|
|
2007年10月後半
『木洩れ日に泳ぐ魚』(恩田陸 中央公論新社)読了。『愚者のエンドロール』(米澤穂信 角川スニーカー文庫)を読み始める。
permalink |
物が捨てられないので、この『持たない暮らし』には興味を持っていた。実際読んでみたら、期待通りだった。
まず、「持たない暮らし」ってなんなのか。そのコンセプトについては「プロローグ」の次の一節に集約されていると思うので、引用してみる。
「持たない暮らし」だからといって、出家僧のようにストイックな生活を想像しないでください。「持たない暮らし」で持たないモノとは、次の4つだけです。
1 自分の管理能力を超えるモノを持たない
2 愛着を持てるモノ以外、持たない
3 自然に還らない、あるいは、次の人に譲れないモノを持たない
4 自分と、自分の暮らしに似合うモノ以外、持たない
非常に簡潔で、納得できる。とはいえ、納得できるのと実践できるのは違う。ただこの本を読んで考え方が納得できれば実践もしやすくなる。4章以降には実践編があるのだが、その前にこの「プロローグ」の最後に、AからFまでのチェックリストがあって、自分のタイプが判る。その結果は4章で説明されるけど、なかなか面白いので立ち読みでこのプロローグのチェックリストと4章の判断だけでも読んでみるといいかもしれない。ちなみに僕の場合、「昭和の母タイプ(捨てない型)」だった。これまさに思い当たるので反省しつつ、可笑しくなってくる。
もう少し内容を追いかけてみる。まずは「持たない暮らし」というと質素な匂いがして、「節約生活」と似たような印象を受けるかもしれないが、そうではないと説明する。なぜなら「持たない暮らし」では100円ショップで買い物をしないし、気に入ったものについては高いものを買う。「節約生活」と違って、時にはお金がかかることもあるというのだ。
「持たないためのモノとの付き合い方」として、「持たない暮らし=ストイックで無味乾燥」では、長く続けられないという。モノを持ちすぎないためにいちばん大切なことは、「これがあれば、ほかには要らない」と思えるほど、気に入ったモノと暮らすことだという。時には高いモノも買う、「節約生活」とは違うというのはこういうことだ。
また「持たない暮らし」では無駄なモノをなくしていく。「持たない暮らし」を気持ちよく続けるための「最低限の片づけ法」として次の三つを挙げている。
・床にモノを置かない
・食卓の上にモノを置かない
・モノを置く時は、揃えて置く
これもすごく当たり前なのだが、すごくよく判る。
これを実践するにあたり、まずは最初のモノを減らすことから始まるが、モノを減らすための原理、増えてしまう原理をダイエットに似ているとしている。つまり次のような単純な原理だという。
「出ていくモノの量が、入ってくるモノの量と同じであれば、モノは増えない」
「入ってくるモノの量が、出ていくモノの量より多ければ、モノは増えていく」
そしてダイエットと同じようにリバウンドが起こるので、大事なのは「習慣」をつけることだという。
習慣については、「たったひとつの簡単な習慣を、2週間続ける。そして確実に定着させる。そうしたら、また次の簡単な習慣を、2週間続ける。」のだそうだ。
作者のいう「持たない暮らしへの近道 ”7つの習慣”」は次の通りである。
1 もらわない
2 買わない
3 ストックしない
4 捨てる
5 代用する
6 借りる
7 なしで済ます
この7つの習慣についての説明では、要らないモノが増えてしまうありがちな些細な習慣に気づかされる。この部分も面白いので、興味がある人はここだけ読んでみてもいい。
4章からは、「お片づけ実践編 アイテム別 処分の方法と増やさないコツ」となっていて、様々な知恵が書かれている。個人的には、こういうチップスより、3章までの「持たない暮らし」の考え方の方がためになった。
5章ではこの本の総括が書かれている。そもそも、何のために「持たない」のか、ということについて、著者は「私は『人生の優先順位をつけるため』だと思う」という。5章のタイトルは、「持たない暮らしはゆったりするものです」となっているが、持たないことでゆったりできたり、もっと重要なことに人生を使えたり、豊かになれたりするという。本当にその通りだと思う。
[ 『持たない暮らし』 金子由紀子 アスペクト ]
permalink |
昔の仕事仲間との突発的な飲み会。一つの製品を作って、それを売る会社を作ったのだ。簡単なことではないが、今日話を聞くとやっぱり簡単なことではない。というむしろ大変。
『愚者のエンドロール』(米澤穂信 角川スニーカー文庫)読了。
帰宅して、ドラマ「働きマン」を第2話を見る。
結婚もテーマになっていたけど、やっぱり仕事の方が前面に来ているように思えた。面白い。これなら、続けて見ようと思う。
