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2004年5月後半
昨日は、食後疲れたのでノートPCをベッドに持ち込んで、寝転がってWebなど見ようとしたのだが、そこでちょっと眠いと思って目を瞑ったらそのまま朝まで寝てしまった。ふと気づくと、翌日の朝で電気はついているし、ノートPCは傍らにある。とりあえず電気を消したらそのまままた夢の中。結局、目が覚めたのは12時半だった。やっぱり疲れていたみたいだ。
疲れていたからといってのんびりできるわけでもなく、日曜日だが仕事に出かける。移動中、Quinka, with a Yawnを聴きながら小川洋子の『偶然の祝福』(bk1 / amazon)を読む。ゆっくりとかみしめるように読んでいたが意外に早く読了。それにしても、電車の中で好きな音楽を聴きながら好きな小説を読むというのは、なんていうか至福の時というと大げさだが、ささやかな幸福のひとときだと思う。読みながら、ふとこのままずっと電車に乗っていたいと思った。
最近、家にいるとほとんど用が足りてしまい、出かける必要を感じないのだが、こうやって電車にただ用もなく乗るのもいいかな、などと思う。いや、もちろん今日は用があったのだけれど。
仕事の方は、ちょっと嫌な予感もあっただが、予感的中で結果として何も成果なしのまま1時間で終了。家に帰る。帰りに本屋に寄り、小川洋子の小説を探す。文庫では平積みで新刊の『密やかな結晶』(講談社文庫 bk1 / amazon)があった他は、今日読んでいた『偶然の祝福』しかなかった。小川洋子の作品が結構あることがわかったので、もっと並んでいるかと思っていたので悲しかった。単行本は、『博士の愛した数式』(新潮社 bk1 / amazon)と『ブラフマンの埋葬』(講談社 bk1 / amazon)があった。どうしようか少し迷ったが、結局文庫1冊と単行本2冊を購入する。
帰り道、家の近くに改装中の沖縄専門店があるのを見つける。リニューアルオープンしたら行ってみようと思う。
夜、「欲望の曖昧な対象」に持っていない小川洋子作品をリストアップする。実際には、今日の昼間買ったものも3冊あるのだが、新刊ということもあり入れておく。リストを作っているうちに、どうせ本屋には置いてないんだからWebで買えばいいんじゃないかと思い始めて、Webから注文する。4冊ほど注文したので、書店で買ったものと合わせて、小川洋子作品を一気に7冊購入したことになる。読書の愉しみはこれからしばらく小川洋子になる気配。
せっかく出かけたのに仕事にならなかったため、夜は家で仕事。明け方の5時まで資料を作って6時まで仮眠するつもりで布団にはいる。1時間で起きらなくてはならないのが辛い。
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1時間ほどの仮眠で無事起床。土曜の夜から日曜にかけてたっぷり寝たせいか、それほど辛くない。出先でおにぎりでも買って食べればいいと思って、食事をとらずに身支度を整えてすぐに出かける。これなら1時間ほど早く着く予定。電車で仮眠をとろうとするが、そういうときに限ってなかなか眠れない。
睡眠時間1時間で早起きしたので、夕方にはバッテリーがかなり落ちる。さっさと早く帰ろうと思っていたが、そういうときに限ってなかなか早く帰ることはできない。これもマーフィーの法則にありそうだ。
最近、何かと「マーフィーの法則」と書いているような気がするが、もしかして最近の若い人たちはマーフィーの法則って言葉を知らないんじゃないかと思ったりした。だいたいマーフィーの法則の本なんて今あるんだろうか。一時は一世を風靡したが、近頃とんと見かけない。
そんな風に思ったので、amazonでちょこっと検索してみたら、マーフィー本は健在で、結構たくさんあった。しかし僕の記憶するイメージと随分違う。『マーフィー100の成功法則』(大島淳一 三笠書房知的生き方文庫 bk1 / amazon)とか、『マーフィー自分に奇跡を起こす心の法則』(J・マーフィー 三笠書房知的生き方文庫 bk1 / amazon)とか、他にも「恋愛成功法則」とか「眠りながら巨富を得る」とか「人生は思うように変えられる」とか「人生に勝利する」とか「あなたも金持ちになれる」とかそんなのばかりである。
それともうひとつ、アレッと思ったのはジョセフ・マーフィー著もあるのだが、最初にあげた『マーフィー100の成功法則』は大島淳一著だったり、ほかにもマーフィー以外の人が書いているものが多数混じっている。まあ、ヒットすれば転がし本が出てくるのは当然なのだが。その中で、アーサー・ブロック著の『マーフィーの法則 − 現代アメリカの知性』(アスキー amazon)が、内容紹介にも僕の知っている法則も載っている、マーフィーの法則集のようだった。レビューなどを読むと、「今でも笑える」とか、他のマーフィー本とはちょっと毛色が違う。もしかして、法則好きなマーフィーが二人いるのか、いやそんなわけなかろう。とすると、マーフィーの法則って元は成功法則的なもので、いわゆるマーフィーの法則の方はパロディ本なのだろうか?
