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2002年1月後半
泥酔
久しぶりに会う人と飲んだら泥酔した。遠回りして家に帰り、気がついたら畳の上で居眠りしていた。時計を見ると午前4時半。リピートで流していたデリコが淡々と歌っていた。
連ちゃん
昨日に続いて今日は新年会で飲む。七時から始まって、二次会に行って十一時まで。まだ行く人もいたようだが、昨日の飲み過ぎが祟って今日は素直に帰る。っていうか、終電なのだが。
しかし飲んでばかりで何も進まない。日記に書くことがないって、自分はまる一日一体何をしていたのだろう。
矛盾
一体何を考えているのか、何も考えていないのか、矛盾したことをいろいろ頼まれて腹が立つ。トドメは、仕事を頼んで置いて、飲みに誘うという矛盾。只酒を飲んだが、蕎麦屋で飲み直す。
老人力
DVDで『スペース カウボーイ』を観る。最近のイーストウッドの映画は、老人パワー炸裂みたいなものが多くて、これもそういう一作だが、この作品では赤瀬川原平の「老人力」に近い方の老人パワーも出ていてなかなかいい。
夜、テレビで少しだけ『新・逃亡者』を見る。テレビシリーズのドラマを二話分だけテレビ映画劇場で流すってのは何なんだろう。
メールとPIM
メールソフトとPIMにはOUTLOOK2000を使用していて、特にスケジュール管理にはOUTLOOK2000とCLIEで同期を取って使っていて、ほとんどこれがないと一日何もできない。メールソフトとしてのOUTLOOKには多少不満もあるのだが、ここ数年使い込んできて、これもかなり使いやすいソフトという印象を受けている。ちょっと思うところがあって、別のメールソフトとかPIMについて試してみる。
夜、テレビで007シリーズの『ゴールデン・アイ』を見る。
貧乏暇なし
いろいろあって読書は進まないし、映画も観に行けない。でも全く何もしていないわけじゃないのだが、ものを書く暇がない。書きはじめてものってこないし。そういう時期みたいなので、書けないのを無理矢理書こうとすると苦痛なので、書きたいことだけ書く。っていうか、いつだって書きたいことを書きたいように書いているだけだけどさ。
BGMはXTC。最近またヘビーローテ。
どちらに転んでも
『ラーゼフォン』というアニメについてこの間書いたけれど、そろそろだなぁと思って、今日確認したら昨日が第一回目の放送だった。いきなり見逃す。
「来るべきうたかたの日々」とかクリエとかにちゃんとメモっとけばいいものを。まあ、忘れたら忘れたでいいやという気持ちも半分なのだが。テレビ番組チェックまであんまりこまめにやってしまうと、だんだん自由が利かなくなってしまうので嫌いなのである。でも、ダメ人間みたいな気分になって不快。
しかし、アニメって一生懸命見てると、それはそれでダメ人間みたいな気分になる。
欲望の曖昧な対象
メールソフトBecky!を使って、使い勝手を評価中。あと、個人情報管理ソフトのロータスオーガナイザー2001が気になっている。これって売れてるのかどうか、有楽町と秋葉原で確認する。ついでにパソコンも見る。前からLibrettoが欲しいんだけど、VAIO C1Rもテキストエディタとしてなら、まだ十分使えるしなぁ。というか、メールや日記の更新なんかはすべてC1Rだったりする。
Becky!に足りないもの
Becky!についてほぼ評価が定まる。メールソフトとしては確かに本当によくできている。個人的なメールについてはBecky!に切り替えることにした。複数アカウントのメールボックス、メールボックスごとに設定できるのが便利である。それから、未読メールを読んで特定のフォルダを読み終わると、次のフォルダに移動してくれるので、メーリングリストのようなついつい溜がちなメールも消化しやすい。フォルダを移動するだけなのだが、そういう細かい操作が重要なのだ。
