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2009年6月前半
週末から疲れ気味だったので、今日は仕事を早めに切り上げ、映画などにも行かず躰を休めることにする。
ようやく日記更新の意欲が戻ってきて、日記を再開する。とりあえず、26日から30日分まで書く。
過去に遡らずに今日の日記から書くことも考えたが、既に一度すっ飛ばして再開しているので、この前の続きから書くことにしたが、今日の分まで追いつかなかった。まあぼちぼち再開ということで。
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昨日から停滞していたサイトの更新を再開する。
日曜から読み始めた『読書進化論』(勝間和代 小学館新書)を読み終える。副題に「人はウェブで変わるのか。本はウェブに負けたのか」とあるので、なんとなく「ウェブに負けた本」の話かと思っていたのだが、本の優位性が書かれていた。そうか、本が負けてたら「読書進化論」にならないか。
もうひとつ勘違いしていたのは、「進化した読書」の話かと思っていたのだが、そうではなくて「読書によって人が進化する」話だった。人は読書によって進化できる、というのだ。
それにしてもこのウェブ全盛の時代に本の優位性を説いているのは、本好きには嬉しい。しかも筋道の通った理由があって、まだまだ本の時代にあるのだという気になる。でもこの本が面白いのは、そういう内容そのものではないように思う。書いてあることは、それほど特別なこと、すごいことが書かれているわけではないのだ。でも面白いなと思うのは、読んでいると元気が出てくるからだ。前にも同じようなことを書いたけど、勝間和代の本には、彼女のプラス思考が満ちている。この本にもやはりたくさんの前向きな姿勢が含まれている。たぶんそれでなんとなく元気になるのだと思う。今になって思えば、昨日、サイト更新再開の背中を押したのも、この本を読み始めたからだったのかもしれない。
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U5さんのこらないに、「ろじ式」の記事。
関係ないけど、実はROJIXのコンテンツに「露地式」っていうのをずっと考えていて、自分流のやり方−−要するにオレ様式のやり方を書くコーナーを作ろうと思っていたのだった。「ろじ式」ってどんなんだろう。タイトルが非常に気になる。
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いよいよ『1Q84』BOOK1(村上春樹 新潮社)を読み始める。
少しだけ違う別の世界へ入り込むことを暗示させる始まり方が気にいる。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』を思い出すが、そういう話だったらいいなという単なる期待から想起しただけかもしれない。次の章では別の登場人物による別の話、以降章ごとに交互に青豆という女性と天吾という男性の二つのストーリーが語られていく。青豆の意外な仕事、天吾の奇妙な体験、どちらも面白く読む。
今日は約4分の1、第6章まで読んで明日の楽しみとする。
今日は夕方歯科に行き、右下の親知らずを抜く。いまだ親知らずは4本ともあったのだが、右下の親知らずは斜めに生えて半分歯肉に埋まった状態のままになっていた。当然虫歯になりやすく、痛みはないのだが虫歯になっているので抜いたほうがいいといわれていた。そんなことを言われてから1年以上経つうちに、抜こうかなという気になって、先週予約を入れたのだった。
斜めに生えているので抜くのは大変なんじゃないかと思っていたが、逆にそんな生え方だからか歯の根も短く意外と軽く抜けた。歯の頭の部分が大きくて、傷口は大きいようだが、出血も少なく痛みもほとんどない。
歯を抜いて、まっすぐ帰宅して、夜は家でのんびり過ごす。
昨日の夜、BS2で放送していた『エターナル・サンシャイン』が録画されていたので、これを観ることにする。『エターナル・サンシャイン』は以前から観てみたくて、以前も録画してDVDに焼いてあったのだが、DVDに焼いてしまったが最後なかなか観られないものである。
以前の録画時にはまだアナログ契約だったのもあり、先日あれこれ録画予約を入れているときに一応録画予約を入れておいたのだが、たまたま家で休養するしかない日に録画されていたというのは、これはもう観ろということだろう。
