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2009年9月後半
『HACHI 約束の犬』を丸の内ピカデリーで観る。
動物系お涙頂戴ものだと思ったのとリチャード・ギアもあまり好きではなかったので元々興味がなかったのだが、たまたまHACHIの宣伝番組をテレビで流れているのを見かけて、監督がラッセ・ハルストレムだと知る。ラッセ・ハルストレムって、『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』の監督である。他にもいろいろ撮っているけど、よく考えたら観てないかも。でも、『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』がとても好きなので一気に興味がわき上がる。
実際、すごく丁寧に描いていて、お涙頂戴的に泣け泣けっていう演出はない。静かに描かれる日常がとてもよくって、取り立てて大きな事件もないのにいつの間にか時間が経っているのが不思議なくらいだ。
前半はハチと教授の家族との交流も可笑しく、感動的だったりする。娘が子どもが出来たと報告に来た時、喜ぶ教授をハチがさびしそうな目で見ているシーンとか秀逸。突然の教授の死とその後も教授を待ち続けるハチのエピソードも、ただ静かに待ち続けるだけなのにどぼどぼ涙が溢れてまいった。
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『少女たちの羅針盤』(水生大海 原書房)を読了。ヒロインの女優が撮影現場で何者かに過去を暴かれていく話と、その4年前の劇団の話が交互に続く。4年前に女子高生たちが劇団を立ち上げる青春ストーリーがすごく面白いのだが、劇団に対していろいろな妨害が入り、最後に一人の女の子が死ぬことになる。過去と現在が同時進行に進むのだが、この死んだ少女が誰なのか最後の方まで判らないし、殺したと脅かされているヒロインの女性はこの劇団にいたことを隠しているが、それが誰なのかも判らないまま進んでいくというのがなかなかうまい。ただやっぱり面白いのは、劇団を立ち上げていく女子高生たちの物語の部分が一番面白くて、現代の部分の話がそれに比べるとかなり浅い感じがするので単に犯人が判って終わりとなってしまうともったいないと思っていたが、ミステリとしてもひとひねり合って、結末としても後味はそんなに悪くない終わり方になっていてなかなか良かった。
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眠くて朝起きられない。昼間も夕方強烈な睡魔が襲う。こんな日は何かをしようっとことはあきらめるに限る。
『モダンタイムス』(伊坂幸太郎 講談社)を読み始める。
冒頭、小学生のときの出来事の回想から始まる。そのエピソード自体が演劇みたいな嘘っぽさがある。そして現実の状況は、帰宅したら誰かがいていきなり拷問されそうになるところだ。その拷問の理由もまたあり得ない話で、どれもこれも演劇的だ。その嘘っぽさに抵抗感を感じるけれど、だんだん読み続けていくと面白くなってくる。演劇も劇場でその世界に入り込んでしまえばリアルになる、それと同じ理由だろうか。
眠いので、昨日サボった日記をリカバリできないまま今日もまた寝る。
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連休前、最後の仕事。夜は飲みに行き、深夜に帰宅。日記を全然リカバリーできない。溜まっていく一方。
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『レッド・オクトーバーを追え!』をDVDで観る。
先日、『雷撃深度一九・五』(池上司 文春文庫)を読んで以来、潜水艦ものを読みたいと思っていて、当然映像の方も観たい感が強まっていた。だいぶ前に観た『レッド・オクトーバーを追え!』を観る。これ、ジャック・ライアンものの第一作でもある。
この映画、ロシアの潜水艦の艦長ラミウスとジャック・ライアンが出会うシーンが記憶に強く残っている。感動的とかそういうことではなくて、ロシアの潜水艦の中でロシア人(といってもショーン・コネリーとかアメリカ人がロシア人に扮しているだけだけど)とアメリカ人が出会い、お互い英語を喋っているのに言葉が通じずに通訳するシーンが印象的だったのだ。何かって、要するに映画では英語をしゃべっているけど、物語としてはロシア語を話していることになっているので会話が通じないというわけなのだ。このわけわからなさが、当時一瞬なんだろうと思ったのが強く印象に残っている。で、それ以外については今回見て気付いたけど、すっかり忘れていた。時折、そうだったと思い出したりするのだけど、ほとんど初見のような感じ。
