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2008年8月前半
『イノセンス』を新宿ミラノ2で観る。以前に劇場で観ているが、『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊2.0』に続けて観るとまた関連がよくわかってよかった。
まずはCGとセルアニメ部分の違和感について。『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊2.0』で違和感が激しかったのに対し、『イノセンス』はそれほどではない。こちらは同じ対象について、セルアニメとCGが出てくるということがなかったようなので、それであまり違和感を感じなかったのだと思う。
話のつながりとしては、「再会のときに合言葉にしよう」といった数字が出てきたりとか、バトーが「昔ダイビングが趣味のやつがいて」とかなんとかいうのとか、前作からの引用というかつながりが嬉しい。たぶん最初に観たときには、『GHOST IN THE SHELL』を観てから時間が経っているので、こういう細かいところは気付いてなかったんじゃないかと思う。
オープニングで、これは最初に観た時に気づいていると思うが、球体人形のオマージュになっているようなところが好き。
二作続けて観てもうひとつ思ったのは、川井憲次の音楽改めていいなぁと思ったことで、サントラ買おうかと思った。
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ほとんどだらだらと過ごす一日。だらだら過ごすうちに居眠りしたりして、休養。
『悪夢のエレベーター』(木下半太 幻冬舎文庫)を読む。これ、以前にドラマ版『悪夢のエレベーター』を見ている。原作は、冒頭は同じような始まり方をするのだが、ドラマとは違う構成、違う展開がある。密室劇で、エレベーターに閉じた話という意味ではドラマは秀逸。小説版はまた違った面白さだと思う。残り3分の1を残して、あとは明日続きを読む。
日記が溜まっている。
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『悪夢のエレベーター』(木下半太 幻冬舎文庫)読了。
目が覚めるとマンションのエレベーターに閉じ込められていた男、同じマンションの住人だというガラの悪い男、オカマ、自傷癖の女が同乗している。男は妻が産気づいた連絡を受けて、急いで帰ろうとしていたのだが。だが、このエレベーターの悪夢には裏があった。という話。
小説版では、「第一章 小川の悪夢」「第二章 マッキーの悪夢」「第三章 三郎の悪夢」と「プロローグ」「エピローグ」から構成される。本編の三章は、章のタイトル通りそれぞれ三人の視点で物語られる。第一章の小川はエレベーターで目を覚ますこの物語の中心的な存在で、まずは彼の視点で小川にとっての悪夢の出来事が描かれる。そして悪夢の結末。同じ出来事がマッキーの視点で描かれることで、この出来事の裏がわかりはじめる。第三章の三郎の悪夢とはガラの悪い男の視点。こちらは何もかもが悪い方に転ぶ、まさに悪夢の連続。この三章の存在がドラマ版との徹底的な違いだ。二章がどうしても説明、解説的になってしまうのが物足りなく、ドラマの完全な密室劇の方が面白いと思ったが、この三章のドタバタぶりはまた密室劇とは別の面白さになっている。
あと文章中に結構映画の引用が多いのが興味深かった。ただ、状況だけ書いてあって、タイトルの書かれていない映画が一本何かわからなくて気になっている。
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『ハプニング』 をMOVIXさいたまで観る。
言わずとしれた、M・ナイト・シャマラン監督の新作である。予告を見ると何が起こるのか判らないのだが、映画本編も何が原因なのか判らないまま、人々は死の恐怖へと追い詰められていく。残酷なシーンがあるような話も聞いていたけれど、直接的に残酷なシーンは見せず、むしろ見えない恐怖、起こりそうで起こらない恐怖で盛り上げていく。『サイン』の宇宙人が出てこない総攻撃のような怖さである(『サイン』の場合宇宙人が出ない方が怖いし)。シャマランらしい、とても好きなパターンだった。
死の理由は少しずつ説明されるのだが、あくまで推測でしかない。直接的な恐怖の存在が見えないのがホラーとしては弱くて、サスペンスものという感じもするのだが、理由がよくわからない理不尽で不条理な恐怖というのはホラー的で、ホラーともサスペンスともいえる境界のあたりに位置する。物語の作り的には、最後に切り抜けたと思えた危機がまだ残っていたというエピローグとか、危機を乗り越えていくうちに壊れかけていた恋人同士(主人公たち)の愛がよみがえるなんてあたりはホラー的だ(ホラーって基本的に恋愛映画だと思う)。