ちょっと気になって、アーサー・ブロックの方は買ってみようかと思ったりするが、ハウツー本みたいな成功法則の方はあんまり買う気がしない。しかしすごく気になる。誰か知らない? あるいは持っていたら貸してくれないかなぁ。
読書はマーフィーの法則とは関係なく、昨日買った『密やかな結晶』(小川洋子 講談社文庫 bk1 / amazon)を読み始める。これは長編小説だった。ちょっと読んだだけで面白くて、しっくりくる。これから毎日少しずつ読むのが楽しみだ。
夜中に家に帰って、やってられないなぁという気持ちから、昨日買ってきた土佐の鶴を飲むことにする。酒の肴が欲しくて、夜中に近くのスーパーまで出かけて刺身を買ってくる。うまい酒だ。
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朝、目が覚めたら8時半を過ぎていた。がーん。もう間に合わないではないか。昨日、やってられないのでストレス解消に美味しい酒を呑んだ理由は、もうひとつ、よく眠って疲れをとろうと思っていたのだがよく眠りすぎた。しかし、よく考えてみれば夜中にスーパーに行ってから飲んだので、1時過ぎてから飲んでいる。やっぱり、12時過ぎて飲んじゃだめだよな。外で飲むときは遅くても12時には切り上げているわけで、それでなくちゃ醒める時間がない。その代わり、たっぷり眠って疲れは取れたのだけど。
読書は昨日に引き続き、『密やかな結晶』(小川洋子 講談社文庫 bk1 / amazon)を読む。
小川洋子の世界はどちらかというと私小説的な日常性を感じるのだが、この小説はもう少し物語的なものを感じる。例えば、オースターの『最後の物たちの国で』(白水uブックス bk1 / amazon)などの世界を思い浮かべてもいい。『密やかな結晶』で描かれる世界はぼくらの住む世界と一見変わらないのだが、少しずつ「何かをなくしていく」という島なのである。何かをなくすと、人々はそれについての思い出やその意味すら記憶することができなくなる。たとえば、人々がなくしたものの一つに香水があるが、香水をなくした人々はその匂いを嗅いでもいい匂いを感じることができない。
人々が何かをなくし続けている中で、ごくわずかだがそれらの記憶を持ち続けることのできる人々がいた。しかし彼らに対して、その記憶を無理矢理剥ぎ取ろうとする秘密警察があった。そんな島に住む「わたし」の物語はまだどうなるのか全く想像がつかないが、この物語の世界だけでも十分に魅力的でまだごくわずかしか読んでいないのに読み進めるのがもったいなく感じるほど面白い。
読書は行き帰りの移動のときのささやかな楽しみになっている。そして、今日も0時過ぎに帰る。帰宅後のささやかな楽しみは、今朝の反省を踏まえてビールだけにしておく。
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近頃話題の『世界の中心で、愛をさけぶ』だが、ハーラン・エリスンの有名なSFのタイトルのもじりであるのが解せない。パロディ小説ならともかく、独立した作品ならこういうタイトルの付け方をするもんだろうか。そんなわけで、タイトルだけで読む気が失せてしまったのだが、これが映画化されてさらに話題になっている。しかも監督が行定勲である。この人の作品−−って全部観たわけではないのだが−−結構好きなので、彼が監督しているというと原作に対する興味が出てきている。
Yuさんの日記(5/1)で、『世界の中心で愛を叫んだけもの』の帯には「元祖」と書かれた帯がついているとか。「饅頭じゃないんだから」と書かれていて笑った。さらにそのあと、「これって、出版社の嫌味なんでしょうか、やはり。」とあったのだが、なるほどそんなことは考えてなかったが、やっぱりこういうタイトルの付け方はおかしいよね。あまりタイトルに対する疑問を見かけてなかったので思わず頷く。
で、興味をもっていたところ、インタネさんがこんな話に(違いない)とあらすじを紹介しているので納得。なるほど売れるわけだ。
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20日、木曜日。明日の準備に追われる一日。夜23時半頃、最終電車で帰る。夜中に帰ってきて、ビールを飲みながら食事。この間書いた「新・ルパン三世」最終回「さらば愛しきルパンよ」を放送していたので見る。
