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2002年7月後半

7月16日(火)

釈由美子、メカゴジラを動かす

 酔っぱらってそのまま寝てしまったので、朝起きてからシャワーを浴びる。なんだか、最近飲むたびこんな感じでとても嫌だ。弱くなったのか、飲む機会が減ったせいだろうか。食欲はあまりないが、朝食は必ず食べる習慣なので、習慣的に食事を済ませる。

 日曜日には読み終わる予定だった『新版 指輪物語 9 王の帰還 下』は日曜に読み終わらないばかりか、月曜日にべろべろに酔ってて読書にならず、今日になってようやく読了。あとは長い長いエピローグかと思っていたらもう一ひねりあって楽しませてくれる。忘れないうちにちゃんと感想を書いておきたいと思うが、最近忙しくバタバタしているので書かないままなんとなく過ぎてしまうような気がする。

 夜、銀座シネパトスに行き、レイトショウで『富江 最終章 −禁断の果実−』を観る。中原俊が監督というので、単純なホラーとはひと味違う富江の世界に期待していたのだが、思ったより面白くなくてがっかりする。

 Yahoo!などのニュースを見ていて印象に残った情報二つ。
 辻仁成原作の行定勲の映画が、辻が脚本に納得せず決別したという話。行定勲はこの脚本で絶対に面白くなるという自信があったという話を聞くと、非常に残念。行定勲の映画って『ひまわり』くらいしか観ていないのだが、印象がいい。なんで決別したのかよくは判らないが、辻には行定みたいな監督には、映画化されたらそれはまた別の作品だと割り切って、好きに料理しろよと言って欲しかったと思う。
 二つ目。今度のゴジラ映画に釈由美子がでるというのは知っていたが、釈由美子の役はメカゴジラを操縦する役だという。なんか、ツボにはまる。もの凄く観たくなる。

『富江 最終章 −禁断の果実−』

 富江シリーズ4作目である。監督に、中原俊というホラー映画とは遠い?監督なので単純なホラーとはひと味違う富江の世界に期待していたのだが、思ったより面白くなくてがっかりする。

 何がそんなにつまらなかったのかというと、どうも登場人物のキャラクターが一貫していなくて、物語がブツリブツリと細切れの感じがある二点が大きいと思う。富江は、過去に愛した男(宮崎あおい扮する登美恵の父親)の元に戻ってくるのだが、まず宮崎あおいに近づく。あとから宮崎あおいへの憎悪も見せるのだが、どうもその辺が一貫していない。宮崎あおいに対してはその憎悪を隠していると考えてもいいのだが、理屈でなくてそう感じないし、憎悪と愛情の間で揺れ動くという感じでもない。富江は宮崎を憎んでいるが、いじめられっ子の宮崎は初めてできた友達だと思って富江を慕い、さらに殺された富江の首を育てることになるというのはいいのだが、宮崎の感情もなかなか感情移入しにくい。特に宮崎の最後の行動は、ホラー映画おきまりのオチでしかなくて、最後の富江との対決はどうなっちゃったの、っていう大きな矛盾を感じてしまう。

 唯一、キャラクターが一貫していたのは、父親だろうか。父親が、富江の言葉に自分を無くして狂い出すのは結構いいし、特に宮崎をいじめていた三人組がやってくる辺りは最高だ。最後の行動、エピローグ的な最後のシーンでの無言電話とか、そこまで含めていい。父親が娘と娘と同じくらいの歳の女との狭間で無様に愛に揺れるっていう物語なのかもしれない。だからといって、娘と女の感情がどうでもいいわけじゃない。

 不満に感じたのは物語だけでない。安藤希の富江はポスターなどを見ると漫画の富江のイメージに結構合っているように思ったのだが、映画で観るとそんなによくない。やっぱり富江が魅力的でなくては富江という映画はなりたたない。宮崎あおいはときどき魅力的に見えるのだが、相変わらずいじめられっ子役で登場し、なんでそうステロタイプな役柄になるのかと疑問だった。それから、首だけの富江や躰が虫の幼虫のような富江は気持ち悪くていいのだが、CGか何かで安藤希自身が動くシーンはともかく、作り物を使っているシーンは明らかに作り物であるのが見えてしまって興ざめだった。