期待していた潜水艦戦は、それほど奇作はないのだけど、潜水艦ならではの様々な作戦、行動があって、十分堪能した。ただ、魚雷の攻撃部分のCGが今見ると(当時もそうだろうけど)いかにもCGという感じがしてしまうのがちょっと残念。このころはまだCG技術ってこんなもんだったんだなぁと。
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10時半起床。休日だと思うとすぐに寝坊。しかも、昼間はちょっと眠いと思っていたら3時間くらい眠ってしまう。夢か記憶か区別のつかないすごくリアルな夢を見た。目を覚ましてしばらく、忘れていた過去を思い出したのだと思った。
夜、『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』をMOVIXさいたまで観る。
主人公はあくまでウルヴァリンで、これまでのX-MENは関係がなく、ウルヴァリンの生い立ちからウルヴァリンという存在になるまでの話だと思っていた。物語の時代も第二次世界大戦あたりとかなのかと。だけど、実際には物語は現代まで続き、最後の部分は他のX-MENたちの誕生秘話へと繋がっていた。9割方ウルヴァリンの話ではあるのだが、1割方は「X-MEN ZERO」だった。なんとなく、X-MENの他の超能力者たちの能力って能天気な荒唐無稽さを感じる。ウルヴァリンだって十分荒唐無稽なのだけど、武器が刃物でしかないあたりがあんまり超能力的ではないというのもあるかもしれない。それが第二次世界大戦あたりで活躍する話っていうところに結構興味を感じていたのだけど、どうも最後の対決シーンはちょっとX-MEN的な要素が強すぎて個人的にはいまいちだった。
それに、ラストクレジットあとにホラー映画のラストシーンみたいなワンシーンが付くのだけど、これはどうなのよ?と疑問。いらなかったんじゃないの。X-MEN的らしいところを除くと、ウルヴァリンの過去から兄弟との確執、合金の刃を手に入れるいきさつ、恋愛とその結末などはよかったけど。
今日もまたtwitter小説を書いたのでログしておく。
『番号』朝今日の番号表示を見る。26番、仕事だ。会社へ行く。青いランプがついたら青のボタンを押すだけの仕事。何の意味があるのかは知らされていない。隣席のヤマダは一日会社に来なかった。18番が表示されたという噂。翌朝俺も18番が表示されていた。誰かが迎えにきた。
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『サブウェイ 123 激突』をMOVIXさいたまで観る。
冒頭からトニー・スコット節の映像で始まる。犯人グループのトラボルタのキレ方がなかなかよくて、スリリングな感じを出している。1両だけハイジャックされた車両の中でもパソコンで恋人とヴィデオチャット中の青年がいて、車内の映像が映ったりとかするのだけど、なんか人質たちの間の緊迫感というのがあまりない。トラボルタ一人で持っている感じ。
対するデンゼル・ワシントンの地下鉄指令担当は戸惑いながらトラボルタの相手をしていく。上司からは非難され、警察からは犯人の疑いをかけられたりしながら、トラボルタの指示で引き続き交渉人役をやらされる。その交渉の中で、賄賂を貰った疑いで降格処分されていることをトラボルタに指摘されて、それを認めさせられたりする。
最終的な犯人がどう身代金を受け取って逃げるのか、その裏にある知能犯的なエピソードがどう結果になるのか期待を持たせるけど、その肝心のところがちょっとあっけなくて尻すぼみな感じ。それに、知能犯的なエピソード部分は、犯罪が成功しないとカタルシスが得られないので、その辺もいまいち。
面白いんだけどいろいろ不満が残る映画だった。オリジナルの映画の方を観てみたくなる。
最近、シャーロック・ホームズのgoogle alertで『エノーラ・ホームズの事件簿』が引っかかるのでamazonでチェックしたら、シャーロック・ホームズの妹が活躍する翻訳もののライトノベルだった。これって面白いのだろうか。