ただ理由がとても教育的というか、人類への警鐘的な臭いを感じてしまって、もっとただひたすら怖いだけの映画に撮ってくれた方がよかったなぁと思う。でも、シャマラン、やっぱり大好きだ。
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文句を言いつつ、まだ見ている「二十面相の娘」。最後まで、文句をいいつつ見てしまうのだろうか。時間も30分枠なので、普通のドラマを見るより時間が短いので見やすいというのも理由の一つだと思う。
今回は「少女探偵団」というタイトルの通り、少女探偵団の発足とその最初の事件。少女探偵団は、何のことはないチコと春華とトメの三人のことで、半分春華の妄想でできたような集まりである。事件は、第一話から続いているチコを亡き者にしようとしている養母の手の者による襲撃で、ドタバタした小活劇でやはり大した話ではなかった。
次回予告で、また丸眼鏡をかけた人物が出ていて、これまた二十面相の変装した姿だったりするのかなと、二十面相再登場に期待してしまう。
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coco's bloblog - めもめもで、『ニューロマンサー』のポスターを見る。『ニューロマンサー』の映画化が進行中だったことも知らなかった。
このポスター、イメージ的には僕の思う『ニューロマンサー』とはちょっと違うのだが、でもヴィジュアルとしては好きだ。どんな映画になるのかな。とりあえず、楽しみである。
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「世界最大の翼竜展」の広告を電車の中で見る。とても見たい。もうとっくの昔、6/28から開催しているのだが、そう言われてみると、前にも広告を見たかもしれない。8月末までなんだけど、どうだろう見に行けるだろうか。
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日記が停滞気味で、数日遅れで更新になっている。それ自体は大きな問題ではないのだが、すぐに書きたいことがあったときにこの日付のずれがあると困る。日付を一気に飛ばして書いてしまうのもありだが、そうすると過去の日付の更新があとからになる。やっぱり日記は日記で毎日更新するべきなのだろうか。
あるいは、ランダム・アクセス・ダイアリーとでもよぼうか、エントリは日付で書いて、最新の表示だけ更新順で表示するというのもありかもしれない。過去ログは日付順になるわけだし。ちょっと検討してみよう。
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『潜水服は蝶の夢を見る』(ジャン=ドミニック・ボービー 講談社)を読み始める。
以前この作品を映画化した『潜水服は蝶の夢を見る』を観た。読むと映画の場面が思い出される。
ロックトイン症候群−−意識も知能も正常でありながら躰の自由が全く効かず、自分の躰に閉じ込められた(ロックトイン)かのような状態になってしまう症状−−で、左の瞼の瞬きだけでしか意思表示できなくなってしまった、『ELLE』の元編集長ジャン=ドミニック・ボービーの実話である。この本を彼は左の瞼の瞬きを20万回以上繰り返すことで書いたという、全く信じられないような話だ。
短いエピソードの積み重ねで書かれているが、その短いエピソードひとつを書くのにどれくらいの時間がかかることか。そしてこれがロックトイン症候群になった人の書いた文章なのかと思うようなウィットに飛んだ文章に、あまり悲壮感は感じられない。
どんなに絶望的なところに辿り着いても、最後まで生きる希望を捨ててはいけないのだと思う。
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電車の中吊り広告で「CREA」9月号の広告が目に留まる。特集「読書の快楽」、サブタイトルは「面白すぎて眠れなくなる本とマンガ700冊」。最近、全然雑誌を買っていないが、久々に買って読みたくなる。「CREA」は特集が興味ある時に時々買うことのある雑誌だが、これってそもそも対象は誰なんだろう。女性誌というのはわかっているけど、年齢とかその辺。
隣に吊るされていた「BOAO」という雑誌の特集が、「ぜ〜んぶ、SHIHO!」でこちらもちょっと興味ある。SHIHOって割と好き。