permalink |
ドラマ化を機会に『探偵ガリレオ』(東野圭吾 文春文庫)再読。昔読んだときよりもおもしろい気がした。
「ジョシデカ!」を見る。予告などでは刑事ものでコメディみたいなのか、ジャンルが想像つかないと思っていた。冒頭でいきなり仲間由紀恵扮する主人公が撃たれたのか倒れる場面で、説明のないまま3ヶ月前新人刑事として配属されたところへと遡るという始まり方。手のひらに謎の数字を残していく連続殺人事件が起こっている。でも、仲間由紀恵と泉ピン子の珍コンビはコメディタッチで、コメディありのシリアスなドラマありという話なのか。殺人事件の展開に興味あるので、次回も見るつもり。
「風の果て」という時代劇も録画されていたので見る。録画されていたいたと、他人事のようだが、もちろん自分で録画予約した。しかし、何故予約したのかわからない。何か、惹かれるものがあって予約したのだと思うのだが、時代劇だということも見はじめるまで知らなかったので本当になんだか判らない。佐藤浩市主演というのも理由の一つだったのかもしれないのだが全くなんでやら。
しかしドラマ自体は面白かったので、続きも見ようかどうしようか。原作は藤沢周平。
そういえば、昨日だか一昨日だか「暴れん坊ママ」も見ていた。突然、新婚なのに旦那の子供がやってきてママになってしまうという、良くあるドラマのパターン。
「素敵探偵ラビリンス」第3話を見たけど、これはもう見ない。「死化粧師」も2話分見たけど期待はずれでもう見ない。
Web日記で知ったナデガタサーカスのコンテンツで、「Hybrid Insector」という仮面ライダーのアナザストーリーのWeb漫画を読む。これ面白い。
permalink |
寝坊。7時半頃起きる。いろんな変なというか、面白い夢を見た。なんだか最近、朝起きられないことが多いが、今日は夢を見た位なので睡眠は少しは足りていたのだろう。いつもは夢一つ見ない。
朝9時半から3時間の打ち合わせを皮切りに、今日は打ち合わせ3件、書類の処理、その間に本来の作業と、なんともドタバタした一日だった。22時半頃ようやく仕事が終わる。
今日は、情けないことに本を持って出るのを忘れたので読書の進捗なし。空腹のまま0時少し前に帰宅。何はなくともまずはビールということで、ヱビスを飲みながらWebにアクセス。あー、腹減った。
permalink |
「モップガール」第2話を見る。今度は毒入りチョコレート殺人事件。長谷川桃子(北川景子)が被害者のものを触ってその日の朝に戻る。先輩の大友(谷原章介)とともに、犯人を捜すして殺人事件を未然に防ごうとする。どんでん返しもちょっとあって、第1話よりは話にメリハリがあった。でも基本は犬も歩けば棒に当たる的な展開で、一度経験した「今日」をうまく利用できていないのが残念だ。
ビールを飲んで、食事をして腹も満ちたら急速に睡魔が襲って就寝。
permalink |
『SAW4』の公開を知る。『SAW』は3作目で終わったと思っていた。『SAW』って、『13日の金曜日』みたいに延々と続いていくのかもしれない。
permalink |
「ULTRASEVEN X」第3話を見る。珍しく昼間のシーンから始まった。「ULTRASEVEN X」はいつも夜の街ばかりだったのだが。話もちょっと面白い。アルバイトで人間を雇って侵略兵器を作っている宇宙人と自分の作っているものを知ってもお金を貰うことの方が大事な若者たち。対価を貰って作っているだけのビジネスだという宇宙人。そして最後は、等身大の宇宙人とセブンも等身大のまま戦うのだが、そのシーンにはワイヤーアクションを使っていたりする。余計なのは第1話でジンにウルトラアイを渡したエレアとかいう謎の女で、出てくる意味がない。
そういえば、円谷プロはTYOに買収されたとかいうけど、何か変わるのかな。
「ガリレオ」の放送に合わせて、「美女か野獣」の再放送が始まったが、3話まとめて見る。
アメリカで報道記者として活躍していた鷹宮真(松嶋菜々子)は、日本のニュース番組のてこ入れにヘッドハンティングされて帰国する。同じ日、永瀬洋海(福山雅治)はバラエティ制作部から報道に異動してくる。視聴率がすべてに優先するという信念を持つ鷹宮は報道局を変えていこうとするが。
テレビを見過ぎなので、録画はしたものの見るのをやめようかとも思ったのだが、見てみたら1話から面白かったので続けて3話見た。脚本の吉田智子って何を書いているのだろうと思ったら、「働きマン」を書いていた。「働きマン」もさらに期待が高まる。
他に、見たことがあるドラマとしては「N's あおい」、「今週、妻が浮気します」も書いていて、どちらも微妙かと思ってたら結構面白く見たので、吉田智子って覚えておこうと思う。
さらに沢尻エリカ様騒動で話題の『クローズド・ノート』の脚本もこの人だった。