今日もまたtwitter小説を書いたので、ログしておく。
『扉』扉を開くと、ここも三方の壁に扉がある60cm四方の部屋になっている。中に入って後ろの扉を閉じる。一度閉じた扉は開かないが、扉を閉じないと他の3つの扉は開かない。私はこの扉の迷路の中をずっと歩き続けている。時計を見る。今は朝の10時なのか夜の10時なのか。
『変身』目を覚ますと、白くぶよぶよした躰になっていた。躰の自由は利かず、時間をかけてベッドから転がり落ちた。這うようにして浴室に向かう。段々と四肢を動かせるようになる。浴室の鏡を覗き込む。思わず息をのむ。何故こんなことになったのか。鏡に映った私の姿は人間だった。
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『カムイ外伝』をMOVIXさいたまで観る。
冒頭のアクションからワイヤーなのかCGなのか知らないけど、物理的法則に反した動きに興ざめする。異常なくらいの跳躍力を見せたりしても、慣性などをそれっぽく見せると違和感がない。だけど、それが無視されるととたんにものすごく滑稽に見えるのだ。あるいは跳躍前の溜めなんかもリアリティを感じさせる。それが描かれるかどうかで、リアルかどうかが変わってしまう。冒頭のアクションシーンではそういった点でリアリティにかけていて、いかにも作ってるっていう感じがしてしまい全然物語に入り込めなかった。その後も渡衆というサメ退治の荒くれ男たち(実は抜け忍)がサメを退治するシーンでも、巨大なサメに銛を打ち込むと銛の勢いにそのまま海中に落ちるシーンとか、確かに銛の勢いは感じさせるがサメの重量感がなくなってしまう。CGなどを使ったシーンでは、そういう質感とか量感がことごとく感じられない。
それでも冒頭のアクションが続くうちはまだ良かった。小林薫の漁師が馬の脚を切って盗んでいくという行為の目的もわからず興味を引くが、そのあと大きな出来事もなく物語がだれてくる。なんだか退屈だなぁと感じてしまった。それにカムイを含めて、登場人物たちの心理や行動がどうも納得できない。
観る前に、評判が悪いらしいことを知り、一般受けしにくい要素が何かあるのではないかと思っていたのだが、そうではなくて残念。ちょっとフォローできない。
唯一良かったのは、カムイに惚れる漁師の娘役の大後寿々花で、前からこの娘はすごいと思っていたけど、今回も良かった。カムイを嫌う母(スガル)に対して怒りをぶつけるシーンなど泣きそうになった。
twitter小説を書いたので、ログ。
『交差点』交差点の信号待ちで、通りの反対側の女性に一目惚れした。目があった瞬間、俺の予知能力が彼女との幸福な日々を、微妙なすれ違いを、破局を、そして彼女を殺す自分を見せ、俺は諦めた。信号が青に変わり彼女とすれ違うとき、彼女は涙を流していた。彼女はテレパスだった。
『ふぁぼったー殺人事件』「被害者は相当なtwitter狂だったらしい。こんな謎の文を残してます」「ロリコンはスク水幼女貧乳んにちんちん勃起んはオナニーや自慰まだセックス」「とりあえずふぁぽっておくか」「おお! は、犯人がわかりました!」
この二作目は少し説明が必要だろう。twitterのお気に入りを集めてくれる便利サイトふぁぼったーだが、不適切な言葉をという文字列に置き換える機能を実装してしまった。それを笑うためのお遊び小説で、お気に入りに入れられて(ふぁぼられて)初めて意味を持つ。つまりtwitをふぁぼった結果がこちら。
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『モダンタイムス』(伊坂幸太郎 講談社)を読む。
『魔王』(伊坂幸太郎 講談社文庫)の続編だが、直接的な物語の関連はないと言ってもいいと思う。時代がずっとあとで、『魔王』の登場人物やエピソードが少し出てくるので、読んでいる方がその辺の関係がわかって楽しめるかもしれない。しかしすべてが説明されるわけでもないので、読んでいないと逆に関連性を想像する楽しみがあるかもしれない。
冒頭の小学生の時の思い出話から始まる。主人公渡辺が自宅に帰ると何者かに拷問されそうになり、その時思い出した出来事だった。その思い出のエピソードにも、拷問されそうになるシチュエーションにしても、さらにそこで交わされる拷問しに来た男との会話、その理由など、どれをとっても荒唐無稽なリアリティの感じられない話で最初のうちどうもしっくりこなかった。話が進むにつれだんだんその世界に引き込まれていったけれど、ちょうど演劇を観ているような感じを思い出した。明らかに現実とは違うリアリティなので物語に没頭しないと白けてしまう。しかし劇場の空気を含めてその中に入り込んでしまうと、それがすごくリアルなことにように観ることができる。そんな感じ。