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『スカイ・クロラ』を新宿ミラノ1で観る。
既に映画を観たりNHK特番についての友人二人の感想が印象的だった。一人はセリフを抜いて人物も犬も抜いて、建物と飛行場と空と飛行機それと音楽だけで一本の映画にしてほしいと言っていた。もう一人、やはりCGと手書きを分けているのが受け入れられないという。先日、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊2.0』で同じような違和感を感じた自分としては、『スカイ・クロラ』がどうなっているのかとても気になる。
冒頭、CGを駆使した空中戦の戦闘シーンから始まる。素晴らしい。そして雲の浮かぶ空を延々と描写し続けるオープニングの後、本編に入るとCGとセルアニメの混在が始まる。でも、メカと人物とで使い分けているのでそんなに違和感を感じない。別にいいんじゃない、こんなものならと思っていたのだが、観ているうちにだんだんと違和感を感じ始める。
CGの部分はかなりリアリティを追及している。そして、飛行機の飛ぶシーンでCGが駆使されているのだが、その延長で地上の様子などもかなりリアルに映像化される。それが飛行機が地上に降り立つと普通のアニメシーンに変わってしまう。
空中戦を中心とした飛行機と空の描写、それと人物のいる物語は別のものとして分けた方がよかったのではないか。
でもそこで『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊2.0』を思い出す。あれも一番違和感を感じたのは、一本の映画の中で人物まで−−草薙少佐までセルアニメとCGとで描かれていたのが強い違和感を感じた。明らかにチグハグなのに、それを「2.0」として作品として発表してしまった。それを考えると、押井監督としてはCGの部分だけ作れれば、それでよかったのかもしれない。たぶん予算やいろいろなしがらみで、全編をCGで作りたくてもそれがかなわないから、一本の映画とするためにセルアニメ部分も作っているのかも。セルアニメ部分もそれならCGに合わせればいい、というか普通作品を統一感を持って作るのが普通だろう。だが、それを変に中途半端にするよりも、CG部分はCG部分でセルアニメ部分はセルアニメ部分で完成度を高くした方がいい、そう考えているのかもしれない。
トータルな作品の完成度としては不満がたくさんあるけれど、この映画の価値はそういったことではなくて、CGで作られた飛行機の戦闘シーンを見せてくれることなのかもしれない。
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『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』オリジナル版を日本映画専門チャンネルで放送しているのを録画で観る。
『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』の公開に合わせて、『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』と『イノセンス』を放送していたのだ。そして今日、『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』を観て帰宅すると、丁度『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』が録画中だった。
『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊2.0』を先日観て、CG部分とセルアニメ部分の混在に違和感を感じたばかりだが、そもそもオリジナルってこんなに違和感あったっけと、オリジナル版がすごく気になっていた。そこで録画を追いかけ再生で、特に好きだったオープニングの義体ができるまでのシーンを確認しようと思って観てみた。まずわかったのは、CG部分だけを作り直していたのだと思っていたのだがそうではなかったこと。もともとセルアニメだったところがCGになったりしている。オリジナル版と2.0ではもう全く別の作品といってもいいのではないだろうか。
2.0で、セルアニメとCGの混在はものすごく違和感を感じたのだが、今になってオリジナルを観ると2.0のすごさに改めて気づく。チグハグさを犠牲にしたとしても、CGで描きたかった(のではないか)という気がしてきた。それくらい2.0のCG部分は凄かったとオリジナルと比較してみてわかった。押井守の目指しているものがわかった(ような気がした)。
