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2007年5月後半

2007/05/16

フセン読書術?

 こどものもうそうblog「本を自分のものにするフセン読書術」フイナム:読書メロンというのが書かれていて、ちょうど最近似たようなことを書こうかと思っていたので、便乗してみる。

 この「フセン読書術」、こどものもうそうblogの米光一成がWEB雑誌「フイナム」に書いた記事の紹介。なので、「フセン読書術」がどんなものかは、「フイナム」Vol.37の方をアクセスしないといけない。見開き一ページのエッセイなので、「読書術」というほどたくさんのことが書いてあるわけではない。ポイントは4つ。1)半透明の付箋を使う。2)カバーの袖につけておく。3)色の使い分けはしない。4)目的によって貼る場所を変える。

 僕のやり方も大体似ている。付箋は5cm×1.5cmくらいの小さいものを使用している。小さい方が邪魔にならないという以外に、特にこだわりがあるわけではない。半透明の付箋紙を使うというのはなるほど良いアイディアである。半透明のものも今度試してみよう。

付箋  カバーの袖につけておくというのは、誰しも考えることだろう。僕の場合、愛用のブックカバーの袖部分につけている。付箋を適当な枚数だけはがしてそのままペタリ。カバーに貼っておけば、本を差し替えてもそのまま使える。余談だが、他にシステム手帳と定期入れにも付箋を貼っていて、読書に限らず必要な時に使えるようにはしている。

 色の使い分けは僕もしない。写真には4色取りそろえているけど、単なる気分の問題で、色は気にせずに貼り付ける。『三色ボールペンで読む日本語』(斎藤孝 角川書店)という本が先日書店で平積みになっていたのでパラパラと10分くらい見た。立ち読み記憶なので言葉は違うかもしれないが、「客観的に最重要な箇所に赤、客観的に重要な箇所に青、個人的に興味を持った部分に緑で線を引く」という使い方になっていた。それと固有名詞などには線ではなく丸で囲っていた。
 これくらいの緩い区別で3色の付箋を付け替えてもいいのだが、読書の意識を中断するのが嫌なのと、付箋の箇所はあとから拾い読みして書き写したりするから、そのときに分類すればいいので分けていない。
 最近図書館の利用が多いので、そういう本は書き込みができない。付箋だと借りた本でも気にせず貼れるのでよい。

 色の使い分けの代わりに、付箋を貼る位置を変えることによって、目的をわかるようにするというのが米光一成の方法で、これも良いアイディアだと思う。使い分けについては、エッセイの本文を見てほしい。
 ただ僕の場合は、貼る位置はいつも同じ。常に上に2、3ミリはみ出すようにして栞の役目を果たすように貼る。下はともかく、左右は読むのに邪魔だから貼りたくない。興味ある行の右側に貼っておくので、その一行を読み返せば自分の興味の箇所は判る。行だと意図が判らなくなりそうだと思うときには、その該当の箇所のすぐ右にもう一枚貼ったり、書き込みをしておくこともあるが、大抵は上にはみ出す形で貼る一枚しか使わない。
 貼る位置の応用として、急ぎ調べたい、忘れないうちに再確認したいときなど、緊急度の高いものを下にはみ出させて貼るようにするのもいいかもしれない。

 最後に米光一成のエッセイでは「こうすると、読み終わった後、自分用のメモのついた自分オリジナルの本になっていく。」とあったのだが、ここが一番違うかもしれない。借りた本は返すので当たり前だが、自分の蔵書でも基本的には付箋を最後に取ってしまう。付箋はあくまで後でチェックするためなので、チェックが終わったら取り、取った時点で最終的な目的の完了となる。
 読む本がほとんど小説類だからだろうかと思ったのだがそれだけが理由ではないようだ。マニュアルや実用書なら付箋を貼っていてもよさそうだと思って、部屋の本をいろいろ見て回ったのだけれど、見渡す限り付箋の貼られた本は今読んでいる本以外には一冊もなかった。仕事の資料などにはたくさん貼ったままのものがあると思うのだが、家の中に全くないというのは面白いことだ。