話が意外と重たくて暗い感じで始まるのが意外だった。また、現在と過去が複雑に交錯するのかなと勝手に思っていたので、これも意外とシンプルな話だなぁと感じた。
ちょうど村上春樹を読んでいるところだが、彼の小説で「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」という短い話がある。この小説はとても好きで、村上春樹の小説で好きな作品は何かと聞かれたとき、1番とは言わないけれど、3本には入るかなと思うくらい好きなのだが、この小説を思い出した。
記憶を消してもなお、再び恋に落ちた二人は、お互いが100パーセントの相手だったのだろうか。すんなりハッピーエンドに終わるのではなく、いずれ傷つけあうかもしれないことを認めたうえで再び付き合う選択をする終わり方がよかった。
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親知らずを抜いたところは快調で、朝起きても痛みはほとんどない。右側でものを噛めない以外は特に普段と変わらない。
仕事はなんだか事務的なことが多く、気が付いたら17時という、超高速に過ぎた一日。夜22時近くまで仕事。帰宅して食事。食事を終えると1時少し前で、何もしていないのにもう寝る時間。
『1Q84』BOOK1(村上春樹 新潮社)はあまり時間がなくて、今日は3章読んだだけ。面白いが一気に読んでしまうというより、ゆっくり楽しみながら読める。
特別なことのない、ありふれた静かな一日だった。
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今クールのドラマは、「名探偵の掟」を見ている。それほど期待していなかったのだが、見始めたらなかなか面白い。原作の方は、マニアックさが物足りないと感じたが、テレビドラマの浅さにはちょうどいい感じ。そして今回は、原作にもあるけれど、二時間ドラマをパロディにした話。始まりからして「火曜サスペンス劇場」の真似をしまくりなのだが、あれこれってテレビ朝日じゃないの? 他局の宣伝してどうするのよ? とか思ったが、これでいいのだった。パロディっで二時間サスペンスドラマをおちょくっているのだから、自局の「土曜ワイド劇場」をおちょくってはまずい。しかし、知名度は「火曜サスペンス劇場」が高く、おちょくられている内容のひどさは「土曜ワイド劇場」という気がしてしまったのは、考えすぎだろうか。
『1Q84』BOOK1(村上春樹 新潮社)の経過報告。昨日、7章から9章まで読んだが9章の最後で『1Q84』というタイトルの意味が明かされた。きっとオーウェルの『1984年』と何か関連するんだろうなと思っていたが、「Q」の意味が判らなかった。なんだそういうことか、という単純なことだけだが、何となく妙に納得する。逆にオーウェル的な世界へのつながりはまだ見えない。1984年という年号にそういう意味はないのか?
今日は10章から13章まで読んだ。二つの独立した青豆と天吾の話が、どうつながるのか、もしかしてこれは同じ1984年ではなくて片方は未来か過去なのかとかいろいろ想像していたが、途中でやはりどちらも1984年だと判る。まだしばらく二つの話はつながらないのだろうと思っていたら、唐突に話が交錯する。しかし物語の現在、1984年ではまだしばらく二人の物語は並行したまま進みそうだ。
何章か読むと謎が少し解決していく。その度に一旦本を閉じて、翌日に続きを読むことができる。こういう風にゆっくり楽しめる小説というのは嬉しい。
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昨夜少し遅かったのもあって寝坊する。コーヒーとトーストで遅い朝食と思って、コーヒーメーカーをかけておいて、さて食べようと思ったらコーヒーメーカーに入れる水をポットに入れたままスイッチを入れていた。ただ単に、水を温めていただけだ。ポットの水(既にお湯になっていた)を空けて水を入れ直す。勢いよくコーヒーが出来ていく、と思ったらお湯がどんどんポットに溜まっていく。おいおい、コーヒーの粉を入れていないぞ。疲れているみたい。
朝食後、朝風呂。というかもう昼近くなっている。雑用を済ませて、遅い昼をパスタを茹でて済ます。それから久々にサイトをいろいろ更新する。