『魔王』では超能力的な力が描かれていたが、『モダンタイムス』でも同じ。しかし、超能力かもしれないけど、そうでないかもしれない。それは解釈次第でどうにでもなる、というスタンスで描かれる。他の色々なことについても、最後までかもしれないという可能性で描かれているように思う。たくさんの謎が集約していく結末で、可能性としてだけの説明があるというのはなんとなく物足りない。これがすべて説明されてしまうと退屈なのはわかるのだけど。
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ファミリー劇場で放送していたものを録画した「横溝正史シリーズII 真珠郎」(全3話)を観る。
原作の小説には金田一耕助は出てこない。番組の最後に、原作者の許可を得て金田一耕助を登場させている由表示されるのを見て、そうかこの頃はまだ横溝正史は生きていたんだと思う。小説はとても好きなのだが、今回ドラマを観ていてだいぶ話を忘れていたことに気づく。それでも観ているうちにいろいろ思い出す。金田一耕助を出すように変えてはいるものの、結構原作の雰囲気のままドラマ化しているのではないか。真珠郎の美しさについていうと不満だが…。話そのものは、今ではテレビドラマ化なんか不可能だろう。実際、確か数年前に二時間ドラマになった「真珠郎」は真珠郎が仮面を被った特撮ヒーローの出来そこないみたいな姿で出てきたりして、原作そのままは無理だとしてもこれはないだろうという改変がされていてがっかりしたっけ。
また二日仕事をすれば休みだが、連続した五連休としては今日が最終日。この連休に、サイトの改修を進めるつもりだったけど結局進まなかった。日記も停滞しっぱなしなので、少しだけ更新する。明日の仕事に備えて早めに眠ることにする。
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森博嗣の『トーマの心臓』を読み始める。
イラストが、当たり前だけど萩尾望都なのだった。物語は、『トーマの心臓』だなと思うけれど、萩尾望都のものとは似て非なるものなのだけど、森博嗣らしいなぁとも思わなかった。でもこれ違うとか思わないし、つまり『トーマの心臓』なのが不思議。イメージ的には萩尾望都の画で思い浮かぶ。途中で気付いたが、舞台は日本になっているようだ。ただ物語がほとんど学校の中の出来事なので原作との違いはあまり感じない。今日は半分くらいまで読んだ。
午後から、友人納富の発行する雑誌「ぱなし」の執筆陣が展示する展覧会、「ぱなし展」@日本橋ナンワギャラリーを見に行く。そもそもがこの雑誌に書かれていることがバラエティに富んでいるので、展覧会も映画、写真、イラスト、書などいろいろあって楽しい。雑誌に掲載されていたものの原画、オリジナルが見られたのもよかった。
そのあと、歌舞伎座に行く。九月大歌舞伎の夜の部を観る。
連休中にすっかり生活リズムがずれてしまったので、昨夜なんとか早めに寝たものの実は眠くならないか心配だった。その心配通り、最初の「浮世柄比翼稲妻」は途中何度も意識が朦朧としてほとんどよくわからないまま終わってしまった。休憩を挟んだので缶コーヒーを飲み、躰を動かし、空腹感を感じ始めたけど食事は控え、上着を脱いで次に臨む。
二つ目の演目は「勧進帳」で、弁慶を幸四郎、富樫左衛門を吉右衛門、義経を染五郎が演じる。「勧進帳」を歌舞伎で観るのは初めてだが、さすがに面白くて眠くなることなく楽しむ。
最後は「松竹梅湯島掛額」の「吉祥院お土砂」と「櫓のお七」。お土砂は喜劇だけど、現代的なギャグ満載で客席がかなり沸いていた。いろいろあったけど、例えば「ぽーにょぽにょぽにょ」とか、テレビで流行りの漫才ネタが飛び出したりして、そこまでやるとは思わなかった。解説によれば、喜劇にはそういう今の流行りの笑いをとりいれるのもあるらしい。「櫓のお七」はそれと対照的に悲恋の話だが、これがなかなか良かった。櫓を登る場面では、人形浄瑠璃を模して人形の動きで演じるとか趣向がいろいろある。乱暴な言い方をしてしまえば、話はただ恋人を救うために櫓に登って鉦を鳴らすというそれだけなのに充実している。