(『富江 最終章 −禁断の果実−』 監督中原俊 銀座シネパトス 2002/7/16)

7月17日(水)

ひたすらパンを食うのみ

 最近一日中ニュースサイトを見ているのでやたら芸能系ニュースに強くなっている。遊んでいるみたいだが、そういうわけではない。起きている時間の90%を占める時間をいかに楽しくするかという話。「人はパンのみに生きるにあらず」というが、パンを食わなきゃ生きていけないのなら、ものすごく美味いパンを食べていこうってことだ。そういうわけで、夜腹が減ったところで寿司屋に繰り出す。酒も飲んで気分良くなりたいところだが、まだまだパンを食いまくらなくてはならないのでそうもいかない。

 読書は『ウロボロスの偽書』上(竹本健治 講談社文庫)を読み始める。

 一日ずれた日記がなかなか追いつけないまま過ぎている。昨日の出来事を思い出そうとすると思い出せそうで思い出せない。

7月18日(木)

冷凍マグロ

 冷房の効く部屋で3時間ほど過ごしたら冷凍マグロのように凍えてしまう。暑いはずの外がぽかぽかして気持ちいいと感じる。

 昨日に引き続き『ウロボロスの偽書』上(竹本健治 講談社文庫)を読む。面白い。どう面白いか書きたい気もするのだが、ここで書いてしまうのは気が引ける。この有名な小説についてはやはり情報が入ってきてしまうので、多少のことは知っていた。しかし、読み始めてみると知っていることはほとんど気にならない程度のことだった。そうして、予備知識なく読めるのはやはり幸福だと感じる。そう思うとやっぱり何も書かずにおこうと思うのだった。

7月19日(金)

リプレイ

 このところ毎日一日がもの凄いスピードで過ぎていく。何もしていないうちに午前中が終わり、食事をしてよしこれからと思うと3時くらいになっていて、もう一息と思うともう6時だったりする。そして今日は週の半ばのつもりでいたら週末だった。
 なんだか最近毎日こんなことを書いているような気がする。『リプレイ』みたいに毎日がリセットされていないか?

 読書は、引き続き『ウロボロスの偽書』上(竹本健治 講談社文庫)を読む。

7月20日(土)

土用の丑の日

 昼頃まで寝る。午後から『シャイニング』を観る。映画本編の後、キューブリック監督の娘ヴィヴィアン・キューブリックの撮ったメイキングを観る。

 『ウロボロスの偽書』を読んだり、ネットサーフとかして、夕食。土用の丑の日だがなぜか焼き肉。そういえば先日、土用の丑の日に鰻を食べる習慣って、外国人に説明しようとするのは難しいだろうという話をした。
 丑の日はなんとか説明できそうだ。『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』という映画を引き合いに出して、年だけじゃなくて毎日が「デイ・オブ・ザ・ドラゴン」とか「デイ・オブ・ザ・カウ」とかあるのだといえばいい。いや、待てよ、「デイ・オブ・ザ・ブル」なのか? 丑年の牛の性別はどちらなのか。しかし問題は土用である。陰陽道をどうやって説明するのか。そしてなぜ丑の日なのに鰻なのか。しかも鰻なのに何故かば焼きなのか。
 ふと思いついて、Exciteの翻訳ページで「鰻の蒲焼き」を翻訳したら、「Kabayaki of eel」になった。そして、そして!、そして!!、土用の丑の日を翻訳したら、Doyo-no-ushino-hiになった。そんなのありかよ。

『シャイニング』

 現代の映画のスピードからしたらのんびりしているかもしれない。ショッキングさやセンセーショナルな恐怖や驚きではかなわないかもしれない。しかしやっぱり怖い。非常に濃くて厚みのある怖さだ。