そして気付いたら、オープニングだけ観ようと思っていたのに、結局最後まで観てしまった。
ところですっかり忘れていたのだが、オリジナルで人形使いの声は家弓家正がやっていたのだった。2.0では声が女性だったので、男の声が出てきたときに驚いた。
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先日中吊り広告を見て気になっていた「CREA」9月号(特集「読書の快楽」)を買う。映画を観た後、BOOK 1STをブラブラしていて、「CREA」を見つけて購入。休み中に読もう。
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秋葉原に「カルドセプト カードアート展」を見に行く。ゲームはほとんどやらないので、カルドセプトも例外でなく、どんなゲームなのかよく知らない。このゲームのイラストを複数のイラストレーターが描いているが、そのうちの一人が友人だったのでこのゲームのことを知った。
久々に行った秋葉原は電気街口改札を出て昔でいうラジオ会館側に出るとものすごい人だかりに驚く。しかもメイド服の娘がチラシを配っていたり、外国人観光客と話していたりする。秋葉原って駅前からメイド服の人が歩くようになっちゃったんだ。ラジオ会館と反対側は人通りが少なかったが、UDXとかいうどでかいビルから駅前広場までエスカレーターを伸ばしている。
友人と合流してこの長いエスカレーターを上がる。目的の「カルドセプト カードアート展」はこのUDXビル内で開かれている。
会場入り口に加藤直行の巨大なイラストのポスターがある。そして壁一面に飾られたカード。なんでも1254点のカードがすべて展示されているらしい。はじから一応全部見てみた。カードサイズなので、ゲームファンではなくてイラストを見たいと思って見たのでちょっと物足りないが、特に初期の頃はドット数が荒いようで解像度からするとこのカードサイズくらで限界のようだ。
このカードの前では、カルドセプトのマニアックなファンらしき人たちがいろいろ話していて、マニアにはこのカード展示たまんないんだろうなぁと思った。カードの奥に原画などの展示がある。こちらはカードよりずっと大きいので展覧会らしい。ただ原画といってもコンピュータグラフィックなので、印刷したものである。その中で一枚、加藤直行の絵が絵の具で描いた絵が一枚額に飾ってあった。その奥は、……と思ったら、奥はもうイベント会場で原画の数は少なくて残念だった。
予想以上に早く見終わってしまったけれど、そのあと新宿に移動して、16SHOTSなるゲームバーへ行く。
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「二十面相の娘」第16話「暗号」を見る。
毎度毎度だが、また今回もあらすじを。まずは冒頭「少女探偵団」の漫画から始まる。春華が同級生の友達に依頼して描いて貰ったが、依頼と違って三角関係の話になっているというオチ。結局少女探偵団は、この物語の中では最後までこういうネタにだけ使われるのだろうか。
前回予告で気になっていた老人が登場。この老人、二十面相のかつての恩師で、戦時中の二十面相の研究などについてもチコに話す。そして、二十面相の研究の秘密を二十面相の娘が持っているという噂を流したのは二十面相自身で、結局二十面相はチコのことも利用しているのだと話す。
サブタイトルが「暗号」だが、二十面相が残した暗号についてチコが考える話も出てくるが今回結論が出ていないので省略する。
そして新たなる謎の人物の登場と、突然のチコへの襲撃。間一髪でケンが助けに入るが、襲撃してきた謎の人物の正体はわからないまま。そして夜、老人がチコの家に迎えにやってくる。チコは二十面相の謎を知るため、老人の誘いに乗り、車でどこかへ連れて行かれる。
次回予告では再びケンや明智、老人の謎の敵が再び出てくる。そうそう、この「二十面相の娘」の予告はナレーションも台詞もなくてただ次回のシーンが何シーンか映るだけで、あと最後に一言チコが「おじさん」っと言うだけ。この「おじさん」は二十面相のことだが、あるときはつぶやき、あるときは助けを求める声、あるときは悲鳴だったりと、毎回違うバリエーションなのだが台詞はただ一言「おじさん」。
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『ドラゴン・キングダム』をMOVIXさいたまで観る。