久し振りに見たがやっぱり好きだ。泣く。しかし、今観ると、宮崎駿の演出テクニックがぎっしり詰まっている感じで、宮崎監督のセルフパロディのような気がしてしまう面もあった。話自体は2時間映画に膨らますことも可能だと思うので、それを30分という短い時間に凝縮したことで演出テクニックが繰り返されていることが目立ったのだろう。考え方を変えれば、宮崎駿の演出パターンに紋斬り型のものが実は多いということなのかもしれない。
パロディ感を強めている理由として、最終回ということで「あの人はいってしまいました」のような終わり方にしているのが『カリオストロの城』の最後を思わせたり、ラムダというロボットが『天空の城ラピュタ』のロボットの原型というのもある。手塚治虫のオールスター方式のように、登場人物のキャラクタがダブっているように見えるのもあるかも。小山田マキ役のナウシカさん、ニュースキャスター役にカリオストロ伯爵役で有名なクロトワさんがカメオ出演みたいな。
でもやはりパロディみたいな気がしてくるのは、シーンごとにどこかで見たことがあるような感じがするせいで、例えば銭形警部に「何人殺した」と問いつめられて、小山田マキが首を振って涙が飛び散るところとか、爆弾をしかけられたラムダに飛び乗って操縦室をあけるところとか。見たことがあるというのは、シチュエーションではなくて、画面のアングルとかカット割りとか人の動作的な部分で。泣くときには、振り向いて、こう首を振って、という動きが宮崎流なのである。
どれが理由というのではなく、それらが絡み合って、セルフパロディのような気がしてしまうのだと思う。
21日、金曜日。昨夜はパソコンのデータ転送の待ち時間にベッドに転がったらそのまま眠ってしまったようで、気がついたら朝の7時になっていた。電気は煌々とついているし、パソコンももちろんつけっぱなし。接続に使用していたPHSのバッテリーが切れて電源が切れていた。最近こういうことが多い。今週月曜から金曜までまともに家で寝た時間は、多くても20時間くらいしかないので、まあ仕方ないか。
家を出てから今日は台風が近づいているとか聞いていたのを思い出す。ニュースなど全然見ていないので、昨日まで全く知らなかった。しかし意外に雨はたいしたことがなく、しかも気づいたら晴れていたりした。電車の中で、「上陸しなかったんでしょ」とか女の子たちが話しているのを聞いて、そうなのかと納得。
今日も終電で帰宅。週末のご褒美に、月曜に飲んでから我慢していた土佐の鶴を飲む。一度は肴を買いに行こうかと一度は出かけかけたのだが、1時半なのでやはりやめてあるものをつまみながら飲む。やっぱりうまい。ざるそばで締める。
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朝、起きなくてはと思いながらだらだらと眠り続けるうちに電話で起こされる。しばらく雑談をする中で三橋達也氏が亡くなったという話を聞く。最近、テレビもWebのニュースも見ていないので全く知らなかった。先日は青木富夫さんが亡くなったばかりで、『忘れられぬ人々』の主演の3人のうち2人が亡くなってしまった。なんともいえないもの悲しさを感じる。ご冥福をお祈りします。
朝昼一緒の食事を済ませてからWebの更新などするうちに、amazonに頼んであった品物が届く。小川洋子の作品が4冊と、一定金額以上買うと無料になるというキャンペーン中だったamazonブックカバーである。まだ『密やかな結晶』(講談社文庫 bk1 / amazon)が読み終わっていないので、4冊は部屋の小川洋子コーナーに並べる。ブックカバーの方は取り出してみるが、妙にニスみたいな変な匂いがする。なんとなく、カバーをすると本の表紙に色が移るんじゃないかという気がしてしまう。汚れてもいい本で試してから使うことにしよう。既に使っている人がいたら、情報求む。