 「フセン読書術」って面白いかなと思ったが、書いてみたらただ単に本を読みながら付箋を貼ってるというだけで、読書術というほど大した話にならなかった。まあ、でも他人がどんな風に付箋を使ってるのかという興味を満たす程度の話題にはなっただろうか。

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2007/05/17

早起き

 昨夜0時過ぎから居眠りしてしまい、気がついたら4時だった。結局そのまま起きる。
 普段、3時から3時半くらいに寝ているのに、4時起床っておかしい。さすがに、夜、電車の中でもの凄い睡魔が襲ってきた。ヨガの眠りかと思ったよ。

 夜は芋焼酎一刻者(いっこもん)をお湯割りで飲みながら、0時にはもう睡魔に負けて眠りつくのだろうと思っていたら、0時を過ぎてから逆に元気になってきて2時半現在まだ眠くない。変なの。

 だが眠くなるまで待たずに寝ようと思う。なので、今日の日記はこんな日常話のみで。

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2007/05/18

twitterの距離感。

 急に忙しくなったせいか、一週間が早い。光陰矢の如し、時蠅は矢を好む、気がつけば金曜日だった。

 ウェブ上の「友達」って? -Twitterから感じる微妙な距離感を読んで、もの凄く共感した。
 最近、Twitterにはまっているのだが、一向にFriendsが増えない。それは自分からaddしないからだろうと思いながらも、ウェブの微妙な距離感に珍しく躊躇していたからだ。ところが、先日愛読している日記の方からaddしていただいたのを機会に、その夜酔った勢いも手伝っていくつかaddしてしまったのだ。しかし、翌朝目を覚ましてからなんとなく居心地悪く、挨拶のメッセージとかするべきなんじゃないかとか、いろいろ悩みつつも忙しさにかまけてそのままそしらぬ顔をして日々を送る始末。

 そんなときに読んだせいか、上記エントリに余計共感して、同志!とばかりaddしたくなる反面、よく考えてみればこちらは一方的な読者なのであった。

 かと思えば、Friendsが5000人以上のアメリカ在住の方からaddされていて、たぶん日本語はわからないだろうに一体どういうことなんだろうと疑問に思って、addを返せないまま数日経っていたのだが、そんな距離感がtwitterらしいのかもしれない。と思ってaddしてみた。

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2007/05/19

疲労が染み出てきた土曜日。

 先週録画し忘れた「ウルトラセブン」第2話を録画、鑑賞。タイトルの「緑の恐怖」を見るとたぶんあの話と思い出した。もちろん全部は覚えていないのだが、意外と記憶に残っていることに驚く。

 昨日書こうと思っていたのだがいつの間にか寝てしまっていて書けなかった『タンノイのエジンバラ』(長嶋有 文藝春秋)の感想とか、いくつか書こうと思っているものがあるのだがどうも頭が物書きモードに切り替わらない。
 エディタを開いてそのまま。

 今日は「渋澤龍彦幻想美術館」を観に行こうかと思っていたのだが明日でもいいかなどと思う。何となく出かける気が起こらないのは、ちょっと疲れがたまっているようだ。

 ふと気がつくとなんかもの凄い音がすると思ったら、外は激しい雨。道路の上を跳ねる雨が波のように揺らいでいく。出かけなくて良かっただろうかと思ったり、でも例によってあっという間に雨はあがっていた。

 夜、「電脳コイル」の第2話も観る。1話の最後で、サッチーという巨大な機械にヤサコとフミエが見つかった続きだが、期待を裏切らない面白さだった。フミエが額から光線を出したり、メタタグという電脳お札のようなものを貼ったりして、サッチーを牽制しながら逃げた先は神社。「サッチーは神社とか学校とか家の中には入ってこないわ」というが理由まではまだわからない。そして「めがし屋」のメガばあも登場するが、実はこのめがし屋のメガばあは、ヤサコのお婆さんだった。このメガばあも大活躍。しかし30分はあっという間で、いいところで終わってしまう。早く続きが観たい。

 飲みながら録画の鑑賞、DVDレコーダーの空き領域確保。比較的早くから飲み始めたら、観たいと思ってた「LIAR GAME」の放送まで待てずに、ちょっと仮眠と思って眠ったらそのまま朝まで眠ってしまった。