最後にtwitter小説。twitter小説って、趣向も面白いけど、twitterの同時性が書かせるのだと思う。だいぶ前にもう飽きたと思ったけど、なんだかんだいってまだ書いている。「今週の乙女座」というネタを書いたところで、これ十二星座分書けるなと思ったので、一回りするまで書くつもりでいる。
『今週の乙女座』月曜の星占い「何事もうまくいきません。何をしても失敗するでしょう」から一週間で、突然の契約破棄、新製品の不良品自主回収で膨大な損失、妻に離婚され、義父からの資金断、倒産は確実となった。飛降り自殺を図るが奇跡的に助かる。違う、自殺すら失敗したのだ。
『今週のてんびん座』「失せ物見つかります。忘れていた意外な出来事にビックリ」週末寛ぎながら思う。連日の土砂降りの雨以外、ビックリすることなど何もなかった一週間だったと。そこへ人相の悪い二人組が訪ねてくる。「奥さんの白骨死体がA山で発見されました。御同行願います」
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『ディア・ドクター』を新宿武蔵野館3で観る。
冒頭、消えた医師のシーンから始まって、一体何が何が起こったのか、それまで医師が寒村で果たしてきた役割、それと医師がニセモノじゃないかというのがだんだんと判ってくる。かなり最初から偽医師かもって感じさせてしまうので、これは早すぎるんじゃないかと思ったけど、終わるころにはこれでいいと思った。というのは、そんなに誰も騙せるはずがないのだ。
鶴瓶扮する医師が偽医師だってわかったときの村の人々の反応が最初違和感を感じる。判ったときにみんな否定的な態度を取り始める。でもそうなのだろう。偽医師だと知らないときには奇妙だと思っても疑わず、逆に偽医師だと判れば関わりを持ちたくなくなる。知らないときには心から信頼していたのに、それを否定する。その矛盾した心理は、さっきまで違ったじゃないかと思って観ながらも、いや実際そういう風になってしまうだろうと納得できる。
ラストの場面で八千草薫が見せる表情、最初驚いて笑顔を見せる前に一瞬怖い顔、怒ったような顔を見せたように思ったのだが、その微妙な表情がこれもまたそうかもしれないと印象に残る。
井川遥扮する娘が八千草薫を病院に行こうと話すシーン、言葉にないいろいろな思いが交錯して泣かされた。鶴瓶も良すぎる。
ところでこの映画、タイトルは『Dear Doctor』と出たし、製作も『Dear Doctor』製作委員会とあるけど、サイトを見るとカタカナ表記だったりして、タイトルとしては英語表記が正なのか、カタカナ表記が正なのか。どうなんでしょう。大したことじゃないけど、気になる。
今日のtwitter小説のログ。星占いシリーズが続く。
『今週の蠍座』発車ベルが鳴っても彼は来ない。星占いには「待ち人来たらず。新しい出会いは旅で」不倫旅行は感傷旅行に変わる。そこに「隣空いていますか」「ええ」「すみません、ギリギリまで友人を待っていて」「もしかして蠍座ですか」「えっ何で判るんですか?」これは始まり?
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墓参りに行く。「千の風になって」ではないがそこには何もないのだという気がして何も感じない。
いくつか演劇関係の案内が届く。「フェスティバル/トーキョー 09 秋」では、維新派の「ろじ式」や前田司郎の作・演出の五反田団が気になる。劇団1980と新宿梁山泊の合同企画公演の『宇田川心中』は、原作が小林恭二の同名小説で脚本も小林恭二自身が書いて出版もされている。広告美術が宇野亜喜良でポスターを描いているのがいい。最近すっかり演劇はご無沙汰なので行きたいと思うが気力を維持できるかが問題。
今日のtwitter小説も星占いシリーズで。
『今週のいて座』「コイにもシゴトにも大成功のとき!」の占い通り、姉はさっき恋人にプロポーズを受けたとの電話。仕事も来月やりたかった企画が通ってそこの室長任命とか。なのに双子の妹の私ときたら…。そう思いながらやさぐれてオシゴトしてたら確変、鯉が登る映像。そっちかよ
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『Boy's Surface』(円城塔 早川書房)を読了。