ただ、あくまでBecky!は、「メールは読んで、時には返信して、削除していくもの」という思想に乗っ取っているように思える。そういう使い方であれば問題ないが、「メールは読んで分類し保存し、繰り返し検索参照するもの」とすると、機能が足りなくなる。e-mailっていうのは前者のように使われてきたものだと思うのだが、仕事でメールを使うようになった最近ではむしろ後者の使い方になっている。電話するよりメールを使って、それは記録というか証拠になるもので、分類も必ずしも一つではなく複数の分類がしたいしいつでもすぐに差出人やタイトルや本文で検索したい。その点、メールの分類がフォルダで分けるか、色を付けるしかないというのはかなり辛い。
今、僕がOutlook(Outlook ExpressじゃなくてOutlook2000の方)ではメールをこんな風に処理している。
メールが届くと、ひとつのフォルダに放り込むメールは内容によって分類という属性をつける。分類は一つのメールに複数個つけることが可能である。また、自分宛に来たもの、特定の差出人から来たメールには色を付ける。これらは自動仕分け機能で行っている。
これでメールボックスを開くと、未読だけが表示されるので順番に処理するのだが、必要であれば分類別に表示して、関連するメールをまとめて処理する。すぐに返事ができないものには忘れないようにフラグをつける。一覧で旗のマークが見えるしソートできるのであとですぐにわかる。自動仕分けで分類されなかったものは、処理したあとに分類しておく。
そして、処理したメールは数ヶ月分を一つのフォルダにぶち込んでしまう。ただし、友人からのメールとか、ダイレクトメール、メーリングリストなどはっきり分かれるものは別フォルダにしておく。
この一つのフォルダにぶち込んでしまうのがポイントなのである。何か探すのはこの目的のフォルダを一個覗けばいい。分類別に表示したり、差出人や日付でも表示できるのですぐに見つかる。仮に見つからない場合には検索をかければいい。分類ごとにフォルダを分けないので、一つのメールに二つの内容があるとか、どちらかに分類したくないなどという問題はない。
OutlookからBecky!に移行する場合、困るのは振り分けしたらフォルダを分けるか色を付けることしかできないことだ。色を見て直感的に分類を区別できるのは、重要とか緊急とかそういうレベルだけだろう。どうしてもフォルダを分けなくてはならない。フォルダを分けてしまうと、何ヶ月か毎に保存しようと思ったときに、数が多ければ面倒になる。今、分類は20から30くらいに分けているが、複数の分類もつけられるので細かく分類しすぎて困るということもない。フォルダを分けると、どの程度の分け方に留めるかが難しくなる。
Outlookにしても、今の使い方のスタイルを作り上げるまでに数年かかっているので、Becky!もこれから試行錯誤していくしかないのだが、いかんせん分類の種類が少なくてはOutlookのような使い方はできないだろう。ということは、メールはメールとして処理して保存参照については別のツールをうまく使うことになるのだろう。と、考えると物足りないのである。
横全読歩
『迷路荘の惨劇』を読了、元短編の「迷路荘の怪人」(『金田一耕助の帰還』光文社文庫 収録)を読む。出先で金田一ものを買おうとしたが、数冊しか置いてなくて読んでないものがなかったので他の本を買う。
『迷路荘の惨劇』 横溝正史
地下道の抜け穴に繋がる隠し戸などがある屋敷で起こる殺人事件。事件にの直前に隠し扉から姿を消した片腕の男。片腕の男といえば、20年前の陰惨な事件で、片腕の男が行方不明になっている。果たして、謎の男の正体はその20年前に姿を消した男なのか、といった話である。