permalink |
最近家の中が散らかり気味なので、『持たない暮らし』を実践する。
『持たない暮らし』を読む少し前から、「元に戻す」を心がけていた。心がけるというのは、「すぐやる方式」で、前に何度も書いている『なぜか、「仕事がうまくいく人」の習慣』(ケリー・グリーソン PHP文庫)で学んだやり方。「すぐやる」と、時間もとらないし、すぐに効果が現れるので続けやすい。
でもものを戻すだけだと今ひとつ片づかない気がしていたのだが、『持たない暮らし』の「最低限の片づけ法」、「床にモノを置かない」、「食卓の上にモノを置かない」、「モノを置く時は、揃えて置く」を読んで、ああそうだったと気づいた。
判りやすい例では、僕はメールボックスの受信トレイは常に空にする方針なのだが、しばらくするといつの間にかメールが溜まり出す。どこに整理するか迷っていたり、後でもう一度見ようと思ったりして溜まり始め、少しでも溜まり始めると急速に増えていく。
ものを戻しているつもりなのだが、どうも片づけたものが食卓の上、テーブルの上、椅子の上、床の上にいつの間にか増えていたのだ。というわけで、それらを何かの上ではなくて棚の中に片づけた。後で使えるんじゃないかと保留していたものは、見直して要らないものを捨てた。小一時間のそれだけのことで劇的に部屋が片づいた感じになって、ついでに掃除までしてしまった。
permalink |
「もうひとつの象の背中」という深夜に放送していたドラマを見る。映画『象の背中』とのタイアップ企画みたいだ。『象の背中』は、予告を見ただけだが、ガンで余命半年と宣告された男が残された期間をいろんな人に会いに行くというような話で、男を役所広司が演じている。興味があったので、「もうひとつの象の背中」というのが気になったのだが、毎回1話完結で、同じように余命半年を宣言された人の選択を描いたような話だった。第1話はコンビニの万引きを捕まった女子高生と、その父親の話。父親を渡辺いっけいが演じていた。父親は最初の妻と死別して再婚しているが、娘と母親はうまくいっていない。娘のことで学校に呼び出された父親は、ガンで余命半年を宣告されたことを娘に話す。その後の娘の豹変振りが唐突すぎて今一。
第2話は、女子高生の友だち二人がカラオケで会うところから始まるが、その一人の方がまだ17歳なのにガンで余命半年を宣言される。第1話で、映画と同じような年齢の男のケースだと思っていたら、女子高生というのがちょっと驚いた。しかし、このシリーズ、やっぱり30分枠にはちょっと内容が重すぎてまとまらない感じがする。
DVDで『プロミス』を観る。チェン・カイコー監督、真田広之、チャン・ドンゴン、セシリア・チャン出演なのだが、冒頭からチャン・ドンゴンが四つ足で高速で走るなど訳の分からない話である。だが、これはこれで面白いかな。しかも高速で走ることで時空を超えることができるというのは相対性理論的なタイムマシンの原理なのだろうか。ファンタジーで、バカSFなのかもしれない。
夜、テレビで『コラテラル』をやっていたので、何気なく見ていたら止まらなくなって最後まで見てしまった。トム・クルーズが初の悪役というが、いろんな奇天烈な噂を聞いているのもあって、結構似合っているのである。たぶんカットされているのだろうから、またいつかDVDでちゃんと観ようと思う。
その他恒例「風林火山」も見た。昼間、そういえばルービック・キューブの世界選手権の様子を見たが、ものすごかった。日本人が1位に入賞したが、その速さのものすごいこと。普通に見ていると縦に動かしいるようにしか見えないのに、超高速カメラで捉えた映像をスローモーションで見ると、横にも動かしている。あまりにその技術がすごいので、ルービック・キューブをそんな風に動かせるか試してみた。最初のブームの時に買ったものをいまだに使っていて、軸がゆるんでスムースに動かないというのもあるが、あんなに速くは無理だ。
優勝した選手はまだルービック・キューブを初めて2年しか経っていないとか。そして、500通りもの解答パターンを記憶していて瞬時にどの手を使うのか判断するとかなんとかそんなようなことをアナウンサーがいっていた。自分がやると、どんなに速くても30分はかかる。やっぱり解き方を覚えてなけりゃそんなに速くはできないんだな。もっとも解き方が判ってもそんなに速くできるか疑問だが。
もう一つ驚いたのは目隠し部門というのがあることだ。その実力ナンバーワンはルーマニアの青年で15個のルービック・キューブをすべて解いて世界新記録を樹立していた。
permalink |
ドラマ「ガリレオ」第2話を見る。第2話は「離脱る」。「ガリレオ」のシリーズは、タイトルが当て読みさせるものが多いのに、今回のタイトルにルビがないのは不親切じゃないか。「離脱る」で「ぬける」と読む人はいないだろう。