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2007/05/20

染み出てきた疲労に浸る日曜日。

 昨日の日記を書いておこうと思って、エディタを開くがいつになっても埋まらない。CATVの番組表を見ると録画チェックしたものが多数あるので、DVDレコーダーのスペース確保をかねて「LIAR GAME」鑑賞。戸田恵梨香の演じるあまりに馬鹿正直な直というキャラを中心に据えているのがやっぱりこの話のうまいところだと思う。『デスノート』のライトとエルの知恵比べなども思い出すのだが、『デスノート』がゲームのような頭脳戦だとしたら、『LIAR GAME』はゲームのようなではなくて、ゲームなのだというのがミソかも。

 夕方は図書館で本の返却と貸し出しを受け、ビックカメラで買い物など、時間に追われながらバタバタと雑用を済ます。
 夜、半年くらい放置状態だった宿題を完了。先週と今日の昼間、夜の作業でようやく完了。時間的にはそんなに長くなかったのだから、もっと早くできたはずなのだが。

 昨日と今日の出来事を書く。でもほとんど今日も大したことをせず、休養中心の一日。そういえば、結局「渋澤龍彦幻想美術館」に行きそびれた。横須賀美術館だったか、どこだか二カ所くらい東京近郊でやるみたいだから、機会があれば行こうと思う。

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腐女子の恋とカップヌードル。

 感想系の書き込みを追加するつもりだったけど、やっぱり書けず終い。

 「中学生日記」を見た話を書き忘れたのでそれだけ書いておくことにした。見たのは、「だって好きなんだもん!〜“腐女子”だって恋をする〜」。「腐女子」ってNHKで使われる一般用語になったんだというのと、どこまで「腐女子」が描かれているのかなと興味を持った。

 ここに出てくる「腐女子」は、ボーイズラヴ大好きで、ボーイズラヴの漫画を自分で描いている女の子だった。なんだかとても健全でさわやかな話だった。これでいいんだろうか。ちなみに、今週末再放送がある。

 話は変わるが、大友克洋のキャラクターデザインでカップヌードルのCFがあるが、タイアップでアニメも作られていたと知る。アニマックスで6月に放送というのを知って検索をかけたら、「FREEDOM 1」は既にDVDが発売になっていた。あのままCFで断片的なシーンだけってもったいないなぁと思っていたので、観てみたい。

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2007/05/21

疲労が染みついて抜けない月曜日

 どうも不調。不眠症とは無縁だが、夜十分に眠れず朝から眠い。

 読書は先日の『インストール』に続き、同じく綿矢りさの『蹴りたい背中』を読み始める。何を今更という感じだが、今更だから読めるのかも。
 短い話であっという間に読み終わりそうだと思っていたら、猛烈な睡魔が襲い読書はおろか立っていることも、目を開けていることも不可能になる。ヨガの眠り。

 夜、ビールを飲んで食事をして、テレビを見ていたら猛烈な睡魔が襲ってきて、読書再開も溜まっている録画消化もままならない。

 感想も書けない。

 春眠、暁を覚えずにはちと遅くないか。どうも陽気が変わって、疲れが表に出やすくなってきたみたいだ。

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2007/05/22

テレビ局の神経過敏と無神経。

 「セクシーボイスアンドロボ」の7話は、ファミレスの客を人質に立てこもった犯人の話。だが、「物語の設定に実在する事件を想起させる場面を含んでいるため、放送を差し控えました」ということで、第2話の再放送だそうだ。何でそう短絡的なんだろう。

 第2話「ゴボ蔵」だって強盗犯に捕まって始まるロードムービー的な話だけど、強盗はいいのか。同じ考え方では、いじめをテーマにしたドラマや刑事ドラマの類は、いじめや犯罪を想起させるから放送できないんじゃないのか。いじめをテーマにしたドラマがいじめを推奨するために、刑事ドラマが犯罪を助長させるために作られているわけはないよね。

 第7話を見ていないからわからないけれど、自粛するような内容なのだろうか。それならそもそも事件と関係なく、放送すべきではないように思う。でも「セクシーボイスアンドロボ」って、そういう話じゃないと思うんだが。