まずは露地書房に「オススメ2009」のカテゴリを追加。「気になる本・これから読む本」をいつも更新しているが、読んだらどんどん削っている。読んでない本を展示するより、読んだ本のオススメを紹介する方がいいと思った。「オススメリスト」はあるのだが、最初に露地書房を作ったときに、思いついた好きな本や映画を突っ込んだきり、特にメンテナンスもしていない。この辺もあとで整理しようと思う。
それから、すっかりほったらかしになっていた「妄想手帖」に今後の予定を入れる。手帳にメモしてある映画とか、少し意識的に今後の上映予定などを調べたりして追加する。
実はサーバーのディスクがほぼ一杯に近くなってきていて、ちょっと手入れを怠るとディスクがいっぱいになる。そのせいでカウンターが5月中に二回ほど0クリアされた。正確なカウントもわからないので、どちらも1月末の値に戻した。約半年分のカウントが落ちたけど、アクセスがどれくらいあるか確認しているだけで、総数はある意味どうでもいいやと思っている。そんなのもあって、サーバーの切替をしなくちゃいけないのだが、面倒で延ばし延ばしにしている。本当は、これを最初にしなくちゃいけないのだが。
『1Q84』BOOK1(村上春樹 新潮社)の経過報告。
今日は14章と15章だけ読む。『エターナル・サンシャイン』を観て、「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」を思い出したばかりのせいか、青豆と天吾は、お互いにとって100パーセントの女の子と男の子で、そしてすれ違う瞬間に二人はお互いに気づくことが出来るのではないかと考えたりした。しかし、すれ違うことなく無事再会できたとして、青豆の仕事を考えると果たして幸福な再会になるのだろうか。
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映画を観に、隣駅のシネコンMOVIXさいたまに行く。
ちょっと早めに着いたので、チケットを買ったあと、紀伊國屋に行く。柴田元幸責任編集「モンキービジネス vol.5」に村上春樹ロングインタビューが掲載されているというので、現物を見て買おうと思ったのだが見当たらない。諦めきれずに、文芸雑誌のコーナー以外でありそうなところを探しながら、店内をぶらぶらする。このさいたま新都心の紀伊國屋は滅多に入らないので店内の各コーナーの位置もまだよく判ってなくて、本当にうろうろする感じ。本を見るというより本の並びの確認が中心になってしまったが、それでもいろいろ気になる本を見つけ、最近リアル書店に行ってないなぁと実感する。
観た映画は『天使と悪魔』。
劇場は広いのに意外と空いててあれっと思ったが、よくよく考えると始まってからもう三週間過ぎているのだった。前作の映画『ダ・ヴィンチ・コード』より面白かった。もっとも、原作も『ダ・ヴィンチ・コード』より、『天使と悪魔』の方が面白かったから当然か。
単純なエンターテイメントで、観終わっておしまいって感じだけど、そういう風に単純に楽しめる映画に仕上げているのはさすがロン・ハワードだと思う。
原作のクライマックスは、ラングドン教授の超人的(!)活躍があるのだが、映画にはなかった。ほとんどマンガみたいなムチャなエピソードなので、なくしたのは正解だろう。その分の見せ場はユアン・マクレガーがさらっていった。しかしこの原作のエピソードについては、映画化の話を知ったときにトム・ハンクスの保険額がバカ高いという話を読んで、あのシーンを撮るならと妙に納得したのだった。よくよく考えれば、実際にはCGなどを駆使して撮るから危険はほとんどないのだろうが。
それと例によって原作にはヒロインとのラブロマンスがあったが、映画では描かれなかった。しかしこれもなくて正解だったと思う。その分テンポのいい物語展開がノンストップで繰り広げられたように思う。
『1Q84』BOOK1(村上春樹 新潮社)の経過報告。
今日も2章だけ、16章と17章を読む。本当はもう少し読むはずだったが、ベッドで転がって読んでいて一旦本を閉じたらそのまま眠っていた。二つの物語は、一気に深く絡み合ってくる。
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『1Q84』BOOK1(村上春樹 新潮社)の経過報告。18章から20章まで読む。