第1話で、ドラマ化に当たっての脚色を期待していることを書いたが、第2話はそういう部分があまりなくてがっかり。文字の世界を画で見せる特徴も、原作では3つ見せる実験が2つになっているし、もっとがんばれ!という感じ。
湯川(福山雅治)は今回も「わからない」「さっぱりわからない」「実に面白い」という。どうやらこれは毎回出てくる台詞みたいだ。
しかし、今回もまた謎が解けたと思った途端に数式かなにかを書き始める。前回も道路にいきなり数式を書き始めたけど、こういうのは意味がないのでやめて欲しい。まあ雰囲気作りということでご愛敬と前回は思ったけど、毎回これをやられちゃうかと思ったらなんだかな。
不満ついでに、第1話では現場のある現象に気づいているのに仮説を証明するとかいって実験していたのが順番的におかしいんだよね。仮説を立てて、実証するのはいいんだけど、再現させる必要はなくてむしろ物証があれば仮説の実証はいらないじゃないのとか思ったのだけど、まあいいか。今回みたいに、実験室の中で解決する方が正しい解決だと思う。
次回は広末涼子がゲストで「騒霊ぐ(さわぐ」みたい。この話、記憶がないので原作のシリーズ2作目『予知夢』は読んでいないみたいだ。もっとも『探偵ガリレオ』も読み返してみたら、随分忘れていたけど。
そして番組の最後には 『容疑者Xの献身』映画化プロジェクトが始まっている告知。「ガリレオ」ドラマ化で評判がよかったら、スペシャルで『容疑者Xの献身』もあるのかななんて思っていたが、映画化とは。そうか、むしろこの映画化を前提にドラマ化だったのかもしれない。フジテレビだしね。
ドラマは他に、「美女か野獣」5話、6話。4話は録画予約を忘れていたみたい。
久々に映画館に行き、『パーフェクト・ストレンジャー』を見る。「ラスト7分11秒あなたは絶対騙される」、はいはい騙されました。しかしミステリファンとしては納得できないね。そこそこ面白かったけど。
permalink |
「ラスト7分11秒あなたは絶対騙される」が謳い文句の『パーフェクト・ストレンジャー』を観た。
主人公の新聞記者ロウィーナ(ハル・ベリー)は特ダネを挙げた祝杯の最中に、原稿が没になったことを知らされる。権力者が圧力をかけてきたのだ。ロウィーナはそんな新聞社は辞めてやると飛び出す。その帰り久し振りに会った幼なじみの友人がその後変死体で発見される。ロウィーナは、新聞社でコンビを組んでいたコンピュータに詳しいマイルズ(ジョヴァンニ・リビジ)とともに、会社社長ハリソン・ヒル(ブルース・ウィリス)を調べ始める。幼なじみのメールに残っていたチャット相手とのコンタクトに成功し、その人物の正体がハリソン・ヒルである証拠をつかもうとするのだが、その間にいくつもの秘密が明らかになっていく。
最初の特ダネがあとの事件に絡んでくるのか、幼なじみは顔が傷つけられてしかも腐乱しかけていて本当に本人の死体なのかという疑問から始まって、ブルース・ウィリスの会社に偽名で派遣に入り調査を進めるあたりサスペンス一杯に話は進む。そのうち、ブルース・ウィリスが怪しいのはともかく一緒に調査するジョヴァンニ・リビジも怪しげになってきて、ハル・ベリーの昔の恋人が出てきたり、ブルース・ウィリスの嫉妬深い奥さんなど、怪しい人物が目白押しになってくる。サスペンス一杯ではあるのだが、何でそういう行動をとるのだろうかという疑問もいっぱいあったりして。
そして肝心の犯人、「ラスト7分11秒あなたは絶対騙される」には騙されたか。騙された。一応、謎解きで伏線も明らかにされるけれど、ミステリファンとしては納得できないとしかいいようがない。そのあとの展開、最後のシーンで、むしろ狙っているのはミステリというよりホラーだと思った。殺人鬼や血しぶきが出てこないホラーというのも難しいが、ミステリタッチのホラーとして撮ればよかったんじゃないかと思った。まあ、そこそこ面白かったけどね。何でそういう行動をとるのかという疑問も、犯人がわかってみれば納得できないこともない。そこまで本当に考えてあったのなら。
本論とは関係ないが、コンピュータのハック関係でそれっぽい台詞があるのだが、なんとなく的はずれな感じがすることが多かった。コンピュータがこれだけみんなに使われるようになってもいまだに何でこういうレベルなんだろうと思ってしまう。
[ 『パーフェクト・ストレンジャー』 監督ジェイムズ・フォーリー 新宿ミラノ3 ]
permalink |
『「人たらし」のブラック交渉術―思わずYESと言ってしまう魔法の話術』(内藤誼人 大和書房)を読みかけだが、残り数ページなので出かけるときには『さよなら妖精』(米澤穂信 東京創元社)の方を持って出かける。『さよなら妖精』は、5分の2ほど読んでもあまりミステリっぽくなってこない。これからどう展開するのか。