 ジャック・ニコルソン扮する作家のジャック・トランスがいつ狂い出すかいつ襲いかかってくるのかという怖さ。結構最初のうちから怖い顔しているのに、妙にいいお父さんをしていてなかなか襲いかかってこない。この、来るぞ、来るぞ、来るぞと思っているのに来ない怖さ。
 そして、来たーっ、と思ったらバットで殴られてあっけなく階段を落ちてしまい簡単に閉じこめられてしまうのだが、この間もいつ息を吹き返すのか襲いかかってくるのかという恐怖は持続する。倉庫に閉じこめてしまってもまだ怖い。怒り狂ったかと思えば、急に猫撫で声になって懇願してみたり、不気味な笑いを浮かべながら逃げられないことを告げてみたり、やっぱり全部怖い。
 その後には斧でドアを叩き割るシーンから、雪の中の迷路の追跡など、見せ場はまだまだたくさん続く。唯一の希望は超能力を持つ黒人の料理人ハロランだが、彼の登場も恐怖を盛り上げるためだけに存在している気がする。

 そして怖い他に何か深いものが背景にあるような感じもする。結局、最後までジャック・トランスの狂いだした明確な説明はない。それ自体はホラーでは普通のことで、理屈で説明できない出来事があってその理不尽さが恐怖を募らせるものだ。しかし、『シャイニング』の場合はその理不尽さが恐怖の代わりに映画自体に不思議な深みを与えている。『2001年宇宙の旅』が哲学的で高尚な感じがしたのと同じように何故か格調高くなっている。ホラー映画に格調なんかくそくらえなのだが、過去にホテルで何があったのか、以前の似たような事件は、あの浴槽の女性は、なぜジャックが、ラストのあの写真は、といろいろ考えてしまって『シャイニング』の世界から抜け出せないことになる。これはすごいことだ。

 それにしても、ジャック・ニコルソンってこの映画の印象が強すぎて、どの映画にでてきても怖い顔に見えてしまうのは彼にとってよかったんだろうかと思ってしまう。

(『シャイニング』 監督スタンリー・キューブリック DVD 2002/07/20)

7月21日(日)

忙しいからやりたいことを優先する

 忙しくて時間がない。今日もまた仕事だ。しかし、「忙しいからできない」というのは言い訳である、というのが持論なので、このまま流される訳にはいかない。そんなときにはどうするのかっていったら、単純なことで、やりたいことを優先する。ただそれだけのこと。

 『ウロボロスの偽書』竹本健治 講談社文庫)の上巻を読み終えて、下巻にはいる。長編だが、中に含まれる芸者ミステリは何回かで完結する中編になっている。これがまたバカミステリなのだがステレオタイプで面白い。「水戸黄門」を最後の印籠をかざすシーンを楽しみに見るような感じで決めぜりふを知っていながら楽しむ。
 しかしその反面ちょっとこの話はまともに終結するのだろうかと疑い始めている。話は現実と創作が混乱しはじてめていてその趣向は面白いのだが、これが理路整然とした結末を迎えられるのか疑問に思い始めたのだ。すべては創作だったというオチになったらそれは夢落ちと同じことで、それは小説を創作と知りながら読書している間は現実として読む読者に対する裏切りだと思う。決して許されないとは言わないが、興醒めすることこの上ない。期待するのはこの混乱をそのまま維持しつつ、あくまで物語の中では現実としてつじつまを合わせて終わって欲しい。それが無理ならあっと驚かせるか、ううむと唸らせる結末を用意して欲しい。

 ちなみに、ここで面白いと書いていたせいか、おすすめ作品と捉えた人がいたようだが、別におすすめというわけではない。たぶんミステリ好きでなければ薦められない上に、アンチ・ミステリなので、ミステリ好きでも薦められない場合もある。ミステリ好きならこの作品のことは知っているだろうから別に注釈はいらないかもしれないが。僕と趣味の合う人なら読んでも面白がるだろうとは思うけれど、読もうと思う人は自己責任で読むべし。