ジャッキー・チェンとジェット・リー夢の競演である。物語は孫悟空をベースにしているが西遊記とは異なる。五行山で石になっている孫悟空を救うため、如意棒を届ける旅をする一行とその行程で邪魔をする敵との戦いを描く。もちろんこの一行にジャッキー・チェンとジェット・リーが含まれる。
主人公はアメリカ人で、現代のアメリカからこの中国(のような世界)に如意棒を持ってタイムスリップしてきたジェイソンという青年。そして彼がこの世界に辿り着いた理由も何もかもわからないでいるところに、なぜか如意棒を見て襲ってくる兵士たちから救い出してくれたのは、酔いどれにして拳法の達人ルー・ヤン(ジャッキー・チェン)である。ここでジャッキー・チェンが酔いどれなのがミソで、ジャッキー・チェンは酔拳を使ってみせるのである。さらにゴールデン・スパロウという謎の女が追われる二人の危機を短剣を投げて救い、仲間に加わる。
如意棒を狙い襲ってきた兵士は、そもそも孫悟空との対決で孫悟空を騙して如意棒を奪い石に変えた張本人であるジェイド将軍の部下たちだった。実は五百年前に石となった孫悟空を救う「選ばれし者」が現れるという伝説があるのだ。ジェイソンはその伝説の人物として、孫悟空の復活を阻止しようとするジェイド将軍とその部下に狙われることになったのだ。
旅の途中、何者かにジェイソンは如意棒を奪い取られる。如意棒を取り返すため、一行は賞金稼ぎと思われる謎の男を追いかけるが、その正体はサイレント・モンク(ジェット・リー)という僧だった。如意棒を取り返すルー・ヤンとサイレント・モンク、つまりジャッキー・チェンとジェット・リーの戦いが繰り広げられる。この対決がひとつの見せ場でいある。しかも先にも書いたようにジャッキー・チェンは酔拳を使ったり、途中でジェット・リーが蟷螂拳の構えをしてジャッキー・チェンが虎拳に切り替える(台詞あり)などの遊びもあって、ジャッキー・チェンとジェット・リーはどちらが強いかみたいなノリの対決が面白い。
ひとしきり戦った後、実はサイレント・モンクも「選ばれし者」を探して旅をしていたとわかり、五行山へ如意棒を届けるたびに加わることになる。
一方、この一行を邪魔するためにジェイド将軍は、白髪魔女を暗殺者として送り込んでいた。この白髪魔女はもちろん『白髪魔女伝』を元ネタにしている。主人公側の一行に含まれるゴールデン・スパロウもどうやら中国伝奇もののヒロインをモチーフにしているようだ。そんな風に旅が続き、クライマックスは孫悟空の石像の場でのジェイド将軍や白髪魔女との対決となる。
この映画、そんな風にカンフー映画や中国伝奇映画を合わせたような作りになっている。実はこの物語の始まりは、アメリカでカンフーオタクの主人公ジェイソンがカンフー映画のDVDをチャイナタウンの店で買うことから始まる。ここで如意棒を見つけるが、老店主は祖父の代から「真の持ち主」に渡すために預かっているという話をする。そのDVDを買った帰り、悪友?たちに絡まれて、このチャイナタウンの店に強盗に入る案内役をさせられてしまう。老店主は成り行きで銃で撃たれしまい、そのとき如意棒を「真の持ち主」に届けてくれといわれるのだ。そしてジェイソンはその如意棒を持って逃げる途中、屋上から落ちて気がつくと中国らしき異国の地にいることに気づくというのが物語の始まりなのである。
このときジェイソンが買ったDVDが、『燃えよドラゴン』と『白髪魔女伝』とあともう一本がなんだったか忘れてしまったのだが、三本のカンフー系映画のDVDである。つまり、この物語は屋上から落ちたジェイソンの夢だったという解釈も可能なのである。そう解釈すると、エピローグは物語の後日談ではなくてどうしてそういう夢を見たかという理由の説明にもなる。
すべては夢でしたというのは興をそぐので夢オチはあまり好きではない。けれど、この映画に関していうとちょっと違う。なぜなら、ひたすらカンフーファンの夢の実現みたいな映画になっているからだ。物語がどうこうではなく、ジャッキー・チェンとジェット・リーが対決してくれればそれで満足というところがある。そのうえで、あくまでSFファンタジー的なプロローグとエピローグがついている。荒唐無稽だけど、そういうSFファンタジーのカンフー映画なんだからいいんだよ、これで。と思ったちょっと先に、実はこれってSFファンタジーではなくて、要するに夢じゃないのっていう解釈の余地だけ残しているという点がちょっとニヤリとさせてくれるのが面白い。
だってこれが夢だったとしても、まさにこの物語はカンフーファンの夢みたいなものなのだから、それを実際に見せてくれればそれが夢であったって一向に構わないではないか。