夜、『インベージョン』を観てくる。うーむ。
permalink |
『インベージョン』を観た。『盗まれた街』(ジャック・フィニイ ハヤカワ文庫)のたぶん4度目の映画化である。最初の映画化作品が一番素晴らしいといわれているが残念ながら観ていない。2作目、3作目は、それぞれ違うのだがどちらも好きである。このテーマが恐ろしく魅力的なのである。当然そういう期待をして観に行ったのだが、今ひとつ物足りないのだった。
緊張感、サスペンスは感じるのだが、何かが違う。めまぐるしいカットの連続で無理矢理盛り上げている印象が残る。と考えていて、そうかこの物語はいつのまにか家族や友人が他人に変わっていくところに、ものすごく静かな恐怖を感じてそれが魅力的なのだと気づいた。もちろん最後には怒濤の結末へと雪崩れ込んでいく。でも、『インベージョン』ではその静かな侵略の描き方が薄いのではないかという気がした。以下、多少ネタバレを含んで不満点など。
『インベージョン』の新しいところは、侵略してくるのは宇宙人ではなくて、墜落したスペースシャトルから地球にばらまかれることになったウィルスであるという点だ。ウィルスというわけで、免疫を持っている人はウィルスに冒されないとか、さらに進んでワクチンが出来て一度はウィルスに冒された人も元に戻れるという設定になっている。そんなわけで、結末もまたちょっと変わった結末が待っている。この辺は面白いのだが、よくよく考えると矛盾も一杯でてきてしまう。
ウィルスは人に感染すると、人が眠ったとき−−レム睡眠の最中に人を乗っ取ってしまう。そのウィルスの働きが、DNAを書き換えてしまうのだと、映画の中で説明されるが、DNAを書き換えてしまうのだったら、ウィルスはワクチンなんか意味がないんじゃないかと思う。
でもそういう理屈っぽい部分の不満より、やはり静の描写が物足りない方が大きい気がする。「奴ら」の前で感情を露わにすると、まだ仲間でないと気づかれて捕まってしまうので、あたかももう既に仲間であるかのようにニコール・キッドマンが振る舞って歩くシーンがある。静かに歩こうとするのだが、思わず早足になり、顔もこわばっていくあたり、本当にそういう状況に置かれたら、無感情な降りなんかうまく出来ずにこうなるんだろうなという気はした。しかし、ここは物語の嘘でいいから、あくまで冷静に振る舞ってほしかった。
例えば、地下鉄に乗ると静かに座っている客たちがいる。最初はみんな「奴ら」の仲間になった乗客たちなのではないかと思うが、冷静にしていないとばれるぞと乗客の一人に声をかけられ、実はみんな「奴ら」に見つからないように、冷静に見せようと努めているのだとわかる。そして「奴ら」が来るが、乗客の女性が耐えきれずパニックを起こして、結局みんなで走る地下鉄車内で逃げ回る。
このシーンなんかは、映画館で観ている観客さえ唾も飲み込めないくらい緊張して、「奴ら」が通り過ぎるのを見せるシーンなんじゃないかと思う。一旦やり過ごしたあとに、地下鉄車内を逃げるパニックになってもいいけれど、やっぱり一度はそういう緊張が欲しい。
感情を露わにしないはずの「奴ら」が、仲間になっていない人間を見つけると、走って追いかけてくるのもなんだか違和感がある。「奴ら」は睨むだけでいいのだ。追われなくとも、逃げても逃げてもその先には「奴ら」がいるのだから。前に見た作品では、「奴ら」が人間に気づくと「アーッ」と叫び声を挙げて指を指すのだ。あの怖さといったら。なんかそういう怖さがない。
そしてやっぱりニコール・キッドマンが事態に気づくまで、その間に深く進行していく様子が短すぎる。ほとんど冒頭で、ニコール・キッドマンの元夫が感染するらしきシーンが描かれるし、感染した人が全身粘膜みたいなものに覆われて変わっていくシーンももう最初から出てくる。そういや、ウィルスという設定にしたから、「さやえんどう」が出てこないのも淋しい。
舞台が現代だから、「夫が夫でない」とか「妻が妻でない」とgoogleで検索するとものすごい数のページがヒットし、「息子が息子でない」というニコール・キッドマンにとって一番恐ろしい言葉を検索するという場面なんかも、今らしくてすごくいいのだが、それ自体を恐怖として描いていない。ここでも、めまぐるしくカットを変えてしまう。
監督のオリバー・ヒルシュビーゲルって、『ヒトラー 最期の12日間』の監督なんだよね。ああいう地味なじっくりとした描き方の方がずっと恐ろしく感じたんではないかと残念に思った。
[ 『インベージョン』 監督オリバー・ヒルシュビーゲル 新宿ミラノ2 ]
permalink |
『さよなら妖精』(米澤穂信 東京創元社)を引き続き読書。
再放送で「美女か野獣」、放送中の「働きマン」を見る。
permalink |