夕方から出かけて、『ロード・オブ・ザ・リング 王の帰還』を観る。もう今月で終わってしまうという、ギリギリのこの時期に来てようやく鑑賞。3時間くらいあるのに全然長すぎると感じなかった。ちょっと驚きだ。途中で飽きたり疲れたりするかと思っていたのだが、そんなこと思わないうちに結末まで観てしまった。原作を読んでいるので結末までの過程がわかっていたが、そうでなかったら「もう終わってしまうの」と思ってしまったかもしれない。それくらい熱中して観た。今回の圧巻は、ミナス・ティリスの城塞の迫力とそれを巡るスペクタクルシーンか。「王の帰還」のタイトル通り、第三部の主人公はアラゴルンなのかもしれないけれど、むしろミナス・ティリスとスペクタクルシーンそのものが主人公という感じがする。レゴラスの活躍振りもカッコイイしね。フロドのというよりサムの活躍は、このスペクタクルシーンのために霞んでしまった感じだ。
エピソードの中で残念なのは、原作にあるメリーとピピンにに訪れる出来事が描かれなかったこと。どちらがいいのかわからないけれど、原作のあのエピソードはなんとなく好きだった。あと何回か劇場で観たかったが、もう来週末で終わりだと思うので無理だ。無理してでももっと早めに観に行っておけば良かったとかとかいうのは、ここしばらくの生活を振り返ってみてもあり得ない非現実的なことだと思うのでいわないことにしよう。
時間は長く感じなくとも確実に時間は過ぎていて劇場を出ると10時を過ぎている。特に寄り道もせずに帰宅。
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最近土日の昼間、家にいるときにはミュージックビデオを流しているチャンネルをつけていることが多い。土曜日ならスペースシャワーTVの「SUPER HITS 50」で、10時から15時まで邦楽CDの最新売り上げチャート上位50曲をノーカットで流している。日曜ならMUSIC ON! TVの「M-ON! カウントダウン 100」。こちらはなんと6時から15時まで、やはり邦楽のカウントダウン。さすがに6時から見たことはないけれど。
これらの番組を流しているのは、真剣に見ることなく、ながらで視聴できるのでいいからだ。内容もひたすらPVを流しているだけなので、うるさい会話などがないのもいい。何につけ、メジャー系(一般受け)のものにはあまり興味をもてないのだが、POPSはそれなりに聴く。ジャンルの特質上、メロディが親しみ安いなどPOPS的要素の強いものほどメジャーになりやすいので、自分がいいと思うものと一般の評価とそれほど反したりはしないのではないだろうか。もちろん精神的にPOPSにうんざりな気分のときには、ジャンルそのものが受け入れられないことになる。そんなときはPOPSなんて聴かない。
どちらの番組もカウントダウンなので、毎週聴いているとそのうちうんざりし始めるかもしれない。今のところ、最近のヒット曲といっても知らない曲が多かったので、それなりに面白く聴いている。そしてちょっと心に引っかかる曲を見つけると、曲とミュージシャンをメモしたりしている。大体そういうのは、よく知らないたぶんまだそんなにメジャーになっていないミュージシャンだったりする。
そんな中で、今日も見たのだが、数日前に初めて見た平井堅−−実は嫌いだった−−のPVを見てよかったので紹介。
「キミはともだち」という曲で、PVがおとぎ話のようなストーリーアニメーションになっている。藤城清治の影絵がフルカラーになったような味のあるアニメーションで、ストーリーはドラゴンと少年の友情物語。ドラゴンが封印されていて最後に天から巨大な手が懲らしめようとしてくるあたりから、孫悟空を思い出したりする。Webで検索してみると、作者は「ニャッキ」の伊藤有壱(もしくは伊藤氏の会社I-TOON)が作っているようだ。
最初、タイトルを知らずにこのアニメーションを途中から見て、面白いと思ったので最後のタイトルを確認しようとしたら平井堅の「キミはともだち」だったのだ。そのとき誰だと思ったか、今は思い出せないのだが、平井堅ではない別のミュージシャンを思い浮かべていた。最後にタイトルと共に、平井堅と知って悪くないじゃんと思ったのだった。これで平井堅が好きになったわけではないのだが。もともと平井堅が好きじゃなかったのは、「おじいさんの古時計」のせいだろうか。それ以外の曲とかほとんど知らないのだけど、それらは特にいいとか悪いとかいうよりあまり心に残っていない。ただ「おじいさんの古時計」だけはなんだか嫌だった。この曲自体は好きなんだけど、なんで平井堅が歌うのかと思った気がする。