 HMVに寄り、『ハイヌミカゼ』元ちとせ)、『短編集』中島みゆき 今頃)、『mother』金子飛鳥)を買う。
 金子飛鳥の『mother』はレジ前にヒーリングミュージックのおすすめみたいな形で並べてあるのを偶然見つけた。なんでヒーリングミュージックなんだよとか思いながらすぐにひっつかむ。帯の説明に「凄腕ミュージシャン金子飛鳥がヴァイオリンを全編にフィーチャリングした初のソロアルバム!」とか書いてあるのだが、何がソロアルバムだ。『MULTI VENUS』ってアルバムが前にでてるじゃないか。そのあと何か出しているかは知らないのだが。参加ミュージシャンは、フェビアン・レザ・パネ吉野弘志ヤヒロトモヒロ。聴くのが楽しみだが、金子飛鳥がライヴで踊るようにヴァイオリンを弾く姿もまた見てみたいと思う。もしかしてアルバムを出したからライヴをやったりしないだろうか。と思って調べてみたらやっぱりあった。が、ライヴは『mother』発売日の7月19日(金)で、すでに終わっていた。8月24日に横浜美術館ギャラリーコンサートにでる模様。横浜は遠いなぁ。

 テアトル新宿に『ピンポン』を観に行く。昨日から上映開始なのだが、予想以上に混んでいて、立ち見がでるために座布団が用意されていた。やっぱり窪塚洋介とかARATAとか目当ての女の子とか、その女の子を連れて映画館にやってきたカップルとかが多かったのだろうか。ギリギリに行ってさっさとでてきたのであんまり客層は把握していない。

『ピンポン』

 映画は原作を読んでから観る主義なのだが、原作より先に映画を観る。だから、原作を超えているのかどうかについては判らない。でもこの映画は、個人的には好きだ。スポコンもので、友情もので、ヒーローもので、特撮映画で、青春映画で、バカ映画なのだ。そういう映画って、作品の出来がどうこうとかいうのとは別に好きになってしまう。

 スポコンものであれば、もちろんクライマックスは白熱の卓球勝負だ。ヒーローものだから、絶対かなうわけなさそうな敵との勝負が待っている。それもみんな予定通りの展開だ。ヒーローは危機に立たされ、どうやってその勝負に立ち向かうのか。それにはもちろん変身するしかない。青春ものだから、敵をやっつけて終わるんじゃない。特撮ものだからその勝負は特撮を駆使してるんだろうな。あんな卓球シーン、CGとか使わないとできそうにない。マシンガンもカンフーも使わない真剣勝負は面白い。

 だが、友情ものだから、そのあとにクライマックスはもう一つある。でも、ずるいのはそのあとの本当の友情をかけた勝負の行く末で、そのずるさは阪本順治『どついたるねん』のラストくらいずるい。『どついたるねん』の結末はいうまでもなく、というのもあるのでまだ許せるが、こっちのずるさは一番肝心なところを見せずに写真でごまかすというのが納得できない。まあ、二人のその後をほんの少し見せて、観客の好きに解釈させてくれたのだと思ってみることにしよう。

(『ピンポン』 監督曽利文彦 テアトル新宿 2002/7/21)

7月22日(月)

夜中にビールを飲みながらケーキを食べる。

 『ウロボロスの偽書』竹本健治 講談社文庫)読了。結末について心配していた点−−すなわち夢落ちのような小説自体が虚構であると宣言してしまうようなオチになってしまったか、そうならずに事実と虚構が混ざりながらも小説の中のリアリティを持続し続けて結末を迎えたのか。それについては触れないことにする。結末にどんでん返しがあると言ってしまうと、どんでん返しがどんでん返しでなくなってしまうのと同じように、ここで満足する結末を迎えたかどうかを書くことで、この小説の面白みを奪うことになると思うので。とりあえず、下巻途中、「読者への挑戦状」ならぬ「読者への忠告状」がでてくる。そこまでの間十分楽しんで読んだことは書いておこう。
 続けて、『ウロボロスの偽書』が手に入らなくて読めずにいた『ウロボロスの基礎論』(竹本健治 講談社ノベルス)を読み始める。