『さよなら妖精』(米澤穂信 東京創元社)読了。残り少しだと思いながら持って出かけたら、案の定出かける途中で読了。帰り道は拾い読みで読み返す。
permalink |
「ジョシデカ!」第2話を見る。第1話は登場人物紹介的な話で、その最後に本当の事件(殺された人の手に数字が書かれる)の始まりといった感じだったのだが、第2話ではその肝心の事件から「ジョシデカ」二人は外されてしまった。そしてまたまた全然関係ないひったくり事件。最後に、ちょっと本筋の事件に関係ある出来事がある。というわけで、第2話もなんだかスカされた感じ。
テレビは他に、「美女か野獣」の再放送を今日も消化。やっぱり面白い。脚本の吉田智子はやはり要チェック。
黒白波を飲みながら、テレビを見ていたら結構酔っぱらってソファーで4時まで寝ていた。テレビの放送終了番組の音で目を覚まして、寝直す。おかげで、読み終えた『さよなら妖精』(米澤穂信 東京創元社)の感想を書こうと思っていたのに、書けず終い。
permalink |
『氷菓』、『愚者のエンドロール』と続けて読んで、正確に発表順に読もうとまでは思わなかったのだが、書棚にあったもので一番発行年が古かった『さよなら妖精』(米澤穂信 東京創元社)を手に取った。『氷菓』『愚者のエンドロール』は同じ「古典部」シリーズだが、これはシリーズものではなかった。
しかし読み始めて、「古典部」シリーズととても似た匂いを感じた。冒頭では、主人公は高校を卒業しているが、一年前の高校生三年生のときのある出来事を振り返る。登場人物たちは、ちょうど「古典部」のような男女二人ずつの高校生たちだからだろうか。小さな謎が提示され、解かれていくというところも似ている。それらの謎はごく日常的な出来事の中で描かれていて、敢えてミステリと呼ばなくてただ青春小説と読んでもいいような小説である。ただ、冒頭で描かれる一年後に主人公たちが集まって(といっても、四人全員集まるわけではないのだが)過去を振り返る理由、それがある種の謎解きのためなのである。そう考えると青春小説である前にやっぱりミステリなのかなと思う。
以降、「古典部」シリーズの2作と較べてみようと思う。そのため少し内容にも触れることになる。
最初に感じた「古典部」シリーズとの類似点に対し、違うと思ったのは、先の二作に時折感じていた青臭さをあまり感じなかったことだろうか。「古典部」シリーズの青臭さは、魅力の一つだとは思うのだがちょっと気恥ずかしく感じていた。
この違いは、語り手である「古典部」の折木奉太郎と『さよなら妖精』の守屋路行の語り口の違いがある。折木奉太郎の自嘲と自己分析を交えた軽いのりであるのに対し、守屋路行の方はややもすれば深刻な感じを受ける語り口になっている。折木奉太郎にはその軽いのりに返す福部里志がいるが、守屋路行には同じような相手がいない。似たような位置にいる大刀洗万智は、クールで冷たい返事しか返さない。
もう一つには、「古典部」では千反田えるが小さな謎の提示者、少なくともその謎を最後まで解決すべきこととして提示する役割を持っているが、そのためにはちょっと天然で変わった女の子という設定になっている。ところが『さよなら妖精』では、マーヤという異邦人を謎の提示役に置くことでその不自然さを消し去っている。マーヤの指摘する謎は、日本人なら当たり前のことであったり、多少疑問に思っても通り過ぎてしまうような些細なことを、日本の文化を知らないことによる素朴な疑問、誤解、探求心で問いかけてくるのは、実際そうあるかなというような自然な感じを受ける。
「古典部」は「古典部」でよいのだが、青臭さを感じない『さよなら妖精』の方が個人的には気に入っている。しかし『さよなら妖精』がシリーズ化することはなさそうな気がする。守屋と大刀洗のコンビで帰ってきて欲しいけど、もし帰ってくるとしてもかなり先の話になりそうだ。
「古典部」も『さよなら妖精』も語り手が探偵役を務める。面白いのは、「古典部」の奉太郎が自覚なく千反田えるに頼まれるままに推理をするのに対し、『さよなら妖精』の守屋もまたマーヤに頼まれて推理を披露する。ところが守屋には、守屋よりも先に答えを出している大刀洗という存在がある。まるでシャーロック・ホームズシリーズに毎回マイクロフトが登場してシャーロックより先に答えが判っているみたいだ。
「古典部」も『さよなら妖精』の仲間たちもそんなに大きな違いはないのかもしれないが、なんとなく前者は幸福な仲間たち後者は不幸な仲間たちのような気がしてきた。いや、不幸というよりは蜜月の終わった仲間たちというのだろうか。「古典部」シリーズはまだ続いているようだが、彼らもいつかは高校を卒業するわけで、そのとき「古典部」シリーズもいろんな意味で悲しい終わり方を迎えるのではないかという予感がしてきた。