絶対何か関係があるはずだと思っていた『1984年』の話が出てくる。特に心に残っている小説とかいうわけではないのだが、『1Q84』に影響されているのか、物語の中に出てきたら無性に読み返したくなる。最初に『1984年』を読んだのは1979年のことなのでもう20年も前になる。話の細部は忘れているが、いろいろと印象に残っている部分も多いのは事実だ。
そのあとにはチェーホフの話が出てくる。引用されている『サハリン島』は未読である。『1Q84』の話とは関係ないが、この前から「ボルシチ・ノート」の引用を再開している。なんとなくチェーホフから引用してみたくなり、読書を中断して、ちくま文庫のチェーホフ全集を開いてみる。しかしパッと見て気にいったフレーズが見つからない。何の脈絡か、突然『ショスタコーヴィチの証言』に、写真を写す時に自然に会話しているように見せるために、数字を数えるというエピソードが出てきて面白いと思ったことを思い出す。それを引用しようと思って、『ショスタコーヴィチの証言』を開いたページに偶然にもチェーホフのエピソードがある。せっかくなので、そのページから一行引用することにした。
そんなことをしているうちに、『1Q84』を読み終えないうちから、関連した本をいろいろと読みたくなる。特に『1984年』などは読み返してから『1Q84』を読むと、何か発見があるかもしれない。
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『1Q84』BOOK1(村上春樹 新潮社)の経過報告。21章から24章まで読んで、上巻読了。
共通したある存在に向かって、二つの物語はまっすぐに吸い寄せられていると思っていたが、最後の数ページで示された事実に衝撃を受ける。交錯したと思った二つの物語が、実は交わらない二つの線なのかもしれない。二つの物語の関係は、「つまりそういうこと?」とか思ったのだけど、あたっているのか否か。今までずっと、そんなに焦らずゆっくり読んできたのに、これで急に続きが気になり始める。
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仕事仲間との飲み会でたくさん飲む。
別に禁酒しているわけではないのだが、最近お酒を飲んでいなくて、10日振りの飲酒。疲れて朝出かけるときの電車の中ではほとんど眠っていて、帰りは酔っぱらっていたので、本を持ち歩いていたけれど、今日は読書なし。
いろんな意味で一回休み。
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『チャンドリー・チョーク・トゥ・チャイナ』をシネマスクエアとうきゅうで観る。
インドのデリーでコックをするシドゥ(アクシャイ・クマール)が、中国は万里の長城にかつていた英雄の生まれ変わりだと言われて、中国に渡る。悪人「北条」に村を牛耳られて藁をも掴む思いでいた村人たちは、シドゥが英雄の生まれかわりだと信じて北条を倒すことを期待するが、シドゥが北条に敵うわけもなくコテンパンにやられてしまうが。
インドで通信販売のCMで活躍する美女も単身中国へくるが、北条の部下の女性こそ実は幼いころ生き別れになったその双子の妹だったり、二人の父親は北条の仇敵の警部で死んだと思われていたが生きていて記憶を失っていたりという話が絡む。
例によって、ギャグあり、笑いあり、恋愛あり、アクションあり、歌あり、ダンスありという、すべての要素が詰まったエンターテイメント。くだらなさもたっぷりあるが、何も考えずに楽しめる映画だった。
恒例、『1Q84』BOOK2(村上春樹 新潮社)の経過報告。今日からBOOK2を読み始める。BOOK1最後の衝撃に、一気に読みたい気がしていたが、急展開はなかったので、冷静に事態を静観する感じで、1章と2章のみ読む。昨日一日置いたのもあるかもしれない。このままスローペースで読み進むのだろう。
古川日出男による村上春樹のインタビューが掲載されているという「モンキービジネス Vol.5」(ヴィレッジ・ブックス)を買う。帯がついていて「やった! 増刷!」とある。売れているんだね。
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再び仕事仲間との飲み会でお酒を飲まない日が一回休み。
読書の方は今回は一回休みにならず、『1Q84』BOOK2(村上春樹 新潮社)を3章と4章だけ、また2章ほど読む。大きな進展はないが、青豆の章でも天吾の章でも暗い影が差す。不安だけが募る。