 BGMは『ハイヌミカゼ』元ちとせ)。

7月23日(火)

噂のおばちゃん

 最近の忙しさの元凶となっている仕事の目鼻が付いてきた。ここ一ヶ月で初めて本気で喜べるような段階になったので、軽く飲みに行こうということになる。行ったのは、妙に濃いおばちゃんがいるという噂の焼き肉屋である。

 どう濃いのかというと、仲間で話をする余裕がないほど話しかけてきて、話を聞いていると食べられない。得意なのは芸能ネタで、芸能人をよく知った友達かのようにあれこれ話す。その上、注文も勝手に決められてしまって、あれが欲しいと言ってもだめだと却下されたり、ひどいときは店に入ろうと思ったらもう肉がないからおしまいだよと断られたりと、最強無敵のおばちゃんなのだという。

 実際のおばちゃんは、そんな話を聞いて妄想が膨らんでいたせいか、「なんだそんなに凄いおばちゃんじゃないじゃないか」と思っていたのだが、時間が経つに連れだんだんパワーアップしてくる。帰る頃にはついにこちらの妄想を超えてしまった。大笑いしながら、調子よく飲んでいたら11時半近くになってしまい、最寄り駅からはタクシーで帰る。

 普段あまり見てはいないのだが、有名な映画のサイトの「映画瓦版」を久々に見に行ったら、サーバを提供している組織(?)の閉鎖に伴いサイトを移転するという。だが単なる移転ではなくて、代わりにサーバを提供してくれるところを募集中で、そういうところが現れなければ、自分でサーバを立てるため時間がかかるかもしれないので一時的に閉鎖もあるという。いまどきサーバの維持費用なんて大したことないんだから、そんなこといわずに続ければいいのにと思う。

7月24日(水)

読書ゲーム

 電車の中では(寝てなければ)大抵本を読んでいるのだが、本を忘れたり鞄から出せなくて吊革広告を見るくらいしかできないとき、近くで本を読んでいる人がいるとついそちらに目がいってしまう。かといってのぞき込むのは失礼だし、電車に乗っている間の数ページを読んでもしかたない。とはいえ、何を読んでいるのかという好奇心ももたげてちらっと見てしまう。そんなことをしているうちに、その開いている1ページからその本が何かあててみるようになった。ちょっとした読書ゲームである。すぐに判ると気分がいい。全然想像のつかないものだったりすると、しばらく気になって仕方がない。

 少し前だと、大きくて文字も大きそうな本を開いている人がいて、のぞき込む前にだいたい想像がつくことがあった。のぞきんで「ハリー」なんて名前を見つけて「当たり」と思う。分厚いノベルスでもあれだろうと思ってのぞき込んで、「関口君」なんて見つけてやっぱり、と思ったり。しかし圧倒的に文庫の人が多いので意外と難しい。この間、「フロド」と「サム」が出てきて、一瞥して判ったのは運が良かった。とはいえ、あんまり簡単すぎるのもつまらない。

 このゲームの難点は、正解がわからないところであるが、判らない方が幸せな場合もある。外国人の名前が出てくるから翻訳ものかと思っていたら、『スプートニクの恋人』だったことがあった。これは完敗だし、悔しくてたまらなかった。正解を知らなければ、こんなには悔しくなかっただろう。あと、歴史ものは、「劉備」とか「豊臣秀吉」とかでてきても、実際に誰の何かわからないことが多いので、そういう名前を見つけたときはほぼ諦める。

 そんな感じで今日は、2戦2勝。1冊目はVHSの開発について書かれていて、あれの原作かなと推定、未確認だがまずあってるだろう。もう一冊は、「片倉ハウス」という固有名詞と章の終わりの文体を見て判った。プラス、単行本だったので本の厚さもヒントになったけれど。

7月25日(木)