 陰惨な事件が多いけれど、それらの報道は無神経なくらいクローズアップするのに、虚構のテレビドラマに対してこんな神経過敏な反応をするのか。ああまたかとうんざりする。

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『ハンニバル・ライジング』

 『ハンニバル・ライジング』を観る。ハンニバルの青年時代の話で、彼に影響を与えたらしいパリの日本人の女性が出てくるとか、その名前がムラサキでコン・リーが演じるとか、日本の鎧がポスターなどに使われていたりとか、その辺の情報を初めて知ったときから、もしかしてこれは、とんでも映画、とんでもミステリなのではないかと懸念していた。アメリカ人からしたら、単なるエキゾチックなだけのあり得ない日本描写が出てきそうな気配がするではないか。そして、四匹目のドジョウを狙って、過去にまで遡るとなると…。

 そんなわけで期待せずに観たのだが、冒頭ハンニバルの少年時代、戦争の場面からは始まる。緊迫感溢れる中、そんな懸念を忘れて見入っていたが、ふと我に返るとこの後とんでもワールドが待っているに違いないと心の片隅をそんな思いがかすめる。
 だが、期待していなかったのもあるかもしれないが、決してとんでも映画ではなく、普通に面白く、普通に生理的に嫌な気持ちになれる映画だった。コン・リーは確かにレディ・ムラサキだったが、そう呼ばれるのもほんの数回で特に気にならなかった。コン・リーの住むパリの家に、浮世絵が飾ってあるのも洋風の部屋のエキゾチックなインテリアとして別にいいじゃない。鎧が飾られて、蝋燭を灯して、先祖に祈る。いいじゃない。ちょっと違うかもしれないけれど、舞台はパリだし、物語の流れからしたら別に悪くはないと思う。

 少年時代のハンニバルの戦時中の悪夢とも言うべき出来事−−両親と死に別れ、妹と二人戦場に取り残され、そこに現れた兵士との間に起こった出来事が最初に語られる。その後、時代は一気に8年後に変わり、青年となったハンニバルがパリに行き、叔父の日本人の奥さん(コン・リー)と出会う。少年時代の体験が、眠ったときや何気ないできごとでフラッシュバックし、悪夢から逃れられないハンニバルが、ある出来事を通じて最初の殺人を犯す。
 すごく真面目な話で、かつ例によってハンニバルらしい残酷な話である。

 観終わって、つまらなくはないんだけど、ものすごく物足りない気がした。トラウマや復讐で、<人食い>ハンニバルが生まれたっていうのは、筋としてはいいんだけど、ハンニバルとなるまでの話という気がしない。別にハンニバルでなくて、全く別の話でも構わないという気がしてしまう。いや、むしろ別の話として観た方がいいような気がしてしまう。

 原作三作目の『ハンニバル』にしても、もはやハンニバルは共感できるこちら側の人物になってしまったけれど、『ハンニバル・ライジング』のハンニバルも同じなのだ。ハンニバルは、そうなるだけのトラウマや復讐という背景があったとしても、常人には全く理解できない、恐怖の存在であるべきだったと思うのだ。それと、現在−−というか今までの三部作と繋がるエピソードが欲しかった。

 小説版をまだ読んでいないが、詳細な書き込みがあるであろう小説の方は、映画よりもとんでも度がアップしがちのように思う。実際のところ、どうなんだろう。映画では描ききれなかった細部が描かれているのだろうか。そうであることを期待したい。

[ 『ハンニバル・ライジング』 監督ピーター・ウェーバー 出演ギャスパー・ウリエル、コン・リー MOVIXさいたま ]

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2007/05/23

twittervision 3D

 twittervision 3Dは、twitterの発言を3Dの地球画像をくるくると回転させては、その発言の場所に吹き出しで発言を表示するというものだが、ただそれだけなのだけどなんだかとても楽しい。