いかにも横溝正史風の雰囲気で、しかも冒頭20年前の事件について書かれたあと、本編の最初から金田一耕助が現れる。消えた片腕の男の調査を依頼されたのだ。テンポよく始まったように思ったのだが、なかなか読み進まなかったのは、読書意欲が落ちていたのもあると思うのだが、どうも事件後に長々と続く事情聴取のせいだと思える。やたらとその場にいあわせた人たちの行動と時間を聞き出しているのが続く。しかし、言いたいのは簡単に言えばアリバイがないことだけだ。
密室殺人が起こったり、地下の洞窟探検など、後半盛り返すが一度滞ったペースはなかなか戻らなかった。犯人が明かされたあとの大団円で、ある人物が犯人と対決することになる洞窟の冒険譚の一つが語られるのだが、これなど非常に面白いのだが、後日談として語られるのがもったいない。後半の盛り上がりに挿入すればいいエピソードなんじゃないかと思った。なぜ、これが最後に収まったのかといえば、犯人をその時点で明かしたくなかったからという気がする。まだ金田一耕助が謎解きをする前だからだ。
どうも名探偵が結末で意外な犯人を指摘するという型にはめようとして失敗しているように思うのだが。(などと、横溝正史先生を捕まえてこんなこといっていいのか。)
光文社文庫から『金田一耕助の帰還』という短編集が出たが、これは後に長編に書き直された初出の短編ばかりを集めた短編集である。これに収められた『迷路荘の惨劇』の元となった「迷路荘の怪人」という短編を読んでみる。こちらは、短編だから当たり前といえば当たり前なのだが、すっきりというかあっけないくらい単純に事件とその謎解きに集約されていて、長い事情聴取もないかわりに、密室殺人と洞窟の冒険もなくて気が抜けた。
長編を読んでから読むと、かなり物足りない気がしたので、『迷路荘の惨劇』の書き込まれた部分に金田一もののエッセンスを見たように思う。
(『迷路荘の惨劇』>(横溝正史 角川文庫) 2002/1/23)
こんな古本屋、嫌。
久々に古本屋を覗くと、角田喜久夫の『闇太郎変化』(春陽文庫)を見つけたので購入。この店では著者名の五十音順に並んでいるので、同じ著者の本はまとめて並んでいる。最初、持っているのしかないなぁと思っていたら、ちょっと離れたところにもあるので、見落としたのだと思ったが、よく見てみると「か」の項目に並んでいた。角田喜久夫の名前を知らない古本屋なんて、嫌。
今読んでるもの
同じ古本屋で篠田節子の『ハルモニア』(文春文庫)も買ったのだった。
あと、昨日出先で『迷路荘の惨劇』と元短編の「迷路荘の怪人」を読み終えてしまい、『ループ』(鈴木光司 角川ホラー文庫)が文庫で出ているのを見て、読み始めた。前にある人が、『ループ』は傑作で、『ループ』を読むためだけにでも『リング』『らせん』を読む意味があるというようなことを言っていた。で、『リング』『らせん』を読んだのだが、この二作については今ひとつという印象で、肝心の『ループ』は単行本なので文庫になってからでいいやと思ってすっかり忘れていたのだった。
でぶ猫
この間、本屋で見かけて印象的だった英語の本が気になって、本屋に立ち寄ってみる。
『ビッグ・ファット・キャットの世界一簡単な英語の本』というのがそれだ。何が印象的かって、表紙がでぶ猫なのである。最近、なんか英語は勉強してはいけないとか、そんなような英語入門書が多いような気がするのだが、これも「世界一簡単な英語の本」となっている。だが、それが本当に世界一簡単な英語の本なのかどうかはどうでもよくて、表紙の猫が可愛いのである。
で、この間は手にとっても見なかったのだが、見てみる。よく見ると帯には村上龍と松岡佑子の推薦文が載っている。松岡佑子の推薦文がおかしい。「(前略) 副読本に原書のハリー・ポッターを推薦しているのも気に入った」。それは推薦ではなくて、ハリポタの宣伝ではないか。もっともハリポタはもはや宣伝不要だけど。