言葉を理解しても意味が理解できない、なんとなくわかったような気になるけどよくわからない、そのめくるめく脳が痺れるような快感に、面白いと言っていいのかでもそれ以外言いようがない面白さを感じたのだけど、でも電車の中で読んだりしているとすぐに眠くなる。というわけで、自宅読み用にして、他の本をその間に2冊半読んでいたので、読み終わるまでに足掛け20日近くかかってしまった。
収録作品は、「Boy's Surface」、「Goldberg Invariant」、「Your Heads Only」、「Gernsback Intersection」の4篇だが、それぞれ別の話なのに続けて読むと前の話と話が混ざってくる。ゆっくり読むことに変えたのは逆に良かったかもしれない。
好きな作品は、表題作の「Boy's Surface」と「Gernsback Intersection」だろうか。「Gernsback Intersection」については、やはり混沌としたエピソードの集まりを楽しんでいたのだけど、読み終わってからきちんと一本のストーリーになっているのだと気づく。この話は時系列が複雑になっているので判っていなかったのだ。もう一度読み返してみると全く違う発見があるのではないかと思ったが、それはまた別の機会にする。
しかし、ここに書かれた文章の意味を一体どれだけ理解できているのだろうか。例えば、ボルシチノートにも抜き書きしたけど、コロンボに触れた一節。元は天使だったっていうのは、『ベルリン 天使の詩』を踏まえているわけだけど、映画を知らなければ何のことかわからない。たぶん、そんな知らなくて見落としている引用などがふんだんに盛り込まれているのだろう。
twitterを見ていて、『空気人形』の公開を知る。公開は秋としか知らなかったので、まさかもう始まったとは。それに、三谷幸喜脚本のNHK人形劇「新・三銃士」(予告)についても知る。日々、興味ある発言をするユーザーのフォローを増やし続けている。ようやくその効果が現れてきたのかも。その代わりだんだん外出していた間のタイムラインを追い切れなくなってきた。
twitter小説を何篇か書く。
『求人情報』求む、龍神か宇宙人と友人の地球人の囚人にして自由人。
『伝承者』村の伝説を語る伝承者の老人は、年に一度祭りの夜、焚火を囲み村の伝説を明け方まで語る。老人は伝承を正しく伝えるため一年中洞窟の中で言葉を選び削り磨く。年々伝承は短くなり今年は「昔々…」と言ったきり沈黙した。人々は焚火の炎の中に語られない幾百の物語を見た。
初めて体を売ったのは十歳の時。のしかかる見知らぬ男に躰を抑えつけられ、服を脱がされた。男が躰をまさぐるのを必死に耐え続けた。男が離れズボンを脱いだ隙に隠したナイフを突き立てる。成人男性の躰を四肢と内臓、腑わけして売ると家族一年の生活費になる。今年もまたその時。
初めて体を売ったのは十歳の時。最初親方は手足しか作らせない。体が売りものになるのは人形職人としての第一歩を意味する。一人前の職人として頭を作るまでに六十年はかかる。七十二歳にして初めて満足する頭を仕上げた。眉を引きふっくらとした唇の人形が輝く瞳で私を見つめる。
後ろのタイトルのない2篇は、突如始まった売体祭りへの参加作品。経緯については、【Twitter小説】売体祭りまとめ【初めて体を売ったのは十歳の時。】が詳しい。
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『トーマの心臓』(森博嗣 メディアファクトリー)を読了。
萩尾望都の原作を森博嗣が小説化した作品。萩尾望都ものとは違うのだけど、やっぱり『トーマの心臓』だ。森博嗣が書くと、もっと彼らしい世界になるのではないかと思っていたけど、意外と森博嗣っぽくないように感じた。最後の方はじんわり沁みいる。萩尾望都の原作を読み返したいと思って、本棚を探すけど見当たらない。たぶんクローゼットの中のケースの中に入っている。夜中にドタバタ音を立てるわけにもいかず諦める。週末にでも掘り起こしたい。
今夜のtwitter小説はひとつ。星占いシリーズはまだ続く。
『今週の水瓶座』「百万分の1の奇跡にあいます。口は災いの元、落し物に注意」こんな占いを見て宝くじを買う決心。銀行に寄るとまさかの銀行強盗。奇跡ってこれかと思わず「バカバカバカ」と呟いた。その言葉に逆上した強盗が銃の引き金を引く。こんなことで命を落とすなんて…。