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快復しない水曜日。

 なかなか感想を書く気力が起きないので、単なる読書記録などを。

 『「続ける」技術』とかいう本を読んだ。字が大きくて、あっという間に読み終わった。
 漱石の『草枕』をポツポツと読んでいる。

 0時に帰宅すると何も出来ない。

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2007/05/24

『あしたの私のつくり方』

 市川準の新作である。どこにでもある普通の小学校、クラスに一人はいるいじめられる子、反対に人気者の子、そしてそのどちらでもない多くの子−−「わたし」はその一人である。成海璃子演じる寿梨(ジュリ)はそうして学校で目立たないように、仲間にあわせて過ごす。家庭では父親と母親がいつも喧嘩していて、その理由が自分の受験のことだったりすると、傷つきつつも「かすがい」になろうとけなげな努力もする。

 寿梨が、自分よりも両親の希望で受験した中学入試のため一週間学校を休んだあと学校に戻ってくると、人気者だったはずの日南子(ひなこ、AKB48の前田敦子)が学級会の発言で女子に総スカンをくらい、誰からも無視されていた。卒業式の日、本を返しに図書室に行った寿梨は、卒業式の雰囲気から逃れて一人でいた日南子に遇い、短い言葉を交わす。

 中学に入っても、日南子はいじめられ続けていた。寿梨の方は両親が離婚、寿梨は母親とマンションに暮らすことになる。そして相変わらず、目立たずに仲間にあわせて過ごす日々の中、日南子が引っ越す話をクラスメイトの会話で知る。いじめられている日南子に気づきながらも、仲間に合わせて過ごしてきていた寿梨だったが、卒業式の日に図書館で遇ったときからずっと日南子のことが気になっていた。日南子が引っ越すと聞いて、寿梨は初めて日南子にケータイメールを送るのだった。

 図書館での想い出を書いた寿梨のメールに、日南子は「あなたは誰?」と返す。自分が忘れられていたと思った寿梨は、コトリと名乗り、親友ヒナとの物語を聞いて欲しいとメールを送り続けるのだった。最初は日南子を励ますため、そしてなりたい自分とのギャップを感じていた寿梨は、だんだんと「ヒナとコトリの物語」に夢中になっていく。

 長くなってしまったけど、物語の導入はこんな感じ。いじめも出てくるけれど、いじめの話ではない。学校でも家庭でも本当の自分を、本当の気持ちをうまく表せないごく普通の少女たちが、自分を見つけたり自分を受け入れたり出来るまでの物語だと思う。
 言葉を使わずに、表情をじっと捉えたりすることで、映像に多くを語らせる市川準のいつもの作品と較べて、今回はメールの文章が出てきたりして、言葉が多く判りやすすぎるくらいの作品に仕上がっている。最初は不思議に思ったが、にこやかに過ごしていても本当の気持ちは違う少女たちの姿や言葉と、その裏にある本当の気持ちを描いていることに気づく。そういう意味では、いつもの市川準の作品より、むしろ難しいのかもしれない。

 成海璃子の明るくさわやかな演技も、前田敦子の今にも壊れそうな繊細さもどちらもよかった。ラストの二人の会話には思わず泣かされた。

[ 『あしたの私のつくり方』 監督市川準 出演成海璃子、前田敦子 シネ・リーブル池袋 ]

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2007/05/25

読書。

 ちくま文庫版夏目漱石全集から、『草枕』をのんびりと読んでいる。

 途中まで読んでいて何となく疑問を感じて、解説を読んでみた。

 吉田精一の解説には、『文章世界』に掲載された談話「余が草枕」で漱石自身が語っている内容を、詳細を省いた要旨として、次のように書かれている。
「これは要するに世間ふつうの小説と全く反対で、ただ美しい感じが読者の頭に残りさえすればよいという目的で書いた。プロットもなければ事件の発展もない。在来の小説が川柳的なら、これは俳句的小説である。人生の句を忘れて慰藉する、美を生命とする小説が『草枕』である。そしてこの種の俳句的小説は世界にもないようだ、というのである。」

 別にこういう答えを求めていたのではないのだが、言葉に出来ない疑問を感じて解説を読んでみたら、上のように書かれていて、とても腑に落ちた気がしたのだった。

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2007/05/26

観る前に読め!