昨日は夜中に寝るつもりのないまま眠ってしまい、今日もほぼ一日だらだらと過ごして暇さえあれば寝ていた。ちょっと疲れが出てきたみたいだ。夕方から、下北沢のQuinka ,with a Yawnの出演するライヴに行くつもりだったが、そんなわけで中止。昼間のうちにやってしまうつもりのことができてなくて、泣く泣く諦めたのだが、諦めてもそれをしないでまた寝てしまったりして、今日は一日休養の日で終わってしまった。また、今週もハードな一週間が続きそうなので、これくらい休んでおいて正解なのかもしれない。
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最近は朝6時起床、朝食を取らずに出かけて、電車で仮眠。コンビニでおにぎり二個とお茶を買って8時過ぎに仕事場に入るという生活パターンになっている。1時間程度では大したことはできないが、何かをすることはできる。
夜は夜で、帰宅時間が不規則な上、大抵24時過ぎに帰るので、さっさと作れる蕎麦とかパスタの麺類が多くなりがち。というか、1時半とかに帰ってきてわざわざ作るか、そもそもそんな時間まで食べないのか、等々の問題はあるが、何かしら作って家で食べている。たぶんそういう時間が気を抜く時間になっているんだろうと思う。
今日も23時半くらいに帰ってきて、余っていたパンを食べる。それだけだと物足りなくて、あとからパスタをゆでる。食事中は、テレビで適当に音楽系の番組を流しておいた。そのあと、風呂に入って日記を書いていると、ほら3時である。明日も6時に起きるとすると、3時間しかない。さっさと寝ようと思いつつも、なんとなく寝たくなくて、寝ないで済む理由を探したりしている。
だいたい、ここ数年で明らかになったことに、どんなに遅く帰ってきても、家に帰ってから寝るまでに3時間必要である。それだけないと、寝ようという気持ちになれないのだ。その3時間をすべて読書に当てていれば、2日に一冊くらい本を読める。DVDを観ていれば、毎日1本の映画が観られる。と、思ったりするのだが、それはやっぱり錯覚だよね。
えー、特に結論はない。
まあ、3時間丸々はともかくとして、そのうち50分読書に回していたら、『密やかな結晶』(小川洋子 講談社文庫 bk1 / amazon)が読み終わっていたはずなのに、と思う。
それでいて、読み終えてしまうのがもったいない気もするので、明日に取っておけて良かったような気もする。
んー、一体何を書いているんだ。よくわからないが、結論のないまま終り。
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昨日、半分居眠りしながら書いていた日記は、なんともまとまらないのでアップするのをやめようかと思ったのだが、結局そのままアップしたのだが、ちょっと反応もあったりして、まあこういうのもありかなと思いなおす。
日曜に休養したとはいえ、睡眠不足続きで、今朝はさすがに起きられず、ようやっと起きたのは7時頃で、1時間早く行くことができなかった。電車の中で『密やかな結晶』(小川洋子 講談社文庫 bk1 / amazon)を読み終えて、あとは仮眠。
『密やかな結晶』にはあまりにも理不尽な出来事を受け入れていくわたしに、歯がゆく感じつつもどうにもならないのも事実だ。なんとなく、この無力感は、村上春樹の『国境の南、太陽の西』(講談社文庫 bk1 / amazon)を思い出した。この小説って、僕は「やり直しがきかない年齢になってしまったことを受け入れる物語」だと思っていて、年齢とは関係ないけれど、『密やかな結晶』にも自分の努力とか意志とかではどうにもならなくて受け入れざるを得ない物語という気がしたのだった。
それでも、結末に「わたし」はすべてを受け入れて終わるのに対して、全く別の可能性が見えてくるのは希望的だ。
いろいろ思ったことを書きたいのだが、ちょっと時間がないのでここまで。といっても、追記とかはたぶんしないような気がする。時間もないが、まだうまくまとまっていないから。