中身にもこのでぶ猫が出てきて、愉快愉快。猫好きはとりあえず手に取ってみるとよい。なんか中身の画の感じも気に入って買ってしまう。読んでみると、英語の本としては異色だけど面白いと思う。まず、著者が英語べらべらな人ではなくて、英語も喋れないまま留学してしまったという話がいい。次に英会話教室なんかいっても留学しても努力しない人は英語がうまくならないと言い切ってしまうのもいい。じゃあ、どうやったら話せるようになるのかというと、ひたすら英語を読むのだという。ヒアリングじゃなくて、ひたすら読むのだという。この本ではそのために必要なコツを教えてくれる、文法用語を使わずに文法の基本の基本を教えてくれるというのである。
その中の一つとして、動詞(この本では動詞とは言わないけれど)の見つけ方を書いていて、これは実感としてよくわかる。英語の文章を読むときに、長い文章をなかなか理解できないと、動詞にマーカーを引いてみるということを一時期やっていた。これって同じ考え方だなと思って、一通り読んでみる。後半は実践問題ということで、短い物語が載っていてこれで練習というか、感覚をつかめるようになっている。
英語が得意な人にはばかばかしいかもしれないけれど、苦手意識のある人は立ち読みで読んでみてもいいかもしれない。なんか、ものすごく久しぶりに英語勉強してみようかなと思った。
今日のテレビ
テレビで『ツイスター』を観る。牛が飛ぶことは有名な映画だけど、ヒットしたのだろうか。この映画、竜巻を題材にしたパニック映画みたいなのだが、そういうのを期待してみると気が抜ける。実は竜巻バカの映画なのである。映画館に観に行ったときにはたぶん全然期待せずに行った気がするのだが、結構気に入った。そういう何かに夢中になってるバカの活躍する映画って好きなのである。
テレビで先週見逃した『TRICK2』を見る。面白い。こういうの好きだ。毒殺のトリックでは、土屋隆夫のある作品を思い出した。
今日の映画
クリント・イーストウッド強化月間は続く。今日は、『ザ・シークレット・サービス』を観る。ペーターゼン監督の手堅い演出で、敵役マルコヴィッチも格好くて好きだ。
夜は、テレビで『ランボー2 怒りの脱出』を観る。これ、観てたかと思ったが観てなかったみたいだ。脚本にキャメロンが参加していて、へぇっと思う。
だいじょうぶマイ・フレンド
カラオケで、「だいじょうぶマイ・フレンド」を歌おうとしたら、まさに「だいじょうぶマイ・フレンド」というフレーズしか歌えなかった。笑いをとれて吉。
英語の本
『ビッグ・ファット・キャットの世界一簡単な英語の本』に触発されて、英語勉強しようかなぁと思って、本屋で辞書のコーナーを見に行く。この本とは関係なく、前から英和と和英どちらも一冊ずつ欲しいと思っていたのである。でも、最近はWebでも翻訳してくれるし、なくても困らないような気がする。まあ、だから買わずにずいぶん経ってしまっているというのもあるのだが。
それで、語学のコーナーを見ていたら、『英語は絶対、勉強するな!』(鄭讃容 サンマーク出版)が平積みになっていたので、立ち読みしてみる。この本も、結構話題になって一時期というか、今でも平積みになっているが、読んだことはなかった。パラパラと読んでみたら、英語を勉強するのではなく、身につけるのだという。ステップが5つあって、その通りに進めれば誰でもペラペラになれるらしい。で、この本は、そのステップを解説しているだけではなくて、実際にKさんという人がその方法で英語を勉強してどうなったかという体験談が実例として載っている。
Kさんは、最初のステップでは大成功し、TOEICで200点アップするのだが、困ったことに次のステップで伸び悩み、鄭先生の方法を辞めて再び「勉強」してしまう。しかしその結果、テストでは惨憺たる結果になる。先生の教えを疑ったKさんは反省し、再び先生の方法でやってもいいでしょうか、と尋ねるのだが、一度「勉強」してしまうとまた一からやり直しになってしまうという。なんと、きびしい。しかし、そのあと先生の教えを守って5ステップをやり遂げると英語がペラペラになってしまうのである。なんだか怪しげな通信販売の広告みたいだ。