 朝から出かけて、試写会で『プレステージ』を観る。

 「この映画の結末は決して誰にも言わないでください」と最初に出てきて、久々にこういうのを見たなぁと思う。逆に、「この映画/小説の冒頭は決して誰にも言わないでください」というものがあってもいいと思う。

 『プレステージ』は、最近話題のプリーストの『奇術師』の映画化である。最近プリーストを読んでみたいと思っていて、手始めに読もうと思っていた一冊だった。
 『プレステージ』の原作が『奇術師』だと知ったのはつい数日前で、もはや映画を観る前に読むのは間に合わないということで、開き直って映画に臨んだ。

 凝ったプロットが、映画の中では複雑すぎてちょっとわかりにくかった。原作と同じなのか違うのかわからないが、映画では冒頭でマジシャンの死とその犯人として仇敵手のマジシャンの死刑宣告が行われて物語は始まる。
 死刑囚となった監獄のマジシャンが仇敵手である死んだマジシャンの手記を読むと、手記の中では死んだマジシャンは今死刑宣告を受けているマジシャンの手記を読んでいるという入れ子構造になっている。手記によって過去を明らかにしながら、時折現在の話に戻るが、どうも映画の説明はわかりにくいのだ。
 暫く観るうちに二人の関係など判ってくるが、映画が終わったあと後ろの席から「難しすぎて判らなかった」という声が聞こえた。最初は結末のあたりの感想かと思い、そんなにわかりにくかったかなと思ったが、むしろ入れ子構造になった話の構造がわかりにくかったのではないかと思った。

 映画の感想は別途書くつもりだが、原作をやっぱり読んでおきたかったと思ったことだけ書いておく。映画では最後の結末に「決して誰にも言わないでください」というほどの驚きを得られなかったのだ。あまりに当然過ぎる結末と、あまりに納得出来ない結末のふたつの印象を持った。
 原作がそこをどう描いているのか未読なので判らないが、界幻想文学大賞受賞の評判の作品だから、きっと満足させてくれるのではないかと期待している。

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2007/05/27

「電脳コイル」、すばらしい。

 「電脳コイル」第3話鑑賞。すばらしい。

 ただちょっと気になるのは、この物語の世界はマトリックスのようなヴァーチャル世界なの? 今日の話でそういう気がした。でも、そうでないとしたら、どう説明するのか。雰囲気だけで物語世界が構築されているのではないことを望む。

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『プレステージ』

 『奇術師』(クリストファー・プリースト ハヤカワ文庫)の映画化である。原作を読んでいないので、原作との比較はできないが、映画だけを観た上では原作を先に読んでおきたかったというのが強い印象だ。結末の真相に、「これってそういう話だったのか」と思ってしまったため、納得のいかないところがあった。ミステリで言えば、アンフェアな結末のような種類の不満である。結末には、ふたつの謎解きがあると言ってよいと思うが、一つの謎解きはこの不満を感じ、もう一方の謎解きは自然に行き着くあまりにありふれた結末なのである。

 映画の冒頭、久し振りに見る「この映画の結末は決して誰にも言わないでください」という監督の言葉が出てきたり、広告でも「想像を超えるラスト!」「驚愕のトリック」「130分すべてのシーンに張り巡らされた罠(トリック)」などなどとやたらと煽り文句が激しい。ちょっと期待はずれだった。

 原作は、「世界幻想文学大賞受賞」の評判の作品。こういう不満を感じさせない、映画の煽り文句に匹敵する作品ではないかと期待してしまうのだが、これまたもしかしたら期待しすぎなのかもしれない。しかし、映画がエンターテイメントとして万人に判るようにとハードルを低くすることによって、もしかしたら納得のいかない結末と意外性のないありふれた結末になってしまったのではないかという気がするのである。だから、映画と原作の両方に興味があるならば、まず原作を読み映画を観る方がいいだろうと思う。もし映画を先に観るのであれば、なるべく何も知識を得ずに観る方がよい。
 以下、ちらしや広告で触れられている程度には内容に触れるが、後から書くように、広告では内容を明らかにしすぎていると思う。