夜、コンビニで買ってきたもので軽く腹を満たしたので、家に帰ってからはビールを飲むだけにする。なのになぜか気がつくと3時になっている。慌てて風呂に入って、日記を書いている。今からすぐ寝れば、家に帰ってからやっぱりほぼ3時間後に寝ることになりそう。これじゃ、明日も眠いなぁ。
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送別会というか壮行会というか、そんな口実で久々に飲みに行く。これも参加は五分五分というか、出られるかどうかかなりわからなかったのだが、たまには早く帰ろうということになって参加できた。それでも1時間遅れの参加。毎日寝不足なので、飲んでる場合じゃないという話もあるのだが、やはりストレス発散も必要だし。しかし、二軒行ってもバカ飲みするわけでもなく、大人しく和やかな飲み会になった。22時半くらいには解散になって、家には仕事より早く帰ってきたくらい。
電車で、『刺繍する少女』(小川洋子 角川文庫 bk1 / amazon)を読もうとしたが、ページを開いただけで眠ってしまった。
家で寛ぎながらテレビで流れていたtommy heavenly6(amazon)のPVを見る。声とメロディがすごく気になって、ミュージシャン名を確認するが、tommy heavenly6ってtommy february6(amazon)の別名で、さらにthe brilliant green(amazon)のtommyのことだというのが、ようやっと頭の中で結びついた。雑誌の記事でずいぶん前に見ていたのだが、今日声とメロディの感じではっと気づいて、その古い雑誌を探して調べたのだ。the brilliant greenは、昔CDショップで流れている曲がすごく気に入って、アルバムを一枚買ったのだが、そのときのことを思い出す。
寝ようと思ったら、家に帰ってからやっぱり3時間ほど経っていた。
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昨日、読めなかった『刺繍する少女』(小川洋子 角川文庫 bk1 / amazon)を読む。最初の「刺繍する少女」を読むと、かろうじて見開き1ページ分は記憶に残っていた。しかし、ページを捲るとそのあとは全く記憶にない。どうやら見開き1ページで眠りについたようだ。
毒も残酷さもそれほど強くない、静かな物語。この一篇だけを読むとあっさりとしすぎて物足りない気がした。短編集というのは、収録されたそれぞれの作品を読んでいくとまた印象が変わっていくように思うので、物足りないという印象はまた変わるかもしれない。
PVで最近気になっているものをメモ。
LINKIN PARKの「Breaking the Habbit」。このPVもアニメーション作品で、『BLOOD THE LAST VAMPIRE』とか、「キル・ビル vol.1」のアニメーション部分的な雰囲気がある。
と思っていたら、やっぱりProduction I.G.が制作しているみたいだ。「キル・ビル」のアニメーションスタッフが参加しているとか番組の中で言っていた。音楽がそんなに好きな訳じゃないのだが、アニメーションのレベルが高いので流れていると思わず見てしまう。
東京エスムジカの「月凪」がいい。こちらはPVがというよりも、エスニックな感じの音楽性が好き。PVを見る限り、女性二人のヴォーカルグループのようだ。
矢野絢子の「てろてろ」ピアノで弾き語り。すごくシンプルなのだが、心に沁みる。誰かに似ていると書くのはよくないかもしれないが、どんな雰囲気かというと僕は片桐麻美を思いだした。amazonの解説にはメジャーデビュー・シングルとある。他の曲も聴いてみたいな。
追記。気がついたら3時になっていたので慌てて入浴。帰宅してから寝るまでに3時間かかるとか書いていたが、今日はもう既にたっぷり3時間経っている。やばい、早く寝なくちゃ。とか書いている暇があったら、寝なさいといわれそうですね。ごもっとも。