そこはそれ

 今週で終わりの『少林サッカー』を観に行く。始まってすぐには、周星馳らしいベタなギャグが多いなぁ、これってこんな大きな小屋でかけていいのだろうかと思っていたが、後半どんどん盛り上がっていって、くだらないとかなんだとかいうのは超えてしまって、ハリウッドに売れるわけだと納得する。面白かった。

 昨日再発になったはずの小川美潮チャクラのCDを買おうと思って、HMVに行くが見当たらない。タワーレコードに行ってみると、こちらは棚に5、6枚ずつ並んでいる。それぞれボーナストラックがある。ボーナス・トラックに入ってるのは以下の曲。
 『小川美潮+2』:「これからのむこう」「へんなかさ」
 『CHAKURA+1』:「雨」
 『さてこそ+1』:「おはようー、みなさん」
 『南洋でヨイショ+2』:「主婦と生活」「金太郎」

7月26日(金)

クローンの攻撃?

 出先で用事が6時半に片づき、暇になる。渋谷に寄り、最近行っていない蕎麦屋に行ってみたが、予想通り混雑していて入れなかった。金曜の夜なのでどこも混雑気味なので適当なところで食事を済ませて、東急にある紀伊國屋などを覗いて帰る。

 久しぶりに9時前に家に着く。「ルパン三世 エピソード0」とかいうのをやっていたので、なんとなく見る。シリーズ1作と「カリオストロの城」以外はほとんど嫌いなのだが、ルパン一家の集まる話というので、シリーズ1作目のエピソードを再構成するような感じかなと思って、魔が差した。つまんねー。途中でやめようかと何度も思ったけど、もうちょっとなんとかなるんじゃないかと思って見て損した。あと、文句をいうには最後まで見ないとと思ったんだけど、最後までみなくても十分文句言えるね。

 タイトルが『スターウォーズ』だけど、話の構成は『インタヴュー・ウィズ・ヴァンパイア』で、敵役が『マトリックス』のキアヌ・リーブスのマネってのは、なんかの冗談なんだろうか。恥ずかしすぎる。

7月27日(土)

休日らしい一日

 DVDで『スパイ・ゲーム』を観る。ロバート・レッドフォードは凄く好きで、この映画も観に行くつもりだったのだが観に行き損ねていた。DVDが発売されたので買ってきたのだが、値段を見ずに買ったら6300円もして驚く。最近DVDは2500円くらいで当たり前のように売っているので、普通のでも3000円台だと思っていた。

 監督はトニー・スコット。兄のリドリー・スコットの映画はかなり好きなんだけど、トニーの方よくも悪くもハリウッド的過ぎてあんまり好きじゃない。というか、『トゥルー・ロマンス』が気に入らなかったのがいまだに後を引いているのかもしれない。『スパイ・ゲーム』も派手で迫力ありそうだけれど、大味なんじゃないかと思って観始めたのだけれど、結構面白かった。派手な戦争シーンとかもあるけれど、むしろ駆け引きと騙しあいで、ル・カレのスパイ小説のような世界に近い。

 物語が回想シーンが多くて、ストーリー自体は単純なのに複雑なシークェンスでいろんな意味があとから繋がっていくあたりが面白い。あと、敵はある意味では内部にあって、その駆け引きみたいなところが言葉とは裏腹だったりして、見終わった後も疑問に残る点があったりする。
 たぶん、すぐにまた観直すだろうと思う。感想はまたあとで書く予定。

 夜、SHIBUYA-AXに原田知世のライヴを聴きに行く。バックバンドは、このところ徳武弘文が参加していたが、今回は全員Dr.K Projectの面々だった。なので、途中三曲ほどDr.K Projectの演奏をやる。徳武弘文はキースのCMで知ったのだから何年前だったろうか。最近聴いてないけど、新譜も出たみたいなのでまた聴いてみようかと思う。

7月28日(日)