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夜23時頃帰宅。twitterを遡ったけど、40分くらいしかログを遡れなかった。地道にフォローを続けてきたとはいえ、まだ200人に達していないというのにもう! フォロワーの多い有名人など、お薦めユーザーとして出てくるが意外とこういう方々の発言数は少ないことがある。お薦めユーザーと言われても単にフォロワー数が多いだけの人は外して、むしろフォローしている人のフォロー/フォロワーから、発言の興味ある人を拾って追加しているので必然的に発言の多い人が増えているのだろう。
これでようやく、最後に読んだところまでログを遡ることから解放された! 全部読むことが不可能だと思うと、今だけ読むことに専念できるようになった。
『素数たちの孤独』を読み始める。
イタリアで2008年最大のベストセラーになった小説らしい。元々出版当時から書評で高い評価を受けていたが、イタリア最高の文学賞の一つといわれるストレーガ賞を受賞して大ベストセラーになったとかや訳者あとがきにある。いろんな期待をしてしまうがちょっと待てよと冷静になる。以前、同じくイタリアの映画で『湖のほとりで』を観たとき、前評判が大絶賛で変な期待をして観たら、期待の方向が違っていてちょっとがっかりしてしまった。何も知らずに、単純にミステリとして観ていたら、評判通りの良さを感じていたかもしれないと考えた。そんなわけで、この本はあまり何かを期待せずに素直に読むつもりでいる。
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『しんぼる』を丸の内ピカデリー3で観る。
予告では、真っ白な部屋にカラフルな水玉模様のパジャマを着た松本人志がいて、壁の中から天使が出てきたりして、一体どんな映画だろうと思っていたが、映画本編の冒頭は全く違う。見渡す限り何もない一本道をくわえ煙草でトラックを飛ばすシスター姿の女性。話は突然、真っ白な部屋で目を覚ます松本人志の話に変わる。その関連性は全く分からない。予告にもあったように壁から天使が出てきて、また元のように壁に吸い込まれていくのだが、ちんちんつまり性器だけ残して壁に飛び出ている。そのちんちんを押すと壁から何かが飛び出してくる。松本は部屋のちんちんを押し続け、いろいろな品物が部屋の中に散乱していく。一方話は再びトラックを飛ばすシスターの話に戻るが、舞台はメキシコで、覆面レスラーを職業とする男と幼い息子、その子供をプロレスの試合に応援に行く男の父親。だが今日の対戦相手の悪役はちょっと乱暴者のようである。そんなことがだんだんと判ってくる。
白い部屋の話とメキシコの話が交互に続くのだが、関連性が全くない。白い部屋の方はシュールな不条理的な話だけど、哲学的な方向に行くのではなくてギャグがあってだんだんコントみたいになっていく。メキシコの話は、むしろ真面目な話である。最初に思ったのは、白い部屋は死後の世界で、メキシコの話で覆面レスラーが死ぬのかなと思ったりもしたのだが、違った。しかしやがてこの白い部屋とメキシコの話は別の繋がり方で関連する。この繋がり方が、くだらない。あまりくだらなくて、それまで白い部屋のギャグとかあまり面白くなかったのに、思わず笑ってしまった。
この二つの物語がどうつながるのかずっと待ち続けていたけれど、この瞬間、何も考えていないだろうと思った。そのばかばかしさはさらに続く。現実世界とその裏側にある白い部屋との関係、壮大なテーマがありそうなような気配が見えてくるのだけど、最後のシーンでやっぱり実は何も考えていないんじゃないか。単なる思いつきのギャグを映像化しただけではないか、という気がしてならない。
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読書
53.『シャッター・アイランド』(デニス・ルヘイン ハヤカワ・ミステリ文庫)(継続・読了)
54.『Boy's Surface』(円城塔 早川書房)
55.『少女たちの羅針盤』(水生大海 原書房)
56.『モダンタイムス』(伊坂幸太郎 講談社)
57.『トーマの心臓』(森博嗣 メディアファクトリー)
58.『素数たちの孤独』(パオロ・ジョルダーノ 早川書房)(継続)
映画(劇場)
82.『ココ・シャネル』
83.『20世紀少年 最終章』
84.『サンシャイン・クリーニング』
85.『HACHI 約束の犬』
86.『ウルヴァリン:X-MEN ZERO』
87.『サブウェイ 123 激突』
88.『カムイ外伝』
89.『ディア・ドクター』