鄭先生の5ステップは、とにかく聞き取れるまでテープを聴き、そのあと書取り、次に英英辞典で意味を調べ、映画を繰り替えし見て、最後は英語の雑誌などでどんどん情報を蓄えていくというもので、とにかく英語で考えられるようにするのである。その基本は、英語をたくさん吸収して、自然に出てくることを狙っていて、その点は、『ビッグ・ファット・キャットの世界一簡単な英語の本』でも同じようなことを言っていた。結局英語って、あるいは英語に限らず語学ってそういうものなのかもしれない。
汝、奢ることなかれ
新年会がある。二次会と併せて、1万8千円かかった。奢りすぎ。くー。
メビウスの輪
『ループ』(鈴木光司 角川ホラー文庫)をようやく読み終えて、『捩れ屋敷の利鈍』(森博嗣 講談社ノベルス)を読み始める。捩れ屋敷とは、「メビウスの輪」の構造の建物のことだった。意図していなかったのだが、「ループ」の後が「メビウスの輪」とは奇妙な符丁。
ところで、この講談社ノベルス創刊20周年記念密室本シリーズは、表紙を開くの中身がすっぽり袋とじになっている。袋とじを開いてみたけれど、何のために本全体が袋とじなのか意味不明。トリック部分だけ袋とじならまだ判るのだけれど。
そして話の方だが、瀬在丸紅子シリーズと犀川&萌絵シリーズが交錯と聞いていたのだが、瀬在丸紅子シリーズの常連は保呂草潤平しかでてこないようだし、……というか、そういうことも秘密というのが袋とじの意味なのかもしれない。とりあえず沈黙。
『ループ』 鈴木光司
『リング』、『らせん』に続く三部作の完結作である。ある人が、『ループ』はもの凄い傑作で、『リング』、『らせん』は『ループ』を読むだけのために読んでもいい、とくにく『ループ』を読め、と主張していた。それで、『リング』、『らせん』を読んだのだが、『リング』はそこそこ面白かったけれど騒ぐほどじゃないと思い、『らせん』はホラーというよりSF的な話の作りに割とがっかりした記憶がある。
二作が期待したほどではなかったため、当時はまだ文庫にもなっていなかった『ループ』については、そのまま忘れていたのだった。
今回、手にしてみて、前作である『リング』、『らせん』の方の記憶が薄れていた。続きを読むのに前作を忘れていて大丈夫かなと思いながら読み始めたが、大丈夫も何も『リング』とも『らせん』とも違う部分から始まる。それどころか、3分の1くらい読んでも全然『リング』に繋がらないのでどういうことかと思ったが、なるほどタイトル通り『ループ』になった物語であった。
前二作については、今では記憶は曖昧だが、『ループ』の方が完成度が高いと思う。これもまた、ホラーではなくSFになっていると思う。そして『リング』に戻る話としては確かに面白い。しかし、(読んでる人にしか判らない説明になるが、)『ループ』なのだから、内側と外側の話ではなく、もう一つ外側の話、さらにずっと外に繰り返す話になったらもの凄かったんじゃないかと思った。
(『ループ』(鈴木光司 角川文庫) 2002/1/29)
謎が解けない
『捩れ屋敷の利鈍』(森博嗣 講談社ノベルス)読了。最後のはっきり書かない謎の意味が解けない。S&Mシリーズを読んでいれば判るんじゃないかと思うのだが、思い当たらない。それとも本当に意味なしなのか。
QED
講談社ノベルス創刊20周年記念密室本シリーズ第一弾のうちのもう一冊『QED 式の密室』(高田崇史 講談社ノベルス)を読み始める。
夜はワインをたくさん飲んでへろへろになる。なので読書は進まない。
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