『さよなら妖精』の話からそれたことばかり書いてしまったが、「古典部」の悲しい最終回みたいな話だというまとめにしよう。
[ 『さよなら妖精』 米澤穂信 東京創元社 ]
permalink |
『クドリャフカの順番 −「十文字」事件』(米澤穂信 角川書店)を読もうと思っていたが、朝起きると雨が降っていたので、『ラクして成果が上がる理系的仕事術』(鎌田浩毅 PHP新書)に変更する。
何故かというと、鞄を持たないので、傘を持った上に単行本を持ってもう片方の手も塞がるのは嫌だと思ったからである。文庫か新書ならポケットにはいるので、この間予約本の取り寄せが少なかったときに借りてきた新書をポケットに入れたのだ。晴耕雨読ならぬ、晴単雨文か。
夜、今日も黒白波を飲みながら、「美女か野獣」の再放送を見る。先に昨日までの日記や感想を書いてしまおうと思って、部屋に戻るが眠気が降りてきたので、ちょっと横になったら朝まで眠ってしまう。
permalink |
溜まっていた感想を書く。雨の中、ビックカメラに行きDVD-Rのメディアを購入、図書館で予約の本を受け取ってくる。台風接近で強い雨と風。わずか10分程度外を歩いただけでズボンの裾が濡れる。友人から、今日関西から上京する友人の飛行機が無事飛んだという連絡があり、夜の待ち合わせの確認をする。
17時過ぎに出かけようと外に出ると、昼間よりさらに激しい雨と風。駅まで8分の道のりで、ズボンが膝上まで濡れる。有楽町に着き、駅を出ると目の前に丸井が出来ていてびっくりする。ずっと、何か建築中だと思っていたが、しばらく有楽町で降りないうちに様変わりしていて驚いた。
待ち合わせ場所で友人と合流。関西から上京するはずの友人たちは、東京まで飛行機は飛んだものの、着陸するには危険ということで、そのまま引き返してしまい今日は来られないとのこと。友人を待ち受けていた三人で飲みに行く。会の趣旨がわからなくなったが、集まる切っ掛けになったのでそれはそれでいい。相変わらず忙しかったり、大変だったりする仕事の話から、小説、ドラマ、コミックス、アニメの話まで結構話す。店を出る頃にはもう雨は止んでいた。
読書は数ページ残っていた『ラクして成果が上がる理系的仕事術』(鎌田浩毅 PHP新書)を読む。
出かける途中で本屋を覗いたが、「蒼い瞳とニュアージュ」深田恭子主演でドラマ化の帯のついた「千里眼」シリーズの文庫が平積みになっていた。ちょっと興味を持ったが、あとで調べたらWOWOWでの放送だった。
permalink |
調べようと思っていたことがあるのだが、それが一体何なのか思い出せなくなってしまった。それが気になって、また気になっていることを理由に午後の予定を取りやめて、考えていた。喉元まで出てきているという表現がピッタリするくらい、ぼんやりと浮かぶのだがその先が出てこない。記憶喪失の感覚ってこんな感じなのかもしれない。無理に思い出そうとするより、一旦忘れるとまた思い出せるかもしれないと思って忘れてみたが、結局夜になっても思い出すことができていない。とても気になる。
そんなわけで、今日は考え事をしたりしながら、ぼんやりと一日を過ごす休養の日とする。夕方から、『クドリャフカの順番 −「十文字」事件』(米澤穂信 角川書店)を読み始める。
テレビは「風林火山」と「ULTRASEVEN X」。「ULTRASEVEN X」は、やっぱりセブンの出てくる意味がわからない。せっかく、新しい物語にしているのに、こんなにセブンと親和性がないんじゃダメではないか。もう少し何とかならないものか。
permalink |
「ガリレオ」第3話「騒霊ぐ(さわぐ)」を見る。
原作の収められたシリーズ2作目の短編集『予知夢』は未読なので、原作との違いは判らない。今度はポルターガイスト現象を解き明かす話。今回は指定時刻にポルターガイスト現象を引き起こせてみせるが、あれあれ実験をして仮説を証明しなくていいのか。仕掛けがでかくて実験は難しいが。
いつもと違うのは、お馴染みの台詞でも「わからない」「実に面白い」はでてこなくて、柴咲コウに「『わからない、実に面白い』っていわないの」と言わせている。この手の繰り返しは、パターンだと認識させたところで、ずらした方が面白いので早速バリエーションをかけはじめたのか。こういう細かいところは好きだ。
謎が判り始めると、数式を書き始めるのも今回も同じ。やっぱり、数式を書く必然性がわからなくて、きっとガリレオ先生は意味のないもしくは事件と関係ない数式を解くことで、自分を無意識の思考状態に持っていくんだ、そうに違いないとか思ったりして。
ところで放送順番が、『探偵ガリレオ』の1編目「燃える」のあと、同書最後に収められた「離脱る」、そして今回『予知夢』から「騒霊ぐ」という順番になっている。「離脱る」の放送のあと思ったのは、アリバイ証明が中心で殺人事件の解決の比重が少ないエピソードなので、シリーズでのバランスだろうと思った。ガリレオシリーズは、殺人トリックなどではなくて、その周辺の謎が多いような気がするので、ドラマにするにはインパクトの弱い話が多いかもしれない。