90.『しんぼる』
映画(DVD等)
12.『レッド・オクトーバーを追え!』
舞台
03.『九月大歌舞伎 夜の部 勧進帳他』
展覧会
02.『ぱなし展』
テレビドラマ
・「横溝正史シリーズII 真珠郎」1〜3
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「天体小説 〜乙桜学園祭2〜」(『一周忌物語』『PLANETARIUM』)をユーロスペースで観る。
『一周忌物語』の安達寛高監督は作家の乙一のことである。だから「乙桜学園祭2」などと銘打っているわけだけど、乙一作品となるとやっぱり気になる。公開期間が二週間限定なので観逃さないように、時間の都合のついた今日早速行ってみたのだが、ついていたことにちょうど映画サービスデーに重なり、当日券1700円払うつもりが1000円で観られて得した気分。
『一周忌物語』はとてもよかった。冒頭、暗い部屋の扉をだんだんに開けていき、部屋の中に光が射すと逆光で余計暗さを増す室内。その暗い闇の中にある仏壇の前から人影が現れるところなどすごく印象的だ。少しあとに同じく仏壇の前で手を合わせる"彼女"が逆光に浮かぶのも美しい。物語は、息子の一周忌を前に、その母親が息子の親友という青年に息子には別れてしまったけど"彼女"がいたという話を聞き、その"彼女"が一周忌にやってくるという話だ。"彼女"は実家で、夢なのかその息子が姿をを見る。まあ言ってしまえば、それだけの話。
"彼女"が実家で母親と話すシーンで、場面によって音声が大きくなったりするのがちょっと耳ざわりだったのと、母親の冗談を言いながら明るく振舞うわざとらしさが気に入らなかった。だが後者に関しては、あとから息子の死を受け入れられない母親の姿としてみればそうなのかもしれないと思ったりした。しかしその二点を除くと、他はとてもよくて、先に書いた逆光のシーン、「銀河鉄道の夜」の朗読を交えて線路を映すシーン、何か死者などを想起させる案山子のたくさんある田んぼ、夢なのか幽霊なのか"彼女"の前に姿を現す青年、そういうシーンがどれもこれも良かった。
映画のあと、インドのダンスという謎の催しもののあと、トークショウで、桜井亜美監督、中谷友保さん(桜井作品の主演の男の子)、安達寛高監督が登場し、ゲストとして安達監督の呼び声で座席左後方で映画を観てらした押井守監督がゲストで登場しトークショウになる。
司会の女性は最初の案内だけで、トークショウの進行は桜井監督が行ったのだけど、ほとんど押井監督インタビューのようになってしまった。というのも、安達監督は押井監督を前に緊張しているとかで全然喋らず、逆に押井監督は喋り始めると話が長い。可哀そうなのは中谷さんでほとんど声もかからない感じ。確かに押井監督の話は面白いのだけど、桜井監督もその話に興味があったのだと思うけれど、やっぱり映画の話に持っていくように進行すべきだったと思うのだけど。何のトークショウだかわからない。
映画のあとトークショウは少し時間を押して続けて、トークショウの後にはプレゼントコーナーもあり、すべて終わったのは23時20分くらいだったろうか。トークショウだけで30分くらいは話していたかもしれない。印象に残っていることを少し書き残しておく。
押井監督は映画について誉めていた。ただ観る人を探すのが難しいだろうということも言っていた。その意味は、自分の撮るのはエンターテイメントで、100人の人がいたら70人の人は楽しめる映画を撮っているけど、二人の映画はそういう種類の映画ではないということだった。こういう映画は自分には撮れないし、撮るつもりもないというようなことも言っていた。人の映画を観ることはほとんどなくて、大体5分くらい見るとどういう(種類の)映画か判ってしまうのでそこで観るのやめてしまうとか。だから、今回最後まで観たのは久し振りだとか。
桜井監督に振られて話した『イノセンス』の話では、あの映画では冥府を描きたいと思っていたとか。だから顔が白い人とか足元が暗く良く見えない人とかが出てきて、話すことも昔の言葉ばかりなのだと。安達監督の作品には必ず死者が出てくると、今回の『一周忌物語』を観て再確認したとも言っていた。死者があの世とこの世の境なく存在して描くという人はなかなかいないのではないか。そんな話とも絡めて『イノセンス』の冥府の話になったのだったと思う。
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