『スパイ・ゲーム』再び

 再び『スパイ・ゲーム』を観る。今度は日本語吹き替えで。吹き替えでは、ロバート・レッドフォード野沢那智が、ブラッド・ピット山寺宏一がやってる。ちょっと野沢那智のレッドフォードは唾を飛ばしすぎって感じで、もっと静かに喋って欲しい。砕けた感じの喋り方もなんだかな。山寺宏一のブラッド・ピットは逆に洗練されすぎた感じ。カリフォルニアなまりでだらしなく話す感じが、山寺宏一だと妙にダンディな感じに変わってしまって違うなぁ。特に、昨日今日と続けて観たので両者の感覚が違いすぎる。

 夜はなんだか疲れて眠ってばかり。夜中に起き出して、日記をまとめがき。映画などの感想は後回しにした。あとでまた書きたいけど、いつものことだとこのまま流されちゃったりして。

7月29日(月)

目からウロボロス

 『ウロボロスの基礎論』竹本健治 講談社ノベルス)を読んでいるが、核になるのは「うんこ事件」である。最初のうちは笑いながら読んでいたのだが、延々と「うんこ」「うんこ」と続くのでだんだんうざったくなってくる。よりによって、あんな分厚い小説で取り上げるネタじゃないんじゃないかと思い始める。短編で書いて、ふざけた短編だなぁと笑わせるくらいがちょうどいい。まあ、まだ3分の1を超えたばかりなので、結論を出すのは早すぎるかもしれないが。

 ところで、『ウロボロスの基礎論』を読んでいて、意外な人物が出てきて驚いた。実名でミステリ作家とかその周辺の人たちが出てくるのだが、田中幸一という人がでてきたのだ。この人は複数のペンネームを使い分けていて、それがあたかも実在するかのようにかき分けているというのだが、「田中幸一のペンネームがアレクセイで、愛称はアリョーシャ、江川蘭はずっと年若くて、愛称が歩ランド、沖晶夫のペンネームが沖藍子という構成になっているらしい」という話で、その奇妙なパフォーマンスについても触れられている。何を驚いたかって、この人よく闇黒日記で批判されてたあのアレクセイにホランドのことじゃないのか。ミステリファンダムでは有名な人だったのか。いやぁ、知らなかったよ。
 一応リンクしておく。アレクセイこと田中幸一のサイト

 夜、三人で飯田橋の蕎麦屋に行く。移動中の電車の中で、隣に文庫本を読んでいる人が座ったので読書ゲーム。一瞥すると、登場人物にアガサとルルウというのが目に留まったので考えるまでもなく一瞬で判る。こういうのはすごく気持ちいい。『ウロボロスの基礎論』を読んでいるところなので、偶然がちょっとしたヒントになったかも。

 飯田橋の蕎麦屋までわざわざ出かけたのは、この蕎麦屋には穴子がいろいろあるからである。というのも、この集まりの趣旨は実はミニ送別会で、去る人が穴子好きだったのである。穴子の天ぷら、白焼き、煮穴子と穴子尽くし。料理が出てくるたびにデジカメで記念写真を撮る。メニューからしてやっぱり日本酒が飲みたくなって、地酒をいろいろと飲む。

7月30日(火)

花火のあと

 朝、出かけるときに最寄り駅で今日は花火大会があるので、9時頃混雑するが、ご理解下さいなるアナウンスが流れる。そんな時間に帰ることはないので人ごとのように聞き流す。

 東京テアトルの株式総会で貰った招待券の有効期限が7月一杯までなので、テアトルタイムズスクエアで『es』を観る。新宿タカシマヤタイムズスクエアの12階にあるこの映画館は、東京アイマックスシアターが閉館して改装されてできた劇場だ。結局、アイマックスシアターは一回も行かないでいるうちに閉館になってしまったので、初めて入った。さすがに広いし、画面も大きい、音も迫力ある。東京テアトルの株式総会で上映作品にミニシアター系の映画をかけるのではなくて、『スターウォーズ』みたいな作品をかけた方がいいんじゃないかという質問(というかご意見)が出ていたが、まさにそういう映画を観たら迫力がありそうだ。しかも、平日5時半の回というのもあって、観客はせいぜい50人くらいしかいない。なんとももったいない。ただ、『es』という映画もなかなか迫力あったのでこの劇場で観られたのはそれはそれでよかったけれど。