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『ザ・スピリット』をシネマスクエアとうきゅうで観る。
コントラストを強くして、ほとんど黒の全身にネクタイの赤と靴底だけ白というスピリットは映像的に格好いいのだが、キャラとして格好悪いのがしっくりこない。格好悪いというか、犯罪ものなのにギャグ色が強いと言った方がいいのかもしれない。アメコミらしいのかもしれないが、せっかくのクールな映像にマッチしない。冒頭の登場後、屋根を伝って走る姿がまずそんなに格好良くないし、宿敵オクトパスに出会った途端、殴られ倒されやられっ放し。対抗するけど、オクトパスの方が一枚上という感じ。もちろんそれには理由があるわけだが、主人公のヒーローがこんなにやられっ放しでいいものか。
ヒーローなのに女ったらしで、それに救われたりそれにやられたり。ほとんど最後に近くなって、ようやっと『ザ・スピリット』自体がそういうギャグっぽい物語なのだと受け入れられる。ラストシーン、続きを暗示させる部分も、このギャグ的な要素があって始めて成立する話である。最初から、そういう話だと思って観ていたらもうちょっと印象が違っていたのかもしれない。
『1Q84』BOOK2(村上春樹 新潮社)経過報告。5章と6章を読む。
青豆の喪失は偶然ではないように思えるが、青豆は気づいていない。天吾に訪れた喪失がそうだと確信させる。不安な暗い影は、もはや事実なのだという気がするが、もちろん何の証拠もない。
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『スター・トレック』を新宿ミラノ2で観る。
カーク船長がエンタープライズ号に乗ることになったエピソードを描く。今まで描かれなかったのが不思議な、いわゆるエピソード0的な話だ。ところがカーク船長が若い頃の話というだけではなくて、エンタープライズ号の面々が集まってくる話で、これはオリジナルの『スター・トレック』をある程度好きな人には堪えられない話である。ものすごく思い入れのある人にとっては、もしかしたら不満があるかもしれないが、それほどマニアックではないけど懐かしいという立場からすると十分楽しめた。そして、やっぱり『スター・トレック』といったら、スポックなのだね。若き日のスポックも活躍するのだけど、スポックについては二倍楽しめる。詳しくは書くまい。
しかし、若き日のカーク船長ってそんなにやんちゃで無謀だったのか。カーク船長ってそもそもそんなタイプの人物だったっけ、というのがあいまいな記憶を辿って思うこと。それとも、この話はそういう時間軸の話ってこと? とか書くと、若干ネタばれになるかもしれないが、この話にはタイムリープ的なネタが入っていることだけは書いてしまおう。
そんなに期待していたわけではないのだが、意外と楽しめて、過去の映画シリーズやオリジナルのテレビ版を観たくなった。
『1Q84』BOOK2(村上春樹 新潮社)経過報告。7章から10章を読む。
だんだん、経過報告は読んだ章だけで、コメントは読んでいない人には判らないメモになってきているが、メモとして残しておく。あとでこのメモを集めてぼやかしていたことを書いてまとめてみようかと思っている。いつものことで、あとになってできるかどうか判らないが。
青豆はついに行くべきでないところに行ってしまう。もう引き返せないのではないかという不安がある。一体どうやって帰ってこようというのか。最初のうちは青豆と天吾の再会があるものと思っていたが、BOOK1の結末で決して交わらない二つの物語であって、二人の再会は物理的にあり得ないという予感がしていたが、そもそも青豆はこの事態から抜け出すことも叶わないのではないか。と思ったのもつかのま、青豆の着いた先では予想と違う方向に進み始める。先が読めない。天吾は父親との再会など、一旦話の本筋から離れていくようだったが、ふかえりの再登場で元の話へと突然引き戻される。
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Bunkamura ザ・ミュージアムで開催中の「奇想の王国 だまし絵展」、外出中にポスターを見かけて、観に行きたいと思う。