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夏休みに入り、のんびりした一日。オリンピックなんかもなんとなく見る。一日だらだらと過ごす。
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夏休みなので今日もだらだらと過ごす。
テレビをなんとなく見ていたら、「ごきげんよう」というトーク番組にスピードワゴンが出ていて、井戸田潤が相棒の小沢に「もっと勉強しろ」と怒られた翌日、本を読んでいたというエピソードを話していた。何の本を読んでいるのかと思ったら、『言われっぱなしはもうゴメンだ』という本だったというのがオチ。あとその中で書かれていたことをいくつか紹介しひとしきり笑いをとったあと、でも著者はドイツ人の学者か何かでちゃんとした本なんですよといったようなことを言う。だから、あるケースでこう言えということわざみたいなものがあって、「犬小屋を探したってキャビアは見つかりませんよ」などとあって意味も判らないし、日本では使えないみたいなことを言って話をまとめていた。
この『言われっぱなしはもうゴメンだ』という本が気になったので、早速検索してみたが見つからない。このネタは何度も使われているらしく、ブログからwikipediaまでいろいろなところで引っかかるのだが、肝心の本の方が見つからない。Q&Aでこの本について訊いている質問もあるが回答でも出てくるのは本のタイトルまでなのである。
この『もう言われっぱなしはゴメンだ』というのは、実は本のタイトルではなくてサブタイトルか、もしかしたら本の帯に書かれた惹句なんではないかと思い始める。それで反論の仕方のような本で、外国の著者を片っ端から調べていくがどうもそれらしきものにあたらない。もしかしたら著者もドイツ人ではなく、丁度この引用されているところがドイツ人の著書からの引用だったりするのではないかなどと考え始める。
最初は、ごくささやかな興味だったのだが、見つからないと気になるものである。こうしてスピードワゴンの幻本探しは続く。もしこの本を既に見つけた方がいたら、教えてください。
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夏休みになったら普段出来ないあれをしよう、これをしようと考えていたが、実際には何もしないでただ食って寝てる。それが3日目ともなると、少しは何かしようという気になってきた。といってもたいしたことではなくて、観たい映画の上映時間を確かめただけ。しかし明日行くことはできるのだろうか。
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今日は映画を観にいこうと思っていたはずなのだが、ほとんど一日寝ていた。数日のんびりしたことにより、疲れが出てきたのか。よくわからないまま一日が過ぎる。
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『近距離恋愛』を新宿武蔵野館で観る。
ハンサムだが女ったらしの男トムが唯一男女関係を持たず親友として付き合っている女性ハンナ。そもそもの二人の出会いは、トムが大学時代に口説いた相手の部屋に入って寝ている相手を確かめずにベッドに入り込んだら、寝ていたのは人違いでルームメイトの別の女の子だった。そのときの間違われたルームメイトがハンナだったというわけで、ハンナには最低の男として散々悪態をつかれたはずのトムなのだが、その後なぜか二人は親友になっていた。二人が親友になっていくその経緯は描かれていない。
トムにとってハンナは空気のように自然に感じられる相手で、何の気づかいもなく本音でものを言える相手になっていた。ハンナの方も同じなのだが、トムの父親の六度目(!)の結婚パーティでふとトムに対する恋愛感情を覗かせる。だがトムは全く気付かず、ハンナはあえて気持ちを伝えようとはしない。
そんなある日ハンナが仕事でスコットランドに一ヶ月半ほど行くことになる。トムはハンナの留守中に誰と付き合ってもハンナといるときのように楽しくないことから、初めて自分がハンナのことを好きなのかもしれないと気づく。そしてハンナが戻ったら、ハンナと暮らすのだと決心するのだった(でも結婚をする気はないようだ)。
ハンナは帰国次第トムに連絡をしてきて、二人は食事の約束をする。トムは花束を買って、気持ちを伝えるつもりで待ち合わせのレストランに行くのだが、そこにはハンナがスコットランドで知り合い結婚を決めた相手を連れて来ていた。しかも、花嫁付添人を親友のトムに頼みたいというのだった。
というわけで、なんとか相手と別れるようトムが奮闘する物語が始まる。