 自宅最寄り駅に着いたのは9時近くだった。花火大会がちょうど終わって帰宅する人の群れが電車に押し寄せてくる。そういや、朝からそんなことを言っていたっけ。それにしても、花火大会も観に行きたい気がするが、こんなにすごい人混みじゃあまり観に行きたくないなどと思う。

『es』

 スタンフォード大学で行われた心理実験−−被験者を囚人と看守役に分けて模擬刑務所に収容されて人の行動を観察するという実験の完全映画化という予告だった。ドイツの映画ということもあるが、完全映画化といいながら舞台はドイツになっている。他にも記者の使う隠しカメラの現代的な様子とかを考えると、1971年の実験の映画化ではなくて、むしろそれは題材でしかないように思える。まあ、それはどうでもいい。

 主人公のタクシー運転手−−実は元記者が新聞広告を見て、この実験に応募するところから始まる。記者は新聞社でいざこざを起こして今はタクシー運転手をしているらしく、この実験のルポを書くことで記者への復帰を狙う。写真つきで記事の値段を言われ、写真などどうするのかと思ったら眼鏡型のカメラを持ち込む。実験で模擬刑務所を監視するテレビカメラとこの記者のカメラを通した映像を交えることで、ドキュメンタリー風の雰囲気を見せている。しかし、あくまでドキュメンタリー風の雰囲気なだけで、撮り方はあまりドキュメンタリー的ではない。特に、クライマックスではアクション映画のような派手な展開になる。むしろ、非常に抑えながらも娯楽映画的な感じがする。

 ごく普通の男たちが、看守役と囚人役という役割を与えられるだけで、没個性的に役割にのめり込んでいくかのように異常な行動取り始めるのがかなり怖い。最後には死者二人、重傷者数人を出して事件は終わる。どうして、単なる役割を与えられただけで、そんな事態になってしまったのか。映画では、囚人役になった記者が切っ掛けとなり、看守側で記者と対立した男がこの事態を引き起こしたかのように描かれるのだが、これは凄く判りやすくて図式的な印象を受ける。現実にはもっとこんなに単純ではなく、もっと理不尽な理由で異常な事態になっていったのではないかと想像してしまうのだが。もちろん、この映画の中だけでも十分理不尽で、恐ろしいのだが。それでもまだ判りやすい気がしてしまうのである。

 記者と知り合う女性が出てくるが、この女性がでてくるお陰でなんとなく救われる感じがする。これがないと、ひたすら重たく感じるだろう。いや、十分重いが。

(『es』 監督オリバー・ヒルツェヴィゲル テアトルタイムズスクエア 2002/7/30)

7月31日(水)

デジャ・ヴュ

 夕方から、缶ビールに乾きものなどを食べる軽い打ち上げ。少し飲んだらなんとなく収まらず、結局飲みに繰り出す。12時近くまで飲んで、終電コースで帰る。終電コースといっても、大宮まで。そこから先は終電も終わり、タクシーに乗る。

 家に帰ってもの凄く眠くて、このまま横になったら絶対眠るなと思いながら、畳に転がってグッスリ眠る。気がつくと、4時。なんか最近こんなのばっかりだ。というのを何回も書いている気がする。

 読書はあいかわらず、『ウロボロスの基礎論』

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  5a 5b 6a 6b 7a 7b 8a 8b
  9a 9b 10a 10b 11a 11b 12a 12b
2004年
  1a 1b 2a 2b 3a 3b 4a 4b
  5a 5b 6a 6b 7a 7b 8a 8b
  9a 9b 10a 10b 11a 11b 12a 12b
2003年
  1a 1b 2a 2b 3a 3b 4a 4b
  5a 5b 6a 6b 7a 7b 8a 8b
  9a 9b 10a 10b 11a 11b 12a 12b
□2002年
  1a 1b 2a 2b 3a 3b 4a 4b
  5a 5b 6a 6b 7a 7b 8a 8b
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