逆に刑事の茶屋や精神科医の真梨子側から描くというのが面白い構造になっている。
鈴木一郎の過去を追って真梨子が次から次へと行動していくのは面白いのだが、せっかく東京、名古屋、松本と動き回るのにその移動のめまぐるしさが伝わってこないのが残念だ。
しかし脳男の存在はかなり魅力的で、しかも結末は続編を期待させる結末になっている。もう3年も経っているが、そろそろ続編が出てもいいんじゃないかと思った。
[ 『脳男』(首藤瓜於 講談社文庫 bk1 / amazon) 2003/09/15 ]
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朝から電車に乗る。地震によって電車が急停車したときのことを考えて位置を確保する。コンビニにお茶を買いに行ったらついでにカロリーメイトを買ってしまう。何か発表に追加はないか、EPIO応援班のサイトを見にいく。
「何もなかったのにバカみたい」とあとから思えるように念を入れてみる。こういう日に限って、地下鉄に乗るし、地下深くの京葉線にも乗る。しかし今日は一日何事もなく過ぎた。今日明日を中心にプラマイ2日ということだから、まだ3日は安心できないが。
これで何事もなくて肩すかしに合うんじゃないかと考えていてふと思う。今週は何事もなく過ぎて、第2の可能性の時期に来るんじゃないかと。
今日明日というのは3つの可能性のうちの一つだけで、二つ目の可能性は、本震と余震ではなく一つの地震だったらもう少し先という話である。しかしなんとなくこの3日を乗り切ってしまったら、喉元過ぎれば熱さ忘れるというやつで、誰もが次の仮説の方なんか忘れてしまうのではないか。そして忘れたときにやってくるのが天災というやつだものね。
この間気づいたのだが、このサイトをホスティングしているサーバに新サービスが始まっていて、同じ月額でディスク領域倍増他、ほとんどのサービスが機能アップしているのでそちらに切り替えようか検討中。変更申込書はすでにダウンロードして印刷してあるのであとは書いて送るだけ。届いてから3営業日で新サーバが開通するらしいので、移行作業をする時間を自分が取れるかどうかだけが問題だ。土日の二日もあれば大丈夫かもしれないが、念のため一週間くらい余裕を持っておきたい。サーバが2台重なる期間があるのだから、普段できないようなテストなどもできるし。ある程度時間を取れるとなると、もう少し先だろうか。
読書は進まず。昨日、それほど遅く寝たわけではないのだが、なんとなく一日眠かった。睡眠不足と言うよりも体内時計の問題かもしれない。金曜からほとんど毎日明け方になってから寝ていたから。いっそ早寝早起きで、1時くらいに起きるというのもあるのだが。いや、無理か、今日も家に帰ってきた時間自体が0時半を過ぎているんだから。
家に帰ってから、EPIO応援班のサイトを再び見に行くと第二の可能性も高くなってきたという追加の見解が発表されていた。テレビ報道等も第一の可能性の方ばかり強調されていることに串田氏も懸念を抱いている模様。なんだか本当に心配になってきた。
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