何が引き金になったのか、かなり昔に観た映画をふと思い出し、無性に観たくなる。正確なタイトルが思い出せなくて、おぼろげな記憶を辿って、googleやamazonで検索して確認する。埋没した記憶を発掘するかのようだ。そしたら意外にもあっていた。気になっていたのは、『恋の力学』と『月の瞳』。
『恋の力学』はポスターと話のなんとなくの雰囲気しか思い出せない。『月の瞳』もポスターとこちらはもう少しストーリーもおぼろげに覚えているがほとんど思い出せない。どちらも感想を書いたけれど、書いたのはパソコン通信時代で、サイトの過去の日記には残っていない。
もう一度観たいと思うが、『月の瞳』も『恋の力学』も廃盤、『恋の力学』に至っては、DVDにもなっていないようだ。
『1Q84』BOOK2(村上春樹 新潮社)経過報告。11章から14章を読む。まだ半分だが、物語のクライマックスという感じがする。この物語はどういう結末がつくのだろうか。
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『ターミネーター4』を新宿ミラノ1で観る。
単純に面白かった。しかし期待した以上ではなかったかな。いろんなターミネーターが出てくるというのは前情報で知ってしまっていたし、マーカス・ライトという登場人物についても、何度か観た予告編で想像がついていた。T-800が出てくるというのも知っていた(というかこれは出てくるのは当然か、T-800の出てこない『ターミネーター』シリーズなんてありえないかも)。あえて意外といえば、「彼」が出てきたことだが、これも当然といえば当然で気がついて然るべきだったのかも。
というわけで、意外性などはあまりなくて、普通にアクションSF映画として普通に楽しんで観た。とはいえ、普通に楽しめる時点で、完成度高く完結した『ターミネーター』『ターミネーター2』の続編としては十分評価してもいいのかもしれない。『ターミネーター』シリーズで、何匹目かのどじょうを狙うにはハードルが高すぎるのは、『ターミネーター3』を観れば明らかなのだから。
しかし、結末のエピローグ的なあのエピソードはどうしたものか。人間と機械の違い云々とかいいながら、あの結末でいいのか。それより、真実が明らかになるあたりとか、スカイネットはバカすぎる。自ら墓穴を掘ってるわけで、その墓穴を掘る結果にならなくても、そもそも真相を話す相手が違うんじゃないか。とか考え始めると、穴だらけ。そういう理屈は考えずに、ひたすらいろんなターミネーターと戦う映画というだけ。やっぱり、『ターミネーター2』で終ってよかったのではないかと思う。
そうはいいつつも、続編が作られたらまた観るんだろうけど。
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『1Q84』BOOK2(村上春樹 新潮社)読了。最後は、15章から24章を一気に読む。
面白かった。期待していた結末にはならず、やはりそういう終わり方かという感じ。しかし、いまだ解釈を決めかねていることがいくつもあり、つまりこういうことなのだという自信が持てない。まだしばらくいろいろ考えたり、拾い読みしたり、拾い読みしているうちに全部読み返しちゃったりとか、そんな感じでしばらく読書は終わらないのだろうと思う。
なんでもまだ続編があるという説が流れているらしい。終わっていないという感触を持っている人も多いのだろうか。『ねじまき鳥クロニクル』のときも、二冊刊行されてそれで完結だと思われていながら、第三部が出たという過去もあるし、上巻・下巻ではなくて、BOOK1・BOOK2というあたりがそういう説を生んでいるのかもしれない。そういう意味では、BOOK1が<4月−6月>でBOOK2が<7月−9月>なのだから、<10月−12月>と<1月−3月>があってもおかしくはない。BOOK4はBOOK1の前の時間に遡るとか、もしくはタイトルが変わって『1Q85』とかいうのも面白い。
続編があればそれはそれで楽しみであるが、個人的には青豆の章が完結している気がするし、天吾の方も一区切り付いているように思う。いくつかの疑問は、この後に続く物語で解決するというより、すべてはここまでで描かれているという気がするのだが。
いろいろ書きたいことはあるけれど、もう少し「読書」を続けてから、書こうかと思う。
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