 映画がどれくらい原作に忠実なのか判らないのだが、凝ったプロットは面白い。だが、その面白さは映画の中では活かされず、むしろ凝ったプロットが複雑過ぎてわかりにくいという印象を与えてしまった。
 ちらしなどで「天才マジシャンの舞台上の死。逮捕されたのはライバルのマジシャンだった。その死は事故か、殺人か−?」と知らされていたが、映画の冒頭ではマジシャンの消失トリックと直後の溺死があり、一体何がと思っていると場面は裁判のシーンに変わり、一人の男が死刑の判決を受ける。この男がライバルのマジシャンなのか? とよく判らないまま進んでいく。

 この冒頭のわかりにくさ、マジシャンの身に何が起こったのか、裁判されている男はライバルのマジシャンなのか、ということが最初よくわからないのは、わざとやっていることで、謎を残しながら物語が進むに連れてだんだんにわかるようにしているのだと思う。だから逆に、予告やちらしでライバルのマジシャンがいるとか言ってしまうのはやりすぎなのだ。それらはみな、いわばネタバレなのである。マジックと事件、裁判、そして監獄に入れられた男、とここまで何がなんだか呆気にとられていると、男が手記を読むことにより始まる回想により二人のマジシャンが出会った昔の話に物語が移り、ようやっと話が判り始める、という風に観るのが正しい観方だと思う。

 しかし、謎で一杯の冒頭から徐々に謎が解けていくという構成はいいとして、現在、手記に書かれた過去、さらに手記の中に出てくるもうひとつの手記による過去の切り替えがわかりにくいのは難点だった。こういう入れ子構造自体はもの凄く好きなパターンなのだが、ある種の明快さが重要である。その点、三つの時代の区別がわかりにくかった気がした。
 ひとつには物語がある程度進まないと判らない、二人のマジシャンがライバル同士であることなどを、予告などであらかじめ知らされてしまったために判らなくていいときに判らないと感じてしまったというのもあるのかもしれない。

 映画としては、一回目によく判らなかった細部を確認するためにもう一回観たいと思わせたら成功なのだと思うが、物語自体は単純な話なので確認したくなるような細部が残らず、ただわかりにくいという印象だけが残ったような気がする。

[ 『プレステージ』 監督クリストファー・ノーラン 出演ヒュー・ジャックマン、クリスチャン・ベール 厚生年金会館(試写会) ]

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2007/05/28

『スモーキン・エース 暗殺者がいっぱい』

 『スモーキン・エース 暗殺者がいっぱい』という人を食ったタイトルからは想像がつかない、狂ったバイオレンスストーリーだが、狂い方が半端じゃなくて最高に面白かった。

 「暗殺者がいっぱい」というのは文字通りで、物語は一人の男にたくさんの殺し屋が集まってくるという話だ。この映画は、もうそれ以上でもなければそれ以下でもない。100万ドルの報酬で殺し屋が雇われたとき、その報酬額につられて名うての殺し屋たちが集まってくる。そして我先に男を殺そうとして、男のいるホテルのペントハウスへと向かう。同時に男を保護するためにFBIも男の元に向かっている。
 殺し屋たちやFBIの捜査官が鉢合わせすると、とてつもない銃撃戦が巻き起こる。

 この狂い方は、『レザボア・ドッグス』とか『キリング・ジョーイ』を思い出したのだが、それより先に思い浮かべたのは、西尾維新の『ネコソギラジカル』であり、冲方丁の『マルドゥック・ヴェロシティ』だったと言ったら、それは適切なのだろうか。自分でも自信がないのだが、でも考える前に思い浮かべたのだからそれは正しいのだと思う。

 『ネコソギラジカル』や『マルドゥック・ヴェロシティ』を思い出したのは、とにかく出てくる殺し屋たちが一癖も二癖もあって、無茶苦茶なのである。クールビューティな女二人の殺し屋は比較的まともな方で、各種の拷問にたけた男とか、ほとんど『マルドゥック・ヴェロシティ』から抜け出してきたような狂った三兄弟とか、誰にでも変装出来る男とか、そんな奴らばかりだ。そもそも狙われているのが、ラスベガスの元マジシャンからマフィアになったという男なのだ。