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昨日、受け取りが必要な郵便物の配達時、不在だったために預かっているという通知が入っていた。再配達してもらうために通知を持って出かけたのだが、連絡をしないまま夜中になってしまった。帰りの途中、ふとそれに気づいて郵便局のあるさいたま新都心で降りる。24時間受付だというので、貰って帰ろうかと思ったのだ。
しかし、夜中のさいたま新都心ほど何もないものはない。外灯もすべて消えていて、真っ暗な中を延々と歩く。本当に郵便局があるのだろうかと思い始めた頃にようやく辿りつく。手続きは簡単に済み、帰りは20分くらいで歩いて帰れるはずという見込みで、歩いて帰る。約2キロくらいの距離で、遠いような近いような。汗をかいた。
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昨夜は意味もなく夜更かしをしてしまい、今日は目覚めるとすでに11時。目覚めるなり、こむら返りが起こってしまい、じっとして痛みが引けるのを待つ。
雑用をこなして出かける。休日だが仕事。仕事といっても、事務手続きのようなもので、そんなことのために土曜日を潰すのはつまらないと思うが仕方ない。
帰りに上野の駅構内にある本屋、BOOK GARDENの前を通ると改装してとても綺麗になっていた。ふと、吉野朔実の『period 』 1巻(小学館 bk1 / amazon)が発売になっていたことを思い出して、立ち寄る。ちょうど、二、三日前にWebで発売を知り、買わなくちゃと思っていたのだ。
ちょうど出かけるのに、本を持っていくのを忘れていたので、帰りの電車で読む。電車の中でほぼ読み終える。面白かったのだが、何かしっくりこなかった。その理由がよくわからないが、何か違うという思い。それは描かれていることなのか、むしろ吉野朔実のコミックスに求めているものはこういうものじゃないという違和感か。まだ一巻で、このあと冒頭にあるシーンまでどう繋がっていくのか先が全く読めないので、結論を出すのは早いと思うが、暴力を振るう父親の話がどうもしっくりこないのだ。
そういえば、この間買った『透明人間の失踪』(小学館 bk1 / amazon)は、買っただけで読んでいなかった。
夜、チャンネルNECOで放送していた、映画版『エコエコアザラク』の4作目『EKOEKO AZARAK』を観る。映画館で見逃していたので初見。それまでの三作とは違う新たな『エコエコアザラク』というようなことを聞いてはいたのだが、観てその意味がわかった。全く『エコエコアザラク』ではない、ということ。
女子高生黒井ミサが、森で目を覚ますと廻りには不可解な死に方をした若者たちが倒れていて、自分だけが生きていることに気づく。話が進むにつれ、ミサは友達と遊びに行ったクラブで男たちに誘われ、森に連れて行かれてレイプされそうになるが、そのとき何かが起こって、彼女だけが助かったらしいと徐々にわかってくる。そこで何が起こったかを、テレビ局が番組のネタとして悪魔的な儀式が行われたと報道する。それが真実なのかは明らかにならないが、その報道が原因で黒井ミサは魔女の烙印を押されて追い詰められていく。主人公の名前は黒井ミサだが、『エコエコアザラク』の設定とは異なり、普通の女子高生がテレビの報道で魔女となっていくといくという物語になっている。そして……。「エコエコアザラク」という呪文が、キーワードになっているが、物語としては『エコエコアザラク』とは別物になっていて、『エコエコアザラク』である必然性は全くない。
単に、魔女ものというだけで、日本では魔女ものというジャンルが(アニメの魔女っ子ものを除いて)存在しないから、むりやり『エコエコアザラク』にしてしまったという感じがする。企画は、『エコエコアザラク』の新作として企画されたのだろうから、今までと違う『エコエコアザラク』という話になった時点から何か間違ってしまったんじゃないか。映画の出来不出来と『エコエコアザラク』であるか否かは関係ないのだが、黒井ミサというキャラクタの意味がないのでは、羊頭狗肉になってしまう。どうしてもこういうはなしにしたかったのであれば、主人公の加藤夏希は別のキャラクタにして、黒井ミサの方はただ通り過ぎるだけとか、あるいは黒井ミサが記憶を失って自分の力を知らずに使ってしまうとか、それでなけりゃ既に黒井ミサは死んでいてその転生として生まれた少女が主人公とか、とにかく『エコエコアザラク』の外伝として成立させるべきだと思う。