第3話は「騒霊ぐ」だったことでもう一つ気づいたのは、超常現象的な話も多くて、『予知夢』は『探偵ガリレオ』よりさらに超常現象的な話が多いようだから、その辺混ぜないとバランスが悪い。
きっと後半は事件に比重の高いエピソードを持ってくるのだろう。ドラマのシリーズ後半の盛り上がりもあるが、映画化予定の 『容疑者Xの献身』は特に超常現象的なことは起こらなかったと思うので、そこへの架け橋としても最後が超常現象関係ばかりでは繋がりが悪いように思う。
同じく福山雅治の出ている「美女か野獣」の再放送は今日が最終回。これも面白く見た。
読書は『クドリャフカの順番 −「十文字」事件』(米澤穂信 角川書店)。昨日はあまり読んでいなかったが、今日面白くて一気に進む。といっても、三分の二くらいまで。
permalink |
Googleロゴを見て、今年は「Sputnik 50th anniversary」だと知ってから、「極私的スプートニクフェア」の開催を考えていた。
つまり『スプートニクの恋人』を読み返したり、『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』を再鑑賞したり、B.G.M.に「歩いて、車で、スプートニクで」(『ANIMAL INDEX』)や「スプートニク」(『降るプラチナ』)を選ぶとか、そんなことである。
自分の好きなもの以外にも、スプートニクをキーワードに何か探してみようと思っていたのだが、何も手をつけないまま10月が終わろうとしていた。
『クドリャフカの順番 −「十文字」事件』(米澤穂信 角川書店)を読了。図らずも、「極私的スプートニクフェア」は開始された。
permalink |
月末で無駄に忙しい。無駄にというのは、なんかほんとに無駄なことで忙しいのである。
面白いこともあって、面白いことに釣られて余計な仕事をしてしまったが、それはあんまり無駄と感じない。しかし、それで23時頃帰宅したので、結局今日中に書いてしまおうと思っていた感想を書きそびれたまま、今月が終わってしまった。
「働きマン」4話を見る。今回も面白かった。このドラマを見ていると、仕事って面白いのかもと思える気がしてくる。最近つまらない仕事が多すぎて。
今年の乱歩賞『沈底魚』(曽根圭介 講談社)を読み始める。何の予備知識もなく読み始めたが、公安の刑事を主人公にハードボイルドなドラマが展開する。3分の2くらいまで読んだところだが、なかなか面白い。そしてまだ先が見えない。
permalink |
読書
『氷菓』(米澤穂信 角川スニーカー文庫)
『密室キングダム』(柄刀一 光文社)
『持たない暮らし』(金子由紀子 アスペクト)
『木洩れ日に泳ぐ魚』(恩田陸 中央公論新社)
『愚者のエンドロール』(米澤穂信 角川スニーカー文庫)
『さよなら妖精』(米澤穂信 角川スニーカー文庫)
『「人たらし」のブラック交渉術』(内藤誼人 大和書房)
『ラクして成果が上がる理系的仕事術』(鎌田浩毅 PHP新書)
『クドリャフカの順番』(米澤穂信 角川書店)
映画
『パーフェクト・ストレンジャー』
『インベージョン』
『ブレイブ・ワン』
テレビ
新番組継続視聴中:「ULTRASEVEN X」「ジョシデカ!」「働きマン」「ガリレオ」「風の果て」「暴れん坊ママ」
新番組視聴中止:「キューティーハニー THE LIVE」「ケータイ少女」「モップガール」「素敵探偵ラビリンス」「医龍2」「ハタチの恋人」「死化粧師」「もうひとつの象の背中」「有閑倶楽部」
再放送:「医龍」「踊る大捜査線」「タイガー&ドラゴン」「美女か野獣」
permalink |
再放送のanego第1話を見る。赤西仁が出ていて、「有閑倶楽部」の後押しだと気づく。
話は第1話なので登場人物紹介をしながら、いろいろ盛りだくさんなネタを折り込んでいて面白い。脚本は誰かと思ったら、「ハケンの品格」の中園ミホ。「anego」の篠原凉子は結構良かったのだが、「ハケンの品格」ではあり得ないOL篠原凉子を見せられていたので、ちょっと意外。しかし、社員と派遣や契約社員というのがやはり出てきて、この辺は中園ミホの経験などを含めた得意の観点なのかもしれない。
見るドラマを減らそうと思っていたので、とりあえず第1話だけ録画しておいたのだが、面白かったので見ようと思ったら「続けてanegoをお楽しみください」とかテロップが出て、今日2話連続で放送されたことを知る。つまり第2話を録画しそこねたということだ。ショック。これは、見るなという啓示か。
permalink |
|
|
|
|
|