この映画を観ている間、この映画の観客って誰が対象なんだろうと時々思った。というのも、物語はトムとハンナの二人の話ではあるが、話はトムの気持ちなどが中心に描かれているのだ。トムの気持ちの変化に気づかないハンナはただ婚約者とデレデレしているだけである。トムの方は、あの手この手で相手を蹴落とそうとしたり、悩んでみたり、友人たちに相談したり励まされたりが描かれていて、どうしてもトムを中心に映画を観てしまう。最初は自分が男だから男性の立場でついつい観ているのかなと思ったのだが、そうでもないようだ。
恋愛映画って一概に言えないけれど、男女両側から描くとしても、どうしても性質上女性側の方の比重が高くなりそうだ。もちろん、好きな女の子に気持ちを伝えられるかみたいな作品もたくさんあるけれど、結婚がテーマになるような大人の恋愛だとどうしても女性側の描き方が中心になるような気がする。対象は誰なんだろうと思ったのは、ハンナの心理などの描き方が少ないような気がしたのでそう思ったのだと思う。
そしてもう一つ。トムは女ったらしで結婚にも興味がない。ハンサムかもしれないけど、そんな男が本心に気づいてアタックしてくるというのは、女性の立場で観ていて、ハッピーな話なのかとても不思議な気がした。男の立場で見ると、うまくいけばハッピーな話になるとは思うのだけれど、女性の立場で観ていてハッピーな恋愛映画になっているんだろうかと疑問に思った。いいのかなぁ。ハンサムな身近な男が「青い鳥」だったってことで。
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『ダークナイト』を池袋東急で観る。
タイトルにバットマンの名がないが、『バットマン・ビギンズ』に続くバットマンものである。『バットマン・ビギンズ』は観逃していて、それまでのバットマンシリーズの延長だと思っていたが、『バットマン・ビギンズ』から別の新たなシリーズになっているらしいと知る。
実際『ダークナイト』では再びジョーカーのエピソードになっている。以前のシリーズのバットマンは、重く無骨なパットスーツに身を固め、ややどんくさいヒーローだった。バットマンといえば、全身タイツのようなテレビシリーズのバットマンを思い浮かべる僕には新鮮で、実際生身の人間がヒーローとして活躍するには鎧のようなスーツで身動きするのも大変というのは妙に納得できて、そのカッコ悪さがまたよかった。『ダークナイト』のバットマンも、その系統を継いでいるのだが、もう少しスマートになっている(という気がした)。ゲイリー・オールドマン扮するゴードン警部補が振り向くといつの間にか隣にいるという登場の仕方とか、囁くようなしゃべり方、マントを羽のようにして飛ぶところとか、かなりかっこいい。
主人公バットマンはまず良いとして、では映画そのものはどうだったのかというと、なかなか渋くてとてもアメコミを映画化したとは思えないような渋い映画だった。もっとも原作のバットマンをよく知らないのでこれが原作に近いのかどうかは知らない。派手なアクションもあるのだがむしろ地味で重たい印象があるのだが、終わってみれば2時間半もある映画とは思えなかった。前評判がすごくよかったが、それも頷ける。
『バットマン・ビギンズ』を観たくなった。
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渋谷O-WESTに、「架空楽団結成30周年記念ライヴ」を観にいく。架空楽団もいつの間にか30周年とかで、もちろん最初から観ているわけではなくて、たしか97年のクロコダイルでのライヴからだけど、それでも11年になる。というのは今書いていて驚いたりして。
前にも書いたかもしれないけれど、ムーンライダーズが好きで、あがた森魚が好きで、コピーしていたら本家がライブにゲスト出演するようになってしまったという、ファンにとっては夢のような出来事が起こっているわけで、「夢は必ずかなう」というのを実演してしまっているバンドである。今回、またまたゲストが次々出てくるのを見ていて、そう思った。でも、その夢に対する力の入れ方が半端じゃないよなぁと思う。
6時半から過去の数々のビデオを流して約20分、このビデオも懐かしく楽しい。そしてメンバーが登場してひとしきり演奏すると、次々ゲストが現れる。二部構成で、途中休憩を挟んで、アンコールもやって、ほとんどムーンライダーズとあがた森魚ファンの祭典みたいな感じだった。
また東京でライヴをしてほしい。次は35周年だろうか。
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