 話は一人の男を狙って殺し屋たちが集まってくるという単純なものだが、登場人物は多いし、裏に隠された真相も徐々に判ってくるという趣向で、意外と凝っている。観終わったそばからまた観たくなってしまった。
 それと、今回登場した殺し屋たちの別のストーリーを観てみたいと思った者も多いんじゃないかという気がする。一本の映画の中に、結構アイディアが凝縮されていて、この映画このままじゃ終わらないという気がしてならない。

[ 『スモーキン・エース 暗殺者がいっぱい』 監督ジョー・カーナハン 出演ライアン・レイノルズ、レイ・リオッタ MOVIXさいたま ]

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2007/05/29

twitter life

 twitterは、面白いのだが最近サーバが不安定なままなかなか改善されないのが難。トップページに出しているtwitter最新一行の所為で、twitterサーバのレスポンスが悪いとトップページの表示に時間がかかってしまう。外してみたり、安定したかなと思って表示してみたり、何度も切り替えているのは、やっぱり安定していないようで表示が遅いから。

 twitterサーバに影響を受けないように、表示方法を変えればいいのだけれど、書き換えて試す暇はなくとりあえず、コメントアウトで逃げている。早く安定してくれないかなぁ。

 twitterの何が面白いのか。最近ふと思ったのは、昔ニフティの某フォーラムに壁という名の落書きみたいなのを書き込むコーナーがあったのだけれどそれに似ていると思った。意味のないことを書いてもいいし、真面目な話を書いてもいいし、独り言のように発言してもいいし、それが切っ掛けでチャットみたいになってもいいという、緩いコミュニケーションがなんだかよかったのだが、それに似ている。

 でも、かつての壁の仲間は誰もtwitterをやっていないのであった。

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2007/05/30

坂口尚『3月の風は3ノット』を予約。

 チクマ秀版社から案内が届いていたのだが、そのままになっていた坂口尚の『3月の風は3ノット』を予約。詳細は、チクマ秀版社の坂口尚作品集のページを参照のこと。

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停滞中。

 今日こそは感想を書こうと思っていたが、録画したドラマを消化していたら寝る時間に。というわけで、感想はまた先延ばし。今月読んだ本の感想はせめて今月中にと思っていたが、この分では間に合いそうにない。

 読書は、『星新一 一〇〇一話をつくった人』(最相 葉月 新潮社)を読んでいる。読書もペースダウン。

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2007/05/31

5月総括

映画
 『ゲゲゲの鬼太郎』
 『ハンニバル・ライジング』
 『あしたの私のつくり方』
 『プレステージ』
 『スモーキン・エース 暗殺者がいっぱい』

読書
 『12番目のカード』(ジェフリー・ディーヴァー 文藝春秋)
 『歌麿贋殺事件』(高橋克彦 講談社文庫)
 『マンホール』(筒井哲也 スクウェア・エニックス)
 『ヒストリアン』(エリザベス・コストヴァ 日本放送出版協会)
 『インストール』(河出書房新社)
 『数学はインドのロープ魔術を解く』(デイヴィッド・アチソン ハヤカワ文庫)
 『タンノイのエジンバラ』(長嶋有 文藝春秋)
 『蹴りたい背中』(河出書房新社)
 『「続ける」技術』(石田淳 フォレスト出版)

 『打ちのめされるようなすごい本』(米原万里 文藝春秋)…中断中
 『星新一 一〇〇一話をつくった人』(最相 葉月 新潮社)…読書中

テレビ
 『悪夢のエレベーター』
 「ライアーゲーム」1〜4
 「電脳コイル」第1話

 相変わらず、絶対量が少ない。しかも、感想溜め込んでいるし。

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2007/06/01

ちょっと忙しい。

 あらゆる雑務が月末、月初に集中するからである。夜には朦朧としてくる。普段から肩こりはあるが、朝には特にどうということなかったのに、肩こりが酷くなって、夜には頭痛がし始める。

 飲んで帰宅。深夜、最近会っていない人が仕事を辞めたという話を聞いたので、電話で少し話す。

 読書は相変わらず、『星新一 一〇〇一話をつくった人』(最相 葉月 新潮社)を読んでいる。1日数十ページのスローペース。
 星新一が初めて書いた作品の話が出てきたが、まだ「新一」になる前の話。

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これまでのうたかたの日々

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