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目覚ましもかけてないのに6時半くらいに目を覚まし、そのまま起き出す。いくらなんでも6時からは見ないと先日書いた「M-ON! カウントダウン 100」をつける。80位台だか90位台だかかなり初めの方から見られる。その後途中中断するが、15時の1位までほぼ7〜8割くらいは視聴した。やっぱり気になるのは大体同じ曲で、「月凪」(東京エスムジカ)とかtommy heavenly6の「Hey my friend」とか。
東京エスムジカは、名前が覚えにくかったのだが、エスムジカがなんのことはないeth-musicaであると知り、そのまんまで非常にわかりやすい名前だとわかった。
久々にDVDで映画を観る。観たのは『トゥームレイダー』で、例の1&2ツインパック(amazon)を先日購入したのだ。劇場で観たときには、派手な割には何が起こってるかよく判らないみたいなところがあったが、今回観た印象は『マトリックス リローデッド』なんかと同じで、主人公が絶対死なない安心感が緊迫感のない映画にしているという気がした。それは冒頭のつかみのアクションのオチもよくないんじゃないか。
でも目的は、2のヤン・デ・ボンを観る前の復習なのでよし。早く観たいが、早くて来週の土日で、しかしそんなすぐに観られない予感もちょっとある。とはいえ、あんまりのんびりしていると、復習の意味がなくなってしまうのでさっさと観なくちゃ。
午後は来客などもあり、夜は寿司屋へ。回転寿司だが、回転寿司といってもシステムとしての回転寿司というだけで、値段はそれなりになっている。驚いたのは一皿700円くらいのものがあって、そんなものが流れてくるとなかなか手が出ない。メニューを見て食べたいものを注文するのと、目の前を値段の付いたものが流れてくるのではこうも違うのかと思った。
あとは回転寿司では風情がないので、普通の寿司屋で注文できても、回転寿司では注文する気にならないという価格帯もあるかな。ウニなんかも、注文して頼むと、寿司と一緒にウニの殻(あのイガイガね)が載せてあったりして、一瞬驚くのだが、回転寿司の場なんだよなぁ。
やはりそういう意味では、食事をするには時間や空間も大事だ。外食して高いときには、場所代も含めてこの値段なのだと納得しようとしているが、まさにその通りなんだと思う。もちろん、そのときには本当にその時間を愉しめることが重要だけど。
朝、早起きした疲れと、満腹感で眠気が出てきて、一仕事しようと思ったがまずは仮眠。30分くらい眠って目を覚ましたが、まだ頭の芯がすっきりしないのでもう一度寝直す。天気が良くて、Tシャツ一枚でじっとしていても汗ばむくらいなので、ちょっと怠い感じがするのも理由の一つか。
結局、21時から23時半くらいまで寝て、ようやっと疲れが取れた感じ。いつも寝る時間の3時くらいまでちょっと仕事をするか。
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ちょっとお疲れ気味。昨日の暑さも疲れに拍車をかけている気がする。
やらなくちゃならないことが山のようにあって、遅々と進まない一日。
読書、0ページ。
夜中に放送の音楽番組のtommy february6特集を観ようと思っていたが間に合わない。
夜中に冷やし中華を作ろうとしたら、冷やし中華でなくて冷麺だったことに気づく。
別に冷麺が嫌いなわけではないのだが、冷やし中華を食べるんだ、と思っていたのでちょっとショック。
箇条書き程度で済むような一日。
気がついてみれば、5月ももう終わりじゃん。
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ダメダメな一日。朝寝坊。呼び出し食らう。打ち合わせキャンセル。箇条書き以下の一日。もう単